No.276e
2004.3 号外

ISASニュース 2004.3 号外 No.276e 


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出 張 人 生 

内 田 右 武  


ペネトレータの打ち込み実験での作業

 初めて内之浦に連れられて行ったころは,夜行列車,車,船と30時間余りの長旅だった。乗り物に疲れ,内之浦に向かう車に揺られて眠っていると,車の天井に頭をぶつけて目を覚ます。また,うとうとしていると,天井に頭をぶつけて目を覚ます,という繰り返しであった。これが38年余りの出張人生の始まりだった。以来,K-10C-2号機の過酸化水素が漏れて段目に火がついて飛んでゆき,段目が地上に横になっていたこと,夜のカッパ型ロケット打上げの後,カメラのそばにコンクリートの塊が落ちていたこと,国産初の衛星「おおすみ」成功の喜びもあった。内之浦ではないが,発光雲のために使うナトリウム弾の実験では,噴き出し口が抜けずに爆発,手の甲に何かが当たったこともあった。いま考えるとゾッとすることである。



 出張は,ほとんど毎月あった。短くて3週間,長いときは7週間以上にも及んだ。ときには,内之浦から大気球の原ノ町,そして東京に帰って能代ということもあった。あるいは大気球が三陸に移ったころなどは,三陸,能代,三陸そして内之浦と,3カ月近くの間,東京に帰っても1日2日ということもあった。

 そんなとき,機材はすべて手持ちになる。記録写真と記録映画も撮っていたため,大きなトランクと大型三脚など,一人でつもつも運ぶことになる。駅まで官用車を出してもらい,駅のホームまでは運んでもらっても,列車に乗せるのが一苦労。一人で何回もホームと車内を往復したものである。到着駅では,乗客の一人がホームに下りてもう一人が窓を開け,荷物をバケツリレーで素早く出してもらったこともあった。こんなときは本当に人の情けが体に染み込む思いがした。久しぶりに東京に帰り繁華街を歩くときなど,人や車とのタイミングが取れずにまごつくこともあった。



 大気球といえば,原ノ町での思い出がある。連続して気球を揚げては観測,降ろしては揚げ,ときには失敗し,すぐに揚げるという連続で,ほとんど寝ることができないことがあった。何日目かの夜中,観測器の調整に時間がかかっていたので,送迎用のマイクロバスに潜り込んだ。少し横になったつもりだったが,目を覚ましたときは空が明るくなっていた。慌てて外に出てみると,気球は揚がった後であった。この年に揚げた気球の数は32機と,最多記録であったことを後で知った。

 慢性の寝不足状態のある夜,あまりの蒸し暑さにエアコンをつけて布団に潜り込んだ,普通はそのまま前後不覚になるところ,やたらに体がむずがゆく,たまらなくなり起き上がった。電気をつけ,寝巻きを脱いで広げてみると,背中に当たるところに大量のノミがいたのである。一晩中,ノミの大群と格闘をした。あまり使っていないエアコンだったのだろう。ノミの巣となっていたのである。



 宇宙航空研究所から宇宙科学研究所になるときに,私は光学観測に籍を移した。もっとロケットに密着したかったからである。最初の仕事はロケットチャンバーの耐圧試験で,破壊する瞬間を写すことであった。ひずみゲージは張り巡らしているが,どの時点で破壊するか分からない実験であった。何をトリガーにするか思いを巡らせた。破壊するときの音を拾ってカメラのシャッターを切ることにした。音では遅いのは分かっていても,ほかに思いつかなかった(今では高速度ビデオカメラでエンドトリガーにすれば簡単に撮ることができる)。

 ぺネトレータの打ち込み実験では,秒速250m以上の速度確認のため,高速度カメラを使うことになった。最初のペネトレータ打ち込み実験のころは,1秒間5000コマ前後のコマ速度を出せて数秒間写せる高速度カメラがなく,照明もない状態で実験に臨むことになった。手持ちのカメラは秒3000コマ,撮影できる時間は0.7秒,照明はフラッシュバルブを20個連続発光させることで対応した。

 SO-520推力中断試験では,原野の中延々2kmほどケーブルを引き回してカメラをセットしたことなど,どれも撮影条件を整えるのが並たいていのことではなかった。ただ,やりがいのある仕事を自分の判断で楽しくできたことが何よりであった。いい仲間がいたからこそ,これまで無事に過ごすことができたものと感謝致します。

 機関統合により1500人という大組織JAXAがスタートしました。組織が変わっても宇宙研の良いところ,現場でのチームワークの良さを大切に残していってほしいと切に願っております。皆さま,長い間本当にありがとうございました。

(うちだ・ゆうぶ システム運用部情報処理グループ) 



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