宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASメールマガジン > 2013年 > 第473号

ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第473号

★★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ISASメールマガジン   第473号       【 発行日− 13.10.15 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★こんにちは、山本です。

 今年は台風が多くて、南の暑い空気を運んできたり、北の冷たい風を呼び込んだり、10月だというのに真夏日になったりして、体調を崩している人が多いようです。

 読者の皆さんも体調には気をつけましょう。

 ここまで書いて去年の今頃のメルマガを読み返してみたら、同じようなことが書いてありました。

 要するに10月ってこんな感じなんですね

 今週は、学際科学研究系の斎藤芳隆(さいとう・よしたか)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:拝啓 山上先生
☆02:内之浦宇宙空間観測所 施設特別公開 11月10日(日)
☆03:宇宙学校・ひだー【船津座】10月27日(日)
───────────────────────────────────

★01:拝啓 山上先生

拝啓

 早いもので、先生がそちらにいらっしゃってちょうど一年となります。いかがお過ごしでしょうか。このたび、この場をお借りしてご報告させていただきたいのが、薄膜型高高度気球の話です。


 去る9月20日に、我々は2.8マイクロメートル厚のポリエチレンフィルムを用いて製作した体積80,000立方メートルの気球を放球し、高度53.7kmに到達させることができました。先生が指揮をとられていた頃に3回、さらに、2011年に1回の失敗をへて、ようやくの成功です。先に気球の最高高度記録を更新したのが2002年のことでしたから、かれこれ、11年もたってしまいました。


 私が高高度気球の話を伺ったのは、入所して最初に先生のお部屋に伺ったときのことだったと思います。1997年7月のことです。

先生は、気球グループでは高く飛翔できる気球の開発を進めていること、冬にそれまでの日本記録を更新して遂に高度50kmを越えたこと、世界記録が51.8kmでその更新を目指していること、そのためにアメリカから購入している6マイクロメートルよりも薄いフィルムの開発をして欲しいこと、をおっしゃいました。

検出器の開発だとか、X線天文衛星のデータ解析をしていた身としては面喰らいましたが、実際にはじめてみると、これまでのハードウエアの開発と同じようなもので、あっさりとフィルムの開発にハマりました。


 様々なプラスチックフィルムの引張試験をしながら、プラスチックフィルムの勉強をしました。当時は、ビニール袋がビニールでなくポリエチレンでできていることも、袋によって様々なプラスチックが使われていることも知りませんでした。

毎日、フィルムを引っ張っているうちに、ついつい喫茶店に入ったらおしぼりの袋を引っ張るようになってしまったのはこの頃のことです。


 先生は、メタロセン触媒を使ってつくったポリエチレンがよさそうだと、どうやって嗅ぎ付けたのですか。樹脂メーカーの研究員の方にフィルムを試作してもらったら、一気に5マイクロメートルの厚さの膜ができました。一緒になって面白がってくださって、成膜メーカーも探し出してくださいました。

今でもお付き合いがあって、先日も膜のガス透過率について相談にのっていただきました。ありがたいことです。成膜メーカーさんも面白がってくださって、早速、厚さ3.4マイクロメートルの膜をつくってくださいました。日本の底力ですね。


 なぜ薄い膜で気球を作ろうと思い立ったのかお聞きしたのはこの頃だったと思います。国際学会で大型気球を打ち上げる前に薄いフィルムでつくった小さな気球を打ち上げる話を聞いて、それだったら、その気球で軽いオゾン観測器で高い高度まで観測できるじゃないかと考えたと。加えて、一つの研究を成し遂げるには10年はかかるぞと。人生は短いぞと。お前は何をする気なのかよくよく考えろと言われた気がしました。


 厚さ3.4マイクロメートルのフィルムを使って作った体積1,000立方メートルの気球は上手く飛びました。その後は一年ごとに気球を大きくしていって、自然に辿り着くべきものとして、高度53kmに到達しました。先生はすごく喜んでいらっしゃいましたよね。


 当時はわかっていなかったんですが、これはすごいことです。むろん、30年ぶりに世界記録を更新したというのが表の話なんですが、それだけではないんですね。


 そもそも、コンセプト自体が新しいです。高さを追求するために、常識化していたフィルムの厚みにメスを入れたのです。これに気付いたとき、気球業界は、ただただ普通の気球を運用するに滞っているし、スーパープレッシャー気球という遥か昔に考え出されたコンセプトの実現に囚われているのだと自覚しました。


 それから尖ったことをやる波及効果。薄いフィルムができたことで、当然のように通常の気球につかうフィルムも作れるようになりました。薄いフィルムを溶着する装置を開発したことで、通常の気球も効率よく製作できるようになり、気球を海外から買わなくてすむようになりました。

国内のメーカーで気球が作れるようになると、新しい気球の開発がしやすくなります。その流れで、大重量を搭載できる気球の開発やスーパープレッシャー気球の開発が円滑に進みました。搭載機器も軽くしないとダメなので、テレメトリ、コマンドシステムの開発も進みました。


 最後に、みなが共感する大きな目標を掲げてグループを引っ張ったこと。これによりすべての開発が同じ方向を向き、細かいことまで取り決めずとも齟齬を生じさせずに開発が進みました。グループの一体感と開発の意欲が生れました。


 失礼ながら、先生はどこまで考えて、この研究をはじめられたのでしょうか。一度お聞きしてみたかったのです。先生は笑いながら、全部考えていた、とおっしゃると思いますが。


 世界記録に到達した後も、フィルムの開発を進め、翌年には2.8マイクロメートル厚のフィルムが作れるようになり、翌翌年にはこのフィルムで作った体積5,000立方メートルの気球の飛翔に成功しました。最初に世界記録の更新に挑戦したのが2005年のことでしたが、これから暗中模索がはじまりました。なぜか、上昇中に穴があくのです。


 先生が引退された後、我々は徹底的なフィルムの特性の調査を行ったり、気球の構造から要求される強度の再検討を行ったりしました。それでわかったのは、要するに2.8マイクロメートル厚のフィルムでは強度不足、ということでした。

地上でガスが入って膨らむ部分を二重化することで、ようやく、今回の成功に辿り着きました。たった700mを更新するのに11年です。人生短いですね。


 前回の世界記録を出した気球とくらべてみると色々なところに手が入っています。仕様で一番異なるのは、今回の気球は水平浮遊することができるよう、排気口をつけたことです。前回の気球はそれがなく、最高高度到達後、破裂するタイプでした。

到達高度では損をするのですが、最高高度で継続して実験ができるようにして、オゾン観測実験以外にも道を開いたのです。


 また、表からは見えないのですが、成膜機を開発して安定した成膜ができるようにしましたし、フィルムの幅を広くしてフィルム同士の溶着部を減らして気球の生産性や信頼性を向上させています。搭載機器も、送信機以外は、すべて更新されていて、その送信機もこの実験を最後に引退する予定です。

放球方法も、人の手を介さず、地上風の影響を避けられる装置を開発しました。むろん、前回は三陸での放球で、今回は大樹町でというのも違いますね。


 でも一番の違いは携った人かもしれません。前回の記念写真と今回とを見比べてみると、40人近くの人が写っている中で、両方にいるのはたったの5人です。


 2008年に気球の基地を大樹町に移してから、あまりよいニュースを届けられず、先生はもちろん、PIの方々、大樹町の方々、そして、三陸の方々にもヤキモキさせてしまいました。ようやく、みなさんに喜んでいただける報告ができたことをとても嬉しく思います。

一方で、こんなにも時間がかかってしまったという腑甲斐無さを悔しくも思います。なかなか素直に喜べないのは性格かもしれません。


 では、失礼して勝手に乾杯します。先生もそっちで先にやっててくださいね。先生の成果に、そして輝かしい気球の未来に、乾杯。

敬具

追伸:
すみませんが、しばらくはそちらにお伺いする予定はございません。どうぞご了承ください。むろん、おいしいお酒が呑める話はぼちぼちお届けするつもりです。


(斎藤芳隆、さいとう・よしたか)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※