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ISASメールマガジン 第389号
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ISASメールマガジン 第389号 【 発行日− 12.03.06 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★こんにちは、山本です。
今度の日曜日は 3月11日 東日本大震災から1年になります。
先日、メルマガの原稿をお願いしようと曽根さんに連絡したところ、
「東日本大震災で被害にあった 福島の電池メーカーに行った話を、1周年を前に書きたいのですが……」
とのこと。
「モチロン、宜しくお願いします。」
ということで、
今週は、宇宙の電池屋こと曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。
── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 ー タクシー・ドライバー ー
☆02:はやぶさが採取したイトカワの微粒子に微小クレーター
☆03:展示室 臨時休館のお知らせ
☆04:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
───────────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 ー タクシー・ドライバー ー
去年の暮れぐらいから、白い犬が宇宙に行くコマーシャルが流れていた。
実は、我が家にも、昨年8月から犬が来た。
彼女は、ボーダーコリーの「こむぎ」。
今にいたってもまだ、生後一年に満たない。
震災で、失われた命。
飼い主を失ったペット。
震災にかかわらず、捨てられる生き物たちがいる中で、この時勢に子犬をペットとして飼いはじめて良いのだろうか。よしんば、もし我が家に「ペット」を迎えるとして、誰かに見捨てられてしまった命から迎え入れるのが筋のようにも感じていた。
でも、ある日曜日、生後間もない命の写真を子供が持ってきたとき、
「もしもこの命を我が家が迎えなかったら、結局どこかにうち捨てられてしまうことになるのかも知れない」
という思いがよぎった。その日は、関東に台風が直撃する日だった。
「お父さん、この台風の中で、この子は今夜、不安な夜を迎えるのでしょう。かわいそうです。」
その言葉は、動物が苦手な僕の心を動かすには、充分だった。
僕が、生き物と同居するのを苦手としていることは、家族の皆が知っていた。
僕が二つ返事でOKを出したことに、家族は驚いていた。
地震以来、色々なことでかみ合わない家族を、この犬が繋いでくれた。
彼女は、美人だ。
彼女は、かわいい。
僕がピアノを弾くと、「アオ〜ン!」と遠吠えをする。
僕は、出勤前にいつも話しかける。
「お父さんは、お前のごはん代を稼ぎに行ってくるからな。」
それからしばらくした頃、白い犬が宇宙に行く話が、テレビで流れていた。
古川宇宙飛行士が、白い犬に言っていた。
「最初に宇宙に行ったのは、犬ですから〜」
そう、・・・・・・そうなのだ。
目をつむった僕のまぶたに、太古の里山の景色がよぎった。
昔、夜空を見上げた狼がいた。狼は、星空が好きだった。毎夜、星を見ながら、遠吠えをし、その美しさを讃えていた。
狼は思った。
「宇宙に行きたい。」
ただ、彼は、自分の手足をみて思った。
「こんな団子のような肉球では、宇宙船は作れない・・・・・・。」
彼はトボトボと里に下りた。そこには「毛のない猿」がいた。器用に「手」を使っている。
猿はドンクサかった。狩りが下手だ。手伝ってやったら、やたらと喜んだ。
「こいつらを鍛えて、宇宙船を作らせよう。」
それから、狼と猿の共同生活が始まった。
主人づらをする猿にせっせと働かせ、猿が車を作り、飛行機を作り、いよいよ宇宙船を開発したとき、その横にはこの眷属がいた。
「へへ、へへ、へへ、へへ、・・・・・・」
つぶらな瞳で、しっぽを振りながら、ぺろぺろなめてくる「犬」を前に、は思った。
「まだちょっと危ないかも、・・・・・・。まず、こいつを飛ばそう。」
そうして、地球生物として最初の宇宙飛行の栄誉を、この眷属は手にした。
なんてしたたかな生き物だろう。
白い犬が言っていた。
「よし、宇宙に行くぞ。」
ふ・ざ・け・る・な〜〜〜〜〜!
そんな簡単に、宇宙飛行士に、な・ら・れ・へ・ん・わ〜!
「ポチッとな。」
そのシーンの度に、僕はテレビのリモコンのオフボタンを押していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
昨年12月末、僕は福島県いわき市にいた。
この街は、色々な意味で思い出の街だった。
かみさんの実家は、いわき市から更に北に進んだ小さな町だった。
駅前の桜並木がきれいなことで有名な町だった。
かみさん(当時は彼女)の実家に初めて訪ねていく時、心細かった気持ちは、生涯忘れないだろう。その頃、常磐高速はいわきインターまでしか繋がっていなくて、いわきで高速を下りた僕は、カーナビも持っていなくて、迷子になった。
かみさんの育った家の前には牛舎があって、近くの田んぼには蛍が出て、話では狐が遊びにくることもある、そんな町だった。美しい景色の思い出ばかりが、懐かしい。
筑波から相模原に移った直後、「あかり」の電池の納入立ち会いで、初めていわき市にある電池メーカにお伺いした。仕事でいわき市に行ったのは、これが最初だった。
「ひので」の打ち上げの直前に義父を見送ったのも、いわき市だった。
子供達をつれて小名浜港に、うに/いくら丼を食べに行ったこともあった。
12月、僕は常磐線に乗った。
水戸を通過し、日立を通り過ぎてしばらくすると、海の景色が見え始める。とてもきれいだ。
川のせせらぎも、電車から川床がわかるほどにきれいだった。
いわき駅の手前、湯本駅で電車を降りた。
「フラガール」という映画のポスターが貼ってある。
そう、「フラガール」は、この街の映画だ。
いわきの温泉は、とても肌になじむお湯だ。海の幸に、山の幸もおいしい。
ゆったりと心が休まる、人心地がつく街だ。
この街で、「はやぶさ」の電池は産まれた。
「是を是となし、非を非としなさい。」
筑波を離れる時、元上司から言われた言葉だった。
「筑波で開発していた電池や、そのときに仕事をした電池メーカのことは、経験として持っていればよい。宇宙研には宇宙研の開発のやり方があり、成果を挙げているのだから、まずは宇宙研の仕事の仕方を覚えることに徹するのがよかろう。」
頭で解ってもなかなかに難しいことではあった。でも、この言葉を胸に、志をもって、家族をつれて相模原に移った。
初めていわきの電池メーカにお伺いした際に、メーカの関係者の方達に、元上司からのこの言葉を伝えた。
「何々流を持ち込むつもりはございません。ですので、どうか、よろしくお願い致します。」
それでも、色々な設備を見せて頂きながら、
「最初は、この設備からのスタートでした。」
と、とある巻き取り機(装置というにはちょっと・・・)を前に言われた時、
「あなたは、驚いた時に、思わず眉毛が内側中央方向に上がる。」
との、かみさんの言葉を思い出しながら、驚きを顔に出さないことに全力を使っていた。
今をして、手前味噌なことを言うが、僕はいわきの電池メーカの方達とは、心からの信頼関係ができていると思っている。
地震の後、お互いの無事を確認した。
営業さんからも技術屋さんからも、「みんな無事です」との言葉。
信じられないくらい短期間にラインが復活した連絡を受けた。
「はやぶさ2のEMの製作には支障を来しません。安心して下さい。」
EMとは、エンジアリング・モデルの略。
(ちなみに、エンジア・リングモデルではない。内輪うけです、すみません。理解してくれるのは大阪市立科学館の方達か、大阪カプセル展示に集まってくれた一部の方達くらいだろうか・・・。)
フライトに使用するFM(フライトモデル)に先んじて、設計の妥当性を検証するための試作品であり、プロジェクトにとってはとても大事な位置づけの「物作り」になる。
「こんな大変な時に、はやぶさ2に心を砕いて頂き、申し訳ありません。プロジェクトの電源担当として、心して承りました。」
年の瀬のころ、いわきにいかなければならないと思った。
プロジェクトメンバーとして進捗を確認する必要がある。
どうにか一日を確保した。
現場を前に、会って話したいことはたくさんあった。
ディスカッションを始めると、エンドレス。なんて楽しい時間だろう。
同じ方向性を持っている技術の話は、つきることを知らない。
進捗段階にある現物も確認し、ラインも確認させてもらい、治具も、特殊な装置も見た。
担当としての確信をもって、成果を待てる状態だと感じた。
日が暮れ、そろそろお暇しないと最終の電車が気になる時間になった。
「とても大変な年でしたが、来年がどうか、良い年になりますように。」
僕は、電池メーカを後にした。
とっぷりと日は暮れ、山の中の工場から駅までは、交通手段に難儀をする。
タクシーを呼んで頂き、駅に向かった。
タクシーに乗り込むと、懐かしい抑揚で話しかけられた。
(本当は、郷のお言葉でしたが、関東弁に直します。)
「お客さん、今、あの電池メーカで打合せだったの?
あの電池メーカがどういうメーカか、知ってます?」
「?」
「あの電池メーカはね、はやぶさの電池を作ったんですよ。
お客さん、『はやぶさ』って、知ってます?
イトカワって小惑星に行って、砂を拾って帰ってきたんですよ。
凄い技術ですよね。
その電池を作ったのが、このメーカなんですよ。
電池ってね、とっても大事なんですよ。
解ります?
ないと困るでしょ。
それを作っちゃったんですよ。凄いでしょ。
本当に地震からこのかた大変なんだけどね、でもね、こういう凄いことを
やってのけるメーカが、この街にはあるんですよ。
凄いでしょ。
でもねえ、はやぶさの2号機ってのが今、予算で苦労しているらしんだよ。
とんでもないよね。
何とかして欲しいよ。」
敢えて言う。
これは、作り話ではない。
敢えて言う。
この街は、被災地である。
復興のためには、お金が要る。
その街のタクシーの運転手さんが、はやぶさ2の予算を心配してくれる。
なんてえことだ。
シャイな僕は、まさか
「少しですが関係者です」
とも名乗れず、モゾモゾするしかない。話題を変えようと思った。
「凄いですね。そういえば、この街ってフラガールでも有名ですよね。」
「・・・・・?
ああ〜、フラガールね。
そうそう、あれも、うん、この街だよね。
ハワイアンもさ〜、地震で大変で、でも復活のために頑張ってて・・・。」
フラガールは良い映画だ。豊川悦司さんは、僕の大好きな俳優さんだ。
「12人の優しい日本人」とか、そのほかにも、どんな映画に出たときも、とっても味のある役者の「演技」を見せてくれる俳優さんだと思うし、その豊川さんが出ていたフラガールは大好きな映画の一つだ。
その上で、更に敢えて言わん。
「こんな街は、世界のどこにもない!」
「おらの街の電池メーカは探査機の電池を作る凄いメーカだ!」
と、タクシーの運転手さんが、やわら乗客に自慢を始める街なんて、絶対に、世界の、どこにも、ありえない。
日本映画の中に確固たる成果を残した映画よりも、すんばらしい温泉よりも、電池の自慢を始めるタクシーの運転手さんがいる街なんて、絶対にない。
本当につらい年だったはずだ。その中で、故郷の復興の予算よりも、はやぶさ2の予算を心配してくれるなんて、あ・り・え・な・い。
電車を待つ間、僕は駅におかれているポケットサイズの小さな時刻表を手に取った。
何か、手書きで線が引かれていた。なんだろう。
よく見ると、いわき駅から北の駅の名前が、到着時刻が、マジックペンで消されていた。
家内の育った町の名前も、消されていた。
なんとかせにゃあ、いかん。
なさけない。
家族のケアもできない僕の力で何ができるのか、正直、わからない。
僕には、今、目の前の仕事を頑張ることしかできない。
でも、頑張る。
もしもそのことで、街のタクシーの運転手さんを元気づけることができるのなら、僕は頑張る。
がんばっぺ。
(曽根理嗣、そね・よしつぐ)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※
ISASメールマガジン 第389号 【 発行日− 12.03.06 】
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★こんにちは、山本です。
今度の日曜日は 3月11日 東日本大震災から1年になります。
先日、メルマガの原稿をお願いしようと曽根さんに連絡したところ、
「東日本大震災で被害にあった 福島の電池メーカーに行った話を、1周年を前に書きたいのですが……」
とのこと。
「モチロン、宜しくお願いします。」
ということで、
今週は、宇宙の電池屋こと曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。
── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 ー タクシー・ドライバー ー
☆02:はやぶさが採取したイトカワの微粒子に微小クレーター
☆03:展示室 臨時休館のお知らせ
☆04:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:宇宙の電池屋 ー タクシー・ドライバー ー
去年の暮れぐらいから、白い犬が宇宙に行くコマーシャルが流れていた。
実は、我が家にも、昨年8月から犬が来た。
彼女は、ボーダーコリーの「こむぎ」。
今にいたってもまだ、生後一年に満たない。
震災で、失われた命。
飼い主を失ったペット。
震災にかかわらず、捨てられる生き物たちがいる中で、この時勢に子犬をペットとして飼いはじめて良いのだろうか。よしんば、もし我が家に「ペット」を迎えるとして、誰かに見捨てられてしまった命から迎え入れるのが筋のようにも感じていた。
でも、ある日曜日、生後間もない命の写真を子供が持ってきたとき、
「もしもこの命を我が家が迎えなかったら、結局どこかにうち捨てられてしまうことになるのかも知れない」
という思いがよぎった。その日は、関東に台風が直撃する日だった。
「お父さん、この台風の中で、この子は今夜、不安な夜を迎えるのでしょう。かわいそうです。」
その言葉は、動物が苦手な僕の心を動かすには、充分だった。
僕が、生き物と同居するのを苦手としていることは、家族の皆が知っていた。
僕が二つ返事でOKを出したことに、家族は驚いていた。
地震以来、色々なことでかみ合わない家族を、この犬が繋いでくれた。
彼女は、美人だ。
彼女は、かわいい。
僕がピアノを弾くと、「アオ〜ン!」と遠吠えをする。
僕は、出勤前にいつも話しかける。
「お父さんは、お前のごはん代を稼ぎに行ってくるからな。」
それからしばらくした頃、白い犬が宇宙に行く話が、テレビで流れていた。
古川宇宙飛行士が、白い犬に言っていた。
「最初に宇宙に行ったのは、犬ですから〜」
そう、・・・・・・そうなのだ。
目をつむった僕のまぶたに、太古の里山の景色がよぎった。
昔、夜空を見上げた狼がいた。狼は、星空が好きだった。毎夜、星を見ながら、遠吠えをし、その美しさを讃えていた。
狼は思った。
「宇宙に行きたい。」
ただ、彼は、自分の手足をみて思った。
「こんな団子のような肉球では、宇宙船は作れない・・・・・・。」
彼はトボトボと里に下りた。そこには「毛のない猿」がいた。器用に「手」を使っている。
猿はドンクサかった。狩りが下手だ。手伝ってやったら、やたらと喜んだ。
「こいつらを鍛えて、宇宙船を作らせよう。」
それから、狼と猿の共同生活が始まった。
主人づらをする猿にせっせと働かせ、猿が車を作り、飛行機を作り、いよいよ宇宙船を開発したとき、その横にはこの眷属がいた。
「へへ、へへ、へへ、へへ、・・・・・・」
つぶらな瞳で、しっぽを振りながら、ぺろぺろなめてくる「犬」を前に、は思った。
「まだちょっと危ないかも、・・・・・・。まず、こいつを飛ばそう。」
そうして、地球生物として最初の宇宙飛行の栄誉を、この眷属は手にした。
なんてしたたかな生き物だろう。
白い犬が言っていた。
「よし、宇宙に行くぞ。」
ふ・ざ・け・る・な〜〜〜〜〜!
そんな簡単に、宇宙飛行士に、な・ら・れ・へ・ん・わ〜!
「ポチッとな。」
そのシーンの度に、僕はテレビのリモコンのオフボタンを押していた。
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昨年12月末、僕は福島県いわき市にいた。
この街は、色々な意味で思い出の街だった。
かみさんの実家は、いわき市から更に北に進んだ小さな町だった。
駅前の桜並木がきれいなことで有名な町だった。
かみさん(当時は彼女)の実家に初めて訪ねていく時、心細かった気持ちは、生涯忘れないだろう。その頃、常磐高速はいわきインターまでしか繋がっていなくて、いわきで高速を下りた僕は、カーナビも持っていなくて、迷子になった。
かみさんの育った家の前には牛舎があって、近くの田んぼには蛍が出て、話では狐が遊びにくることもある、そんな町だった。美しい景色の思い出ばかりが、懐かしい。
筑波から相模原に移った直後、「あかり」の電池の納入立ち会いで、初めていわき市にある電池メーカにお伺いした。仕事でいわき市に行ったのは、これが最初だった。
「ひので」の打ち上げの直前に義父を見送ったのも、いわき市だった。
子供達をつれて小名浜港に、うに/いくら丼を食べに行ったこともあった。
12月、僕は常磐線に乗った。
水戸を通過し、日立を通り過ぎてしばらくすると、海の景色が見え始める。とてもきれいだ。
川のせせらぎも、電車から川床がわかるほどにきれいだった。
いわき駅の手前、湯本駅で電車を降りた。
「フラガール」という映画のポスターが貼ってある。
そう、「フラガール」は、この街の映画だ。
いわきの温泉は、とても肌になじむお湯だ。海の幸に、山の幸もおいしい。
ゆったりと心が休まる、人心地がつく街だ。
この街で、「はやぶさ」の電池は産まれた。
「是を是となし、非を非としなさい。」
筑波を離れる時、元上司から言われた言葉だった。
「筑波で開発していた電池や、そのときに仕事をした電池メーカのことは、経験として持っていればよい。宇宙研には宇宙研の開発のやり方があり、成果を挙げているのだから、まずは宇宙研の仕事の仕方を覚えることに徹するのがよかろう。」
頭で解ってもなかなかに難しいことではあった。でも、この言葉を胸に、志をもって、家族をつれて相模原に移った。
初めていわきの電池メーカにお伺いした際に、メーカの関係者の方達に、元上司からのこの言葉を伝えた。
「何々流を持ち込むつもりはございません。ですので、どうか、よろしくお願い致します。」
それでも、色々な設備を見せて頂きながら、
「最初は、この設備からのスタートでした。」
と、とある巻き取り機(装置というにはちょっと・・・)を前に言われた時、
「あなたは、驚いた時に、思わず眉毛が内側中央方向に上がる。」
との、かみさんの言葉を思い出しながら、驚きを顔に出さないことに全力を使っていた。
今をして、手前味噌なことを言うが、僕はいわきの電池メーカの方達とは、心からの信頼関係ができていると思っている。
地震の後、お互いの無事を確認した。
営業さんからも技術屋さんからも、「みんな無事です」との言葉。
信じられないくらい短期間にラインが復活した連絡を受けた。
「はやぶさ2のEMの製作には支障を来しません。安心して下さい。」
EMとは、エンジアリング・モデルの略。
(ちなみに、エンジア・リングモデルではない。内輪うけです、すみません。理解してくれるのは大阪市立科学館の方達か、大阪カプセル展示に集まってくれた一部の方達くらいだろうか・・・。)
フライトに使用するFM(フライトモデル)に先んじて、設計の妥当性を検証するための試作品であり、プロジェクトにとってはとても大事な位置づけの「物作り」になる。
「こんな大変な時に、はやぶさ2に心を砕いて頂き、申し訳ありません。プロジェクトの電源担当として、心して承りました。」
年の瀬のころ、いわきにいかなければならないと思った。
プロジェクトメンバーとして進捗を確認する必要がある。
どうにか一日を確保した。
現場を前に、会って話したいことはたくさんあった。
ディスカッションを始めると、エンドレス。なんて楽しい時間だろう。
同じ方向性を持っている技術の話は、つきることを知らない。
進捗段階にある現物も確認し、ラインも確認させてもらい、治具も、特殊な装置も見た。
担当としての確信をもって、成果を待てる状態だと感じた。
日が暮れ、そろそろお暇しないと最終の電車が気になる時間になった。
「とても大変な年でしたが、来年がどうか、良い年になりますように。」
僕は、電池メーカを後にした。
とっぷりと日は暮れ、山の中の工場から駅までは、交通手段に難儀をする。
タクシーを呼んで頂き、駅に向かった。
タクシーに乗り込むと、懐かしい抑揚で話しかけられた。
(本当は、郷のお言葉でしたが、関東弁に直します。)
「お客さん、今、あの電池メーカで打合せだったの?
あの電池メーカがどういうメーカか、知ってます?」
「?」
「あの電池メーカはね、はやぶさの電池を作ったんですよ。
お客さん、『はやぶさ』って、知ってます?
イトカワって小惑星に行って、砂を拾って帰ってきたんですよ。
凄い技術ですよね。
その電池を作ったのが、このメーカなんですよ。
電池ってね、とっても大事なんですよ。
解ります?
ないと困るでしょ。
それを作っちゃったんですよ。凄いでしょ。
本当に地震からこのかた大変なんだけどね、でもね、こういう凄いことを
やってのけるメーカが、この街にはあるんですよ。
凄いでしょ。
でもねえ、はやぶさの2号機ってのが今、予算で苦労しているらしんだよ。
とんでもないよね。
何とかして欲しいよ。」
敢えて言う。
これは、作り話ではない。
敢えて言う。
この街は、被災地である。
復興のためには、お金が要る。
その街のタクシーの運転手さんが、はやぶさ2の予算を心配してくれる。
なんてえことだ。
シャイな僕は、まさか
「少しですが関係者です」
とも名乗れず、モゾモゾするしかない。話題を変えようと思った。
「凄いですね。そういえば、この街ってフラガールでも有名ですよね。」
「・・・・・?
ああ〜、フラガールね。
そうそう、あれも、うん、この街だよね。
ハワイアンもさ〜、地震で大変で、でも復活のために頑張ってて・・・。」
フラガールは良い映画だ。豊川悦司さんは、僕の大好きな俳優さんだ。
「12人の優しい日本人」とか、そのほかにも、どんな映画に出たときも、とっても味のある役者の「演技」を見せてくれる俳優さんだと思うし、その豊川さんが出ていたフラガールは大好きな映画の一つだ。
その上で、更に敢えて言わん。
「こんな街は、世界のどこにもない!」
「おらの街の電池メーカは探査機の電池を作る凄いメーカだ!」
と、タクシーの運転手さんが、やわら乗客に自慢を始める街なんて、絶対に、世界の、どこにも、ありえない。
日本映画の中に確固たる成果を残した映画よりも、すんばらしい温泉よりも、電池の自慢を始めるタクシーの運転手さんがいる街なんて、絶対にない。
本当につらい年だったはずだ。その中で、故郷の復興の予算よりも、はやぶさ2の予算を心配してくれるなんて、あ・り・え・な・い。
電車を待つ間、僕は駅におかれているポケットサイズの小さな時刻表を手に取った。
何か、手書きで線が引かれていた。なんだろう。
よく見ると、いわき駅から北の駅の名前が、到着時刻が、マジックペンで消されていた。
家内の育った町の名前も、消されていた。
なんとかせにゃあ、いかん。
なさけない。
家族のケアもできない僕の力で何ができるのか、正直、わからない。
僕には、今、目の前の仕事を頑張ることしかできない。
でも、頑張る。
もしもそのことで、街のタクシーの運転手さんを元気づけることができるのなら、僕は頑張る。
がんばっぺ。
(曽根理嗣、そね・よしつぐ)
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