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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第357号

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ISASメールマガジン   第357号       【 発行日− 11.07.26 】
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★こんにちは、山本です。

 今週末は 相模原キャンパスの特別公開です。束の間の涼しさ(むしろ寒かったのですが)は去って、また暑い日が続きそうです。

 ウェブページにも 【のみものをご用意ください】と書いてありますが、熱中症対策は万全にして お出かけください。

 今年の特別公開では、去年から広報に利用している twitter とは別の特別公開専用サイト(⇒ 新しいウィンドウが開きます http://twitter.com/#!/ISASopen )で、新着情報を確認しましょう。

 今週は、約3年ぶりに登場の名誉教授・平林 久(ひらばやし・ひさし)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:上海の朝と夕
☆02:相模原キャンパス特別公開(7月29日・30日)
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:上海の朝と夕


 2010年の12月から中国科学院の外国人客員教授として上海天文台にいます。すでに7ヶ月が経ちましたが、この間の特別級の出来事が日本を襲った今回の災害です。その次に気にかかることは身を置いてみて思い、感じる現在の中国のことです。それから、わたしたちが進めてきた研究の流れと未来です。
どれもたいへん気にかけていることで、書き出すとながくなってしまうでしょう。今回はただ、上海で個人として味わっている朝夕のことを記してみましょう。


 上海天文台は上海の街のなかにあって、明代の優れた科学者、行政官であった徐光啓が住んでいた辺りで、「徐家hei」と呼ばれます。heiとは水が集まるところ、この文字は日本語プロセッサでは表示できません。徐光啓は高校の世界史の教科書にもでてきますし、徐光啓に西洋の科学を教えた宣教師マテオ.リッチといっしょの肖像画をよくみかけます。


 天文台の北の路をはさんだ向かいに徐光啓の墓があって、それが そのまま小振りの緑の公園になっています。ここにいくと、毎朝300人ちかくの人々が三々五々集まって、それぞれに体操、エアロビクス、気功、ソーシャルダンス、太極拳、太極剣、などなどをしていると想像してください。林の中の特定の樹にからだを打ちつける人もいます。不思議な器具でからだを動かす人もい ます。鳥かごを樹にかけてくつろぐ人もいます。とにかくいろいろ。


 不思議な動きの太極拳に興味をもって、遠慮がちにまねしているうちに、声をかけてくれるようになりました。教えようにも習いようにも、お互いに言葉はほとんど通じないので、簡単。ただまねをして、あとで考えるだけ。あとは、
「謝謝、老師、再見」、
もてるボキャブラリーのほとんどすべてを発してわかれます。流派も楊式、陳式、呉式とか統一式とかあるようです。実際の動きの流れも、24式、48式、42式、85式などいろいろあります。

 あまりの下手さに見かねた丸顔のおばさんが、基礎の脚遣いを教えてくれますが、これも言葉が通じないので、脚をたたかれたり
(ちがうちがう、そうじゃないよ、という意味らしい)、
肩をぽんぽんたたかれたり
(ほら、こっち 観て、、という意味らしい)
で、なんともおかしいです。真冬、最初はこごえるほど寒いのに、1時間近く経つと、汗がでます。苦労していると、もっと初心の人が加わったり……。
これが下手でまた、おもしろい。つい昨日の自分がいます。

 そして、季節や都合の変化とともにでしょうか、参加者が微妙に変化し、新手も現れます。太極拳の名人を幾人か見知るようになりました。かなり日本語が話せる才さんが、楊式名人の王さんに紹介してくれました。そして王さんが毎朝の公園で教えてくれることになりました。


 まず統一式の24式というのを一通り習いました。これはいろいろの流派を統一したもので毛澤東の指令でできた混成ものです。これは、中国の学校でもみんな教わるものだそうです。そして、
「楊式85式が一番格調の高い大事なものです。覚えたいですか」
と、王さん。書くと短いのですが、これを理解するのにしばらく時間がかかりました。それはできるものなら覚えたいな。そこで、
「シー〈是〉」
と答えました。「はい」というとき対〈ドゥィ〉というのがいいのかよくわからないので、このごろはいい加減に、イタリア人みたいに、気弱にシー(si)と答えます。王さんは、もう一度聞きました。
「覚えたいですか?」
この「か?」に力がこもっていました。そこで勇気をふるって
「シー」
と強く答えました。4月のことでした。

 あとで、この85の技の連続をどうやって覚えていくのだろうと、途方にくれました。せっかく教えてくださるのについていけないと、日本人がみんなこんなだと思われてはいけないと、健気にがんばることになりました。

 毎朝7時からの1時間強。覚えが悪くて、まずは順番もなかなか頭に入りません。30式から46式くらい辺りの四苦八苦も忘れられません。

 この間、脚を7回あげ〔蹴る)、2回半ほどスピンし、拳打ち各種6回、平手打ち各種7回、押し1回?などなど。蹴るのにも、右蹴りか左蹴りか、甲で蹴るか爪先で蹴るか、などなど、頭が朦朧です。


 6月末に入ると最後の85式まで習いました。実際に通して行うと20分の時間がかかります。今では、3回に一回ぐらい運よく間違えずに最後までいきつけるようになりました。あとの2回ぐらいは迷路に流れ込んで立ち往生です。

 王さんはたいへん頭のいい人で、教え方をいろいろ工夫しているのが感じられます。順番をそれなりに覚えたのはまだ初歩の初歩。あるときは重心の低さを、あるときは猫のような動きを、あるときは足の着地点を、地面から力を伝える脚の形を、目線を…… 次から次へと教えとチェックが待っています。

 太極拳に入る前に、準備運動。そして天地と一体を感じるような動作と呼吸と静かな時間があります。今は夏。セミの声が聴こえてきたり、清風がわたったりします。


 王さんからはあと5ヶ月を教えていただくことになるでしょう。わたしが他の人に聴かれて、
「日本に帰るのは今年の12月の始めです」
と答えているとき、王さんは静かに聴いていました。このとき王さんは、
「それまでにわたしの楊式をどこまでしっかり伝えたらいいのか、」
と考えていたように感じました。


 剣道も上海で続けています。3箇所でもう20回以上の稽古をしました。日本人の割合は2、3割、中国人が7、8割、他の国の人が2、3パーセントの割合でしょうか。言葉が通じなくても、稽古や立会いを通じて、お互いが気持ちよく理解できていいものです。

 子どもたちの指導では身振りで教えます。人なつこい子も気立てのいい娘さんもいます。先生側のほうに座るのは照れますが、なんとかやっています。


今年(2011年)5月に、上海初の上海市剣道大会が行われました。とっても大きい立派な体育館でおこなわれました。観客席も電光掲示板も立派で、オリンピックにでも使ったのでしょうか。団体戦には、近くの蘇州、杭州、寧波(〈遣唐使がまず着いた場所〉運がよければ)、遠く北京からも参加がありました。

 大会の進行アナウンスは全部中国語なので、ちんぷんかんぷん、雰囲気を読んで動きます。

 審判は日本語でおこないます。これは審判規則どおりです。審判団は15人から20人ぐらいで4試合場にわかれました。剣道の審判は3人制ですから、一日の半分の時間は審判をしていました。

 剣道の試合は繊細で一瞬を見分ける必要もあるので、審判は試合しているような緊張が必要ですから、一日だとほんとに疲れます。中国語では審判を裁判といいます。立派な貴賓室が控え室で、そこに裁判員控え室とあって初めて自分が裁判員と気づいた次第です。審判席に行ってみると、確かにそこには裁判員席とあったではありませんか。

 日本人裁判員の割合は7割くらいだったでしょうか。選手は中国人が8割くらい。私のいたコートの審判主任は神崎七段で、試合を通じてよき剣道を伝えるという態度が立派でした。わたしたちは中国語はしゃべれなかったけれど、試合の中身だけでなく、身振り態度で正しい所作を伝えるように勤めました。


 剣道人口は上海が断然トップだそうです。でも、男子団体戦は北京に優勝をもっていかれました。参加した人たちは剣道が好きだというのがよくわかりました。気持ちのよい一日でした。


 上海は新しいものと古いものがごちゃまぜです。日本の634mのスカイタワーができるまでは世界一だった森ビルがあるし、贅沢を極めたデパートやモールがあるかと思うと、貧しそうで雑然とした街がひろがっていたりします。

 貧富の差は深刻なようです。立派な店や建物と猥雑な通り、物乞い、貧しそうな農民労働者などをみると、強く感じます。農村部はとても貧しく学校にも行けず、弱者がほっておかれているようです。多民族国家ゆえの強い火種があり、厳しい締め付けで抑え込んでいます。

 一党独裁のながい政権の中で汚職も多く人々の不満も鬱積しているようです。科学のすすめ方についてもオープンでないなと感じます。中国の中では情報が限られて見えにくい国です。一年でどれだけ深く見えるのでしょうか。


 中国の人口は12億4千万人、日本の10倍、それが15倍の国土に住んでいるので、人口密度は日本より少ないのですが、都市部に人口の半分が住んでいるのだそうです。そこでどこにいっても街には日本の数倍の密度の人がいます。

 皆さん大声でしゃべるし、社会マナーがいまちょっとなので、疲れます。そこで出歩かずに、部屋で中国の古典に親しむのも好きです。わかりやすくした「紅楼夢」、「詩経」、「史記列伝」などなど。京劇、越劇などの歌劇も好きです。本屋さんも日本よりずっと充実しているので本屋めぐりも楽しみます。


 夕方、目が疲れて、暗くなる前に街を1時間くらい、ひとりであてもなくぶらつくことがあります。日本人と中国人は見た目では区別できないので、自分は中国人として映っているはずです。それが、もっとも相手を自然に観察するのにいいことです。

 どこにいってもほんとにたくさんの人、人、人、車、車、自転車、オートバイ、リヤカー…。

 すると、たくさんの 中国の人が原子なら、自分は中性子数のちょっとちがうアイソトープなんて思いながら、たくさんの原子を右によけ、左にやり過ごしながら街を歩きます。そうして心中は異邦人の気持ちも味わうのです。

 自分が何でここに いるんだろう、何者なのだろう、
なぜこのたくさんの原子の一つでなかったのだろう。
そうして、なんとかもとの地点にもどってくるのです。


 先月一緒に研究室にいたオランダの電波天文学者とは、何年か前にも上海で一緒でした。研究会の蘇州ツァーでバスから降りると、背が高く明るい金髪の彼はめだつので、売り子さんがどーっと寄って来たものでした。彼の後ろにいると、小さくて貧しそうで中国人にちかい私はしつこい売り子さんに迫られずにすむのでした。

 彼は、目だちすぎる異質の原子で、私のようなアイソトープ原子としての秘かな散策の楽しみは味わえないのです。誰からも注目されずまわりを乱さない、それがいいのです。それがときとして道を聞かれて、しどろもどろ、あわれなアイソトープ原子の散乱現象です。


 中国の文化に混じったり、テスト粒子としてドリフトしたり、こんな朝と夕を過ごしています。


(平林 久、ひらばやし・ひさし)
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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※