宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASニュース > 特別企画

アーカイブ

特別企画

エンジニアリングとは人間がものを創る行為である。
学問とは真理をめぐる人間関係である。


後編(完全版)

← 前編(完全版)

宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系
宇宙探査イノベーションハブ ハブ長
教授 國中 均

(ISASニュース 2016年1月 No.418掲載)

4.電気ロケットの奮闘

 日本で初めて電気ロケットの研究をされたのは、長友信人先生である。先生から頂いた講義録7)によると、イオンエンジンやMPDアークジェット、PPTを取り扱われ、マイクロ波スラスター(図3)にて博士論文を取得された。しかし、正式な論文としての出版はほんの一握りで、この経緯を知る方は少ない。現在の宇宙研工学に蔓延する論文を書かない風潮は、それはどうも長友先生に由来するらしい。その後、工藤勲氏 (旧電子技術総合研究所)、中村嘉宏氏(旧航空技術研究所)、栗木先生と、多くの方々が刺激されて、各組織で電気ロケットが芽吹く。長友先生の活躍は電気ロケットのみに留まらず、液酸液水ロケット・原子力ロケット・太陽発電衛星・SEPAC・SFU・宇宙旅行・宇宙農業など、次から次へと未来に向けた研究に着手し、多くの夢と同士と後輩を育てた。

図3 生産研究所所報の表紙に掲載された、長友先生が日本で初めて作ったマイクロ波プラズマ推進器

図3

生産研究所所報の表紙に掲載された、長友先生が日本で初めて作ったマイクロ波プラズマ推進器8)。左手前から右奥に掛けて、マグネトロン・導波管・方向性結合器・スタブチュナ・真空窓・共振器・真空容器・拡散ポンプと並ぶ。


 粘性流方程式は電磁流のそれと類似性があるので、多くの流体研究者はプラズマに興味を抱いていた。栗木先生は、当初層流から乱流への変化を研究されていたが、谷先生や佐藤浩先生に「プラズマの方が若い人の研究対象としてよろしいでしょう。」2)と薦められ、電磁プラズマ加速装置・MPDアークジェットの研究開発を進められた。1980年「たんせい4号」衛星に置ける10W級スラスター、1983年スペースシャトル上の人工オーロラ実験SEPACにて100W級スラスターと歩みを進めた。私は、1983年門下生となり、1988年に助手として採用いただいた。その頃はより大型の推進器を目指し、100万回パルス噴射といった地上作動試験に明け暮れて、1995年のSFU衛星に置ける1kW級スラスター実証試験に辿り着いた。この技術開発で判明した事実は、MPDアークジェットは1MWを作動レンジとしており、それを1/1000に圧縮し1kW級とするために、わざわざコンデンサに電力を貯めこむ。その質量は無視できない規模であり、小型探査機の主推進としてはどうしても成立できない。時を同じくして、MーVロケットを完成させて、いよいよ地球周回を離れ深宇宙に進出しようという気運が高まる。MーVロケット規模といえども、地球周回に2t、深宇宙にはたった500kgを投入する能力しかない。それでは、欧米ロに対峙するには非力を否めない。ロケットの大型化に頼らず、さらに到達距離を伸展させるには、探査機搭載推進器を高性能化するほかない。そこがまさに電気ロケットの出番なのだ。栗木先生はここに照準を合わせ、パルスでなく連続噴射型のスラスターとして、DCアークジェットとイオンエンジンをラインナップさせることを目標とした。特にイオンエンジンに関しては、欧米とは技術的一線を画してマイクロ波放電による無電極化にて長寿命・高信頼を図るとともに、省力化のためにマイクロ波源1台でイオン源と中和器へ同時に給電できないかと課題を出された。1989年に初めて試作した Yoshino1号エンジンは、実験室の小さな真空容器の中でプラズマ生成性能こそ低いものの、栗木先生の課題を見事に実証してみせた。翌年以降のYoshino2号、3号モデルは着実に性能を向上させていった。機器の研究開発と並行し、ミッション獲得を熱心に行った。当時宇宙研執行部の秋葉鐐二郎先生・松尾弘毅先生は電気ロケットをMロケットプログラムに導入することに積極的であった。月重力異常による高度低下を補償するために月探査機LUNARーAへDCアークジェットを利用する案、火星探査機PLANETーBの巡航にイオンエンジンを応用する案、といろいろ検討を行ったが、執行部の意図とは裏腹に実行レベルとなると、質量・性能・信頼性・開発費の制約により、冷淡な扱いを受けた。次に俎上に登ったのは、小惑星探査機MUSESーC。これに乗り遅れると一生出番が無くなるとの切迫感から、背水の陣でここに挑戦する。これ以降の経緯は文献9を参照されたい。

 上杉邦憲先生と川口淳一郎先生のご指導でやっと完成したMUSESーC改め「はやぶさ」小惑星探査機は、2003年にMーVロケット5号機にて深宇宙に投入され、紆余曲折を経て2010年地球帰還を果たした。お世話になった先生方に報いることができて、イオンエンジンが間に合ってほんとに良かった。NASA DeepSpece-1(1998年打ち上げ)やESASMART-1(2003年打ち上げ)の電気ロケットによる深宇宙動力航行に引けを取ることなく、日本の面目が立ったと肩の荷が降りた思いである。長友先生からは帰還運用中の頃であるが、以下の文章を頂いている7)

....................................................................................

Mロケット計画の将来計画サンプルリターン計画にイオンエンジンが採用されて、僕は試験用のタンクの設置に協力した程度ですが、ここまで成長したことは嬉しくてたまりません。

....................................................................................

栗木先生からは、カプセル着陸の翌日の日付で以下のお葉書をいただいた。

....................................................................................

國中君、清水君、山田君、舟木君、西山君、飯田君、堀内君「はやぶさ」成功、おめでとう。みんな、よかった、よかった。何はともあれお祝いまで。またゆっくりと。
2010年6月14日 栗木恭一

....................................................................................

ここに挙がる名前の面々は、栗木研の卒業生で、それぞれの組織・部署課で「はやぶさ」に貢献した。ある時、谷先生の1963年出版著述10)の最終章に、以下の記述を発見した。

....................................................................................

比推力を大幅に増す可能性は、化学反応を利用しないロケット推進、いわゆる非化学ロケット推進に求めるほかにはないようである。〜中略〜。このような原理に基づく非化学推進は、現在では試験または研究の段階にあるものばかりである。

....................................................................................

実に50年を要し世代を紡いで実用に到達し、日本の宇宙航空工学に貢献できたことに、感慨一入である。

 ここに世界に先駆けて初めて、「地球.小惑星往復探査」と「サンプルリターン観測法」が確立した。宇宙往復ミッションを終えて、図4に示すような order ofmagnitudeの技術革新を主張したい。「はやぶさ」以前では、望遠鏡やレーダーしか小惑星の観測手段はなく、その空間分解能は100mがせいぜいであった。「はやぶさ」がランデブーや着陸を果たした時、それは1mや1mmに改善された。採取された小惑星試料は、顕微鏡を介して1μmでその姿を現した。原子レベルの分析は、オングストロームの精度に至る。両者とも赤丸で囲む点に過ぎないが、図4の最左と最右の写真は隔世の技術差を示している。「小惑星サンプルリターン」が有効な観測手法であることを世界に知らしめた。「おおすみ」の頃、米国にはるか遅れて後塵を拝していたけれど、全領域とは言わないまでも「小惑星往復探査」という狭小だが新たな分野を「はやぶさ」にて開拓した。マイクロ波放電式イオンエンジンという日本独自のイノベーションにより、世界最小の深宇宙打ち上げシステムMーVロケットで、欧米ロに対抗できることを示した。戦争という負の面を認めつつ敢えて申し上げるなら、非力な栄や誉エンジンしか持たないゼロ戦・隼・紫電改でもって、2000馬力の米国グラマンヘルキャット戦闘機に真っ向勝負を挑んだのだ。海外の大型・高級車を向に回して日本の小型・軽自動車で世界を席巻してきた。たとえ、周回遅れにされたとしても絶対に諦めない、別の見方をすれば先頭集団の前を走っているのだから。劣勢は次なる飛躍を誘発し、後発は最新技術投入の好機である。このような「日本発のイノベーション」でますます Game Changeして世界の度肝を抜こうではないか。

図4 小惑星サンプルリターン観測法による測定分解能の飛躍的向上

図4

小惑星サンプルリターン観測法による測定分解能の飛躍的向上 [画像クリックで拡大]


 2012年、山浦雄一執行役(現JAXA筆頭理事)からの半強制で、「はやぶさ2」プロジェクトマネージャを仰せつかった。予算獲得に窮する状況下で、且つ3年半という短納期の重責を鑑みれば、可能ならばお断りしたい心境であった。しかし、ここまで宇宙研が貫いてきた「日本発のイノベーション」方式を実践しなければならぬの一念で、なんとか期日に間に合って健全は探査機を深宇宙に投入することが叶った。栗木先生が1995年、H2ロケット3号機打上に際しSFU衛星責任者として立ち会われた同じ場所の種子島宇宙センター総合指令棟にて、2014年に「はやぶさ2」探査機主任としてH2Aロケット26号機打上に臨することができたのは、幸せ以外のなにものでもない。初年度のイオンエンジンのノルマが手持ち無沙汰なほど良い軌道に投入してもらえた。500kg「はやぶさ」とほぼ変わらない質量の600kg「はやぶさ2」なのだから、MーVロケットでなくH2Aを持ってすれば、至極当たり前、当然といえば当然。ならば、もっと大きな深宇宙機が作れるかといえば、答えは否。次なる天井は開発コストである。300億円の範囲内で、これまでのヘリテージを温存しながらどこまで射程を伸ばせるかが、今後の工夫のしどころだ。既に手中に収めた技術を持ってすれば、月は元より火星だって木星ですら射程範囲内だ。技術だけでは足りない、それを駆使できる組織力と指導力、突破力を維持し続けなくてはならない。日本が切り開いた小惑星サンプルリターン観測法に、いよいよNASAが乗り出してくる。「はやぶさ」「はやぶさ2」を遥かに上回る、打上質量2t、経費1000億円という規模でOSIRISREx (Origins, Spectral Interpretation, Resource Identification, Security, Regolith Explorer)が進出してくる。逆の言い方をすれば、日本は「日本独自のイノベーション」を駆使して米国の1/3の規模で小惑星サンプルリターンが実施できる能力と意欲があるのだ。


5.宇宙工学の精神

図5 学問や技術開発・イノベーションのライフサイクル

図5

学問や技術開発・イノベーションのライフサイクル


 学問や技術開発・イノベーションのライフサイクルを図5のような「波」に例えてみたい。当初は夢の技術であったものが技術開発により事物として形になり、現場で実証され、使いこなされて汎用化して、そして身の回りの普段のローテクに変わる。谷先生は層流乱流研究で大きな波を作られた。糸川先生は固体ロケット技術で波を起こし、後進が大波に成長させた。長友先生はたくさんの小波を興し、それに刺激された仲間たちが液酸液水ロケット・電気ロケット・SEPAC・SFUを実現させ、その他の波も成長の最中だ。

 もちろん研究開発の全てが完成に漕ぎ着けられるとは限らないので、だからこそ期限内にその成果やそこまでの出来栄えを、論文や学会発表・試行などで世に問わなければならない。あまりにも難しかったり、時期尚早であったり、アプローチに誤りがあったりするならば、活動を中止して費用や設備や人材といった資源を解放するべきだ。研究開発というものはたいへん楽しい仕事であるから、成果を外に示すことを避けて、自己の趣味嗜好に走り、研究対象を自己の所有物か玩具のしまう例が散見されるが、戒めなければならない活動姿勢だ。研究者は、研究対象のライフサイクルを考えて適正な規模(費用・時間・人数)でアプローチすることが重要である。一人の手のひらに乗らない規模ならば、チームを作るあるいは世代を紡いだ計画にしなくてはならないし、持続的に継続できるようなシナリオも必要になろう。終わり方も難しい。糸川先生は、「ロケット屋の仕事は、研究開発さえすませば、あとはルーティン、サービスフライトからは手を引くべきだ。」5)と述べておられる。「波」をどうやって捕まえて、小波を大波にして乗りこなすか?1つにはセンス、2つには熱意・執念・確信、3つに切磋琢磨だと思う。

 流体力学の発展経緯や谷先生の業績から、科学史を捉えようとされている東大総合文化科学科橋本毅彦先生の論述からの抜粋を記載する11)

....................................................................................

工学者谷一郎と物理学者友近晋との研究者としての方針と研究上の目的の差異を見てとることができるように思われる。物理学者は境界層とそこにおける層流と乱流の振る舞いという謎に満ちた自然現象を理論的にも実験的にも解明していくことにあくまでこだわる。工学者は自然現象の完全な解明にはこだわらず、ある程度十分な物理学的解明がなされれば、その知見をもとにして一気に技術的な開発へと歩を進めていく。

....................................................................................

「エンジニアリング・センス」とも言えるこの感覚が、必須だ。工学の真理は、実物としての実体化し、イノベーションを起こすことだ。小規模でも構わないので実証して実力の片鱗を世に示し、一人でできないのなら協力者も集め、必要ならスポンサーを探し、コンポーネントからシステムにステップアップするシナリオを作り、研究成果をすこしでも社会に還元する努力を怠ってはいけない。


 本稿の第1章に、周囲からのノイズに心乱すということを書いた。私の経験を書いておこう。1997年頃、イオンエンジン開発に大きな問題を抱えていた。MUSESーCの開発スケジュールに合わせるには残り時間が少ないのに、解決できる目処が一向に立たない。もう辞めさせてくれと栗木先生に弱音を吐いた。先生は「まずはスペシャリスト・専門バカを目指せ。ジェネラリストには後からでもなれる。イオンエンジンと言えば國中だと思われるようになれ。」と言われた。精神論だけではなにも解決にはならないのだが、ひたすら身を粉にして働き、愚直に実験を繰り返した。もう時間切れ、これが最後と挑んだ試行で、光明が見えた。信念と確信が未来を拓いた例であろう。

 SFU・はやぶさ・はやぶさ2というシステム開発を経験し学んだことは、一サブシシテムが他から突出して抜きん出ても無意味である。全サブシステムが協調して、初めてシステム成立するのだ。サブシステムのエゴを強要し、システム全体が崩壊して、誰の幸せだろうか?エゴがまかり通るような個人1人の手のひらに乗る規模の研究ならば、仕事場を宇宙研に限ることもなく、もっと居心地のよい環境が他にあるように思う。宇宙研ならではの規模の仕事に、各々が専門性を発揮して主体的に参加できることが大いなる魅力だ。

 百戦錬磨の敏腕な研究者だって、その課題の重要性や解決手法が直ぐ様に分かるわけではない。優秀な先生とめぐり逢い影響を受けて、多くの人と議論し、信頼の置ける仲間を得て、ライバルと切磋琢磨しながら、枝葉を切り落とし真理真髄を徐々に露わにさせるのだ。規模が大きくなれば尚更一人だけでは進められず、多くの人達との共同作業となる。僕は、素晴らしい諸先生に巡り会い、先輩らの指導を受け、良き同僚に恵まれ助けてもらい、後輩たちの献身的な尽力で、今まで生きながらえていることが、正にその証拠である。偶然の出会いを見逃さず予想外のものを発見する感覚をセレンディピティー(serendipity)と言うことをごく最近栗木先生から教えて貰った。(本稿第3章、「谷一郎・糸川英夫の活躍を通して見る日本の航空宇宙工学に関する研究」も、セレンディピティーの例かも。)長友先生の最終講義7)で、「エンジニアリングとは人間がものを創る行為である。学問とは真理をめぐる人間関係である。」と述べられた。本稿のタイトルは、長友先生の言を借用させていただいた。工学者が夢の技術を形にしてその成否や真価を世に問う、という活動に議論の余地はなかろう。本稿第3章で説明した組織の沿革に伴う経験や反省を踏まえた上で、これからも日本のお手本となりイノベーションを巻き起こし、世界を先導しながら宇宙事業を遂行することに迷いはないはずだ。「はやぶさ」が帰って来た時、世界中が喜んでくれて、思いもかけず映画が3つも4つも出来上がった。「はやぶさ」は、宇宙業界やアカデミアが取りがちな内向性を飛び越えて、日本中世界中から支持された。皆が応援してくれたお陰で、今「はやぶさ2」が宇宙を航海し、次の新たな小惑星を目指している。長友先生のご遺志の後半は、決して学問分野にだけ留まるものでないことを示している。

 2003年のJAXA統合になってから、手続き手順、特に契約方式が複雑になり、速やかに研究できなくなったとか、よろず不毛な管理が増えて住みにくくなったとか、校費がどんどん圧縮されるとか、不満の述べると枚挙の暇がない。しかし、悪いことばかりではない。私にとっては40半ばと年齢的な要因もあり、仕事の裾野が「宇宙科学」から「全宇宙」に広がった。それまでの宇宙研の因習的閉ざされた環境から、公開された情報の下での競争原理に基づくタスク獲得ディベートが許され、その結果、企業支援としてイオンエンジン世界販路開拓・海外宇宙機関との共同事業・小型衛星への搭載機会・エンターテイメント共同事業社開拓・衛星設計標準作り・国際宇宙探査活動などなど多くの仕事をいただき、縦横無尽の活動領域を得た。川口先生が主宰された全組織を横断する月惑星探査プログラムグループ(JSPEC)事業や、事業団出身者による献身的尽力で成功に漕ぎ着けた「はやぶさ」「はやぶさ2」プロジェクトに参加させていただいた経験から、栗木先生から聞き及ぶ組織統合時の軋轢や痼は、今のJAXAには無いと思う。旧組織の文化を互いに尊敬し合い、人材が交流し、新体制を改善しようとする姿勢を感じる。この One-JAXA体制は、我々の誇りとしてよいと思う。むしろ、相模原起源の人材からJAXA全体への貢献が薄いことを憂慮する。

 さて、本年度から新たに「宇宙探査イノベーション・ハブ」事業12)を興した(図6参照)。JAXAは、太陽系内での宇宙活動を発展させ、月・小惑星・火星を人類の活動領域として取り込む活動「宇宙探査」を将来の新たな事業の一柱として捉えている。民間企業と共同で宇宙探査に資する技術を開発し、JAXAは効率的に宇宙探査を進めたい。一方、ここで培われた技術を適正に地上に還元し、地上活動・ビジネスとしてイノベーションをもたらすことを標榜している。これまでのようなJAXAのJAXAによるJAXAのための宇宙開発でなく、日本全体に資する宇宙探査の実現を目指す。「ハブ」の言葉が示すように、この新たな施策や仕組みが、技術や人や費用が交流するネットワークの要となることを期待している。年間10件の規模で、民間企業との共同開発を行い、「宇宙探査発のイノベーション」を興すべく、たくさんの「波」を発生させたい。相模原キャンパスを拠点に活動を拡大させる計画なので、お見知りおきを。

図6 宇宙探査イノベーション・ハブ事業の概念

図6

宇宙探査イノベーション・ハブ事業の概念。ハブ機構は、JAXA外の人材・技術・課題・費用を取り込み、研究開発を行う。ここで得た新技術をJAXAは宇宙探査に発展させ、一方参加組織は地上に波及させて新産業・ソリューション・イノベーションを興す。 [画像クリックで拡大]


 最後に個人的なことを言わせて欲しい。栗木先生・長友先生は米国航空宇宙学会AIAA Fellow会員であり、谷先生は最高位の Honorary Fellow会員でいらっしゃる。こんな私でも、きっと努力すれば先達に肩を並べることができるに違いないと、ここまで研究・開発・学術・教育・実証・プロジェクトに挑戦してきた。2012年に栗木先生を始め欧米の同僚に推挙され、念願叶いAIAA Fellow会員になることができた13)。これは私の大切な勲章である。


参考文献
7) 長友、東京大学大学院「宇宙工学特論第1」1996年度冬学期講義録、1996年10月
8) 生産研究所所報、 Vol.14, No.6,1962年
9) 國中、西山、清水、都木、川口、上杉、「小惑星探査機「はやぶさ」搭載マイクロ波放電式イオンエンジンの初期運用」、日本航空宇宙学会論文集、 Vol.52、No.602、 2004、 pp.129-134.
10) 谷一郎、「飛行の原理」、岩波新書、1963年
11) 橋本、「谷一郎の流体力学研究と層流翼の発明」、学術の動向、 2007.12、日本学術会議
12) http://www.ihub-tansa.jaxa.jp
13) 國中、「東奔西走: Up in the Air」、 ISASニュース No.376, 2012.7