No.204
1998.3

ISASニュース 1998.3 No.204

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Bangladesh

   桑原邦郎

 Bangladesh へ行くなんて言うと,皆不思議そうな顔をする。このISASニュースの編集の方々もたぶんそこに目を付けて,東奔西走の原稿依頼をしてきたに違いない。結論から言うと,Bangladesh 行きは大変おもしろく有意義であった。

 なぜ Bangladesh か?ある日突然,1997年12月に Dhaka でISFMHT-97( Second International Seminar on Fluid Mechanics and Heat Transfer )が開かれるから是非招待講演をしてくれと言う E-mail が届いた。差出人は私の知らないBUET( Bangladesh University of Engineering and Technology )の教授の名前があった。それだけなら講演は断るのだが,私を指名したのが長年の友人の Fazle Hussain であることがわかった。彼は米国在住の Bangladesh 出身で,流体力学の分野ではもっとも有名な人の一人であり,ISFMHTは Bangladesh の科学技術振興のために彼が主導して始めた会議であることがわかった。義理と人情の浪花節の世界に生きている私としては断るわけにもいかずOKしてしまった。しかし,会議直前になって Bangladesh のインフラの整備が十分でなく E-mail の連絡等がトラブリ,ほとんど出席をキャンセルしようとしたのだが,Fazle の電話攻勢の前に敗れ,最終的には出席することになってしまった。ただこのトラブルでビザを取り損なってしまいやはり行けないと連絡したら,そんなのどうにでもすると言うのでやむなく出発。正午に成田を発ち Singapore 経由 Dhaka に着くのは夜の10時。3時間の時差があるので実質12時間の旅である。やっと Dhaka にたどり着く。飛行場は30年前の羽田空港のような感じで現代的な設備はほとんどない。しかし,降機したゲートまで私の名札と花束を抱えた人が迎えに来てくれていたのですぐ不安感は消え去った。また途上国のありがたさで,ビザなしでもVIP待遇で税関も通らずに入国できた。実は私は東大工学部時代に Bangladesh から来た留学生の博士論文の面倒を見たことがあり,その元留学生に会いたいということを会議の Organizer に出発直前に連絡しておいたら,彼は家族総出で車2台で飛行場に迎えに来てくれていて,滞在中プライベートな時間は全て彼一家が面倒見てくれるという幸運にも恵まれた。

 町に出てみると人々の数は予想通り大変多く,予想に反して通りは清潔で,人々は穏和で優しさを強く感じた。日本人の性格と極めて近いのではないかと思えた。私の知っているインド人は多くの人々が日本人に比べるともっと攻撃的で自己主張が激しいのに,ベンガルの人々は正反対とでもいえるような感に驚かされた。これは Bangladesh が純粋な農業国であるということに由来しているのではないだろうか。もちろんまた本質的に貧しく,道路では人力車が幅を利かせているが,車も渋滞があちこちで発生するほど多く,まさに発展途上であることを感じさせた。車は日本と同じ右ハンドルで,殆ど日本製ばかりだった。

 BUETは,外から見る限りでは,日本の大学と何ら変わりない形や設備があり,まだ大変貧しい国なのに相対的に大学は恵まれている感がした。大学教授の多くは車を持っていて相対的には大変豊かで元留学生の Alam 君も今では Dhaka College の数学科の主任教授となり,ショーファー付きの車で活動していた。その車を,私の滞在中は主に私のために使わせてくれた。

 発展途上国であるこの国にはまだ大学の数が非常に少ないので,この国でも大学は本当のエリートの行くところである。大学の先生たちも多くは有名ではないけれど,欧米の有名な先生たちに比べて何ら劣ることもないだけでなく,優れた科学者が数少ない大学に集中しているので,欧米の大学を訪問するのに比べて,一度に素晴らしい人々に会えるという意味で大変有意義な気がする。日本を含めて先進国では大学の数が多すぎ,優れた人々が分散してしまっているので,人に会うのが大変である。

 最後の晩は Alam 氏の自宅に招かれ,家族総出で作ってくれたカレー料理を腹一杯食べさせてもらった。魚を主としたもので,辛いものが大好きな私には忘れがたい味であった。ただ回教国で,酒が殆ど出てこない寂しさはある。

 最後の日は Alam 夫人が前大統領の顧問弁護士をしている関係で,彼のオフィスに招かれ,前大統領と親しく雑談をするチャンスまで与えられた。

 帰りの飛行機はまだ便数が少ないので,Bangkok での乗り継ぎに6時間も待たされた。しかし最近のノートパソコンの発展は素晴らしく,プログラムの開発がほとんどノートパソコン上で出来てしまうようになったので,待ち時間をほとんど無駄にすることもなく旅行が非常にし易くなったのがありがたい。飛行機の中でもスペアーバッテリーさえ忘れずに持っていけば,雑事に煩わされない分だけかえって能率が上がる。

 かくして20時間の移動もあっという間に終わってしまって成田に戻ることが出来た。

(くわはら・くにお)


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