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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第400号

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ISASメールマガジン   第400号       【 発行日− 12.05.22 】
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★こんにちは、山本です。

 配信が遅れて、申し訳ありません。………

 ISASメールマガジンは、今日で400号になりました。
記念に、ISASメールマガジンの生みの親である的川先生に原稿をお願いしました。

 「了解」の返事は来たのに、原稿はなかなか来なくて……

 昨日の「金環日食」観望会は、雨がパラついたりする中335名もの参加者がありました。雲の切れ間から金環日食を見ることもできました。

 日食の後も大勢の方が、キャンパスの見学を楽しまれていました。

 今週は、内之浦宇宙空間観測所 所長・宇宙飛翔工学研究系の峯杉賢治(みねすぎ・けんじ)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ISASメルマガ400号!
★02:内之浦宇宙空間観測所50周年
☆03:金環日食:観望会のご報告
☆04:JAXA松永教授らロシアのロケットで超小型衛星打上げを計画 ───────────────────────────────────

★01:ISASメルマガ400号!


 継続は力なり。400号という数字は、そのISASの活動のパワーを象徴する何よりの証ですね。また記事のそれぞれが実に宇宙科学の現場の雰囲気を次から次へと現出してくれて、読み進むにつれてどんどん引き込まれていきます。分野のバランスをとることへの編集者の心も非常に行き届いていることが、振り返ってみるとよく分かります。ここまでこのメルマガをリレーしてきたすべての人たちに心からの敬意と拍手を送ります。


 日本という国は、大きな政治が正常に流れていかない事態に立ち至っており、これから一体どういう方向に私たちの国の舵取りがされていくかについて、でっかい不安を抱えています。私たちの一人一人が、それぞれの職場において、与えられた仕事を誠実に果たすことは大事でも、それだけでは未来が拓けていかないと思っている人が多いでしょう。宇宙という視座は、それを時間的にも空間的にも克服していく絶対不可欠のものだと思うのですが、いかがでしょうか。


 その意味で、JAXAという組織の中での宇宙科学研究所の位置が重要になってきます。私たちは、
「どうだ、おれたちはいい研究をしてきるだろう。もっと応援してよ。
 もっと宇宙科学に予算がつくように、みんなに言ってよ」

という広報をしているのではないのでしょう。

「はやぶさ」が好きになった人たちの圧倒的に多くは、イオンエンジンにも太陽系の起源にも関心がない人が多く、それでもこれまでになく宇宙科学のミッションに感動し、共感しているという事実を重視する必要があります。


 もちろんその共感から、宇宙を好きになった人も多いし、科学に初めて関心を持った人も多いのは事実ですよ。そして当然JAXAの認知度も圧倒的に向上はしたでしょう。でも、本当はそんな小さなことが本質ではないのです。

この国に生活する人々に活力を注ぎ、その力をこの星に住む人々と生き物の未来のために貢献できるものを生み出したかどうか、子どもたちがこれからの世界を正しく築くための舞台を準備するのに役立ったかどうか、それこそが究極のミッション評価の基準であることを肝に銘じたいものです。


 ISASメルマガの随所には、そうした力強く素朴なメッセージが満ち満ちています。これからも次の400号をめざして、長期にわたる高いミッションを共有しながら、一丸となったチームワークの発露として、このメルマガを育てていってください。期待しています。

(的川泰宣、まとがわ・やすのり)

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★02:内之浦宇宙空間観測所50周年

 もうかなり前になりましたが、「そうだ、内之浦へ行こう!」という題名でこのメールマガジンに載せてもらいました。このときは、内之浦やロケット発射基地である内之浦宇宙空間観測所を紹介しました。これが決め手になったのか(?)、ご縁があり、この内之浦宇宙空間観測所の所長の任につきました。


 私が初めて内之浦を訪れたのは、学生見学としておよそ30年前になります。このときは、単なるあこがれの感情を抱いただけでしたが、それからおよそ10年の月日がながれ、再び、内之浦の地にM-3SII型ロケット7号機の打上実験班員として立ちました。そこから、およそ20年間にわたり、多いときで1年の4分の1をこの地で過ごして参りました。


 その間、いろいろなことがありました。M-V-1号機を打ち上げるまでは毎日深夜まで作業がおよび、私は徹夜を3回経験しました。このとき、地 元の方々は暖かい目で見守って下さり、また、激励の言葉をいただいたことで疲れた自分を発憤させることができました。

M-V-4号機の失敗もありました。自分が携わった衛星を自分が携わったロケットの不具合で軌道に入れることができなかった事実に対して、自分の感情が混乱してしまいました。自分では分からなかったのですが、今まで見せたことのない表情の私を町で見かけたある方は涙が止まらなかったというお話を後でうかがい、共に悲しんで下さったことをたいへんありがたく思いました。

M-V-7号機の打ち上げ後には、その成功を祝うと共にM-Vロケットが終わってしまったことへの口惜しさを町の方々が共に分かち合って下さいました。


 このような地元を初めとした多くの方々の暖かい理解が日本の宇宙開発を後押ししてきたことは、私だけでなく、この地で打上を行ってきた実験班員が皆強く感じていると思います。このことは、4度の失敗を乗り越えて日本初の人工衛星「おおすみ」の打上を成功したときに、実験のリーダーであった野村先生が、

「内之浦のある鹿児島県大隅半島の方々はつねに我々に暖かい支持と熱い激
 励を送り続けた。これらの人々は、日本の宇宙開発の恩人として長く人々
 の心に残り続けるだろう。」

と語ったことに如実に表れていると思います。これほど、地元の方々に愛されて、物心共に支えられたロケット発射基地は世界広しといえどもここが一番だと私は勝手に自負しています。


 この内之浦宇宙空間観測所が起工式から数えて今年で50年になります。
その起工式ではお祝いとしてロケットが打ち上げられていますので、鹿児島から初めてロケットが打ち上げられてから今年で50年ということにもなります。これを記念して、11月10日に50周年記念式典を催す予定です。また、毎年開催する観測所の特別公開もその翌日の11日に開催する予定です。


 更に、今年は、日本の宇宙開発の父であり、肝付町のこの地にロケット発射基地の建設を決めた糸川先生の生誕100年に当たるため、肝付町が中心となって生誕100周年を祝う行事もこの時に合わせて行う予定です。

この100周年の記念行事のひとつとして、糸川先生の銅像を建立する計画が進んでいます。まだ、調整中ですが、観測所内の太平洋を見下ろせる場所に建立する予定です。

現在、町ではこの銅像建立のための協賛金を募集しています。
詳しくは、肝付町ホームページ
新しいウィンドウが開きます http://kimotsuki-town.jp/5239.htm
をご覧になって下さい。

私は、この銅像は、単なる個人の記念碑ではなく、先人達の功績を讃えると共に、過去、現在、そして、未来への日本人の宇宙に対する憧れと挑戦の意志を象徴するものと思っています。


 それでは、秋に皆様方にお会いできることを楽しみにしています。


(峯杉賢治、みねすぎ・けんじ)

ISASメールマガジン 第37号「そうだ、内之浦へ行こう!」
http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/2005/back037.shtml

ISASメールマガジン 第116号「名付ける」
http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/2006/back116.shtml

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※※※ ☆03以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※