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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第354号

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ISASメールマガジン   第354号       【 発行日− 11.07.05 】
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★こんにちは、山本です。

 国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中の古川宇宙飛行士が、宇宙で映画「はやぶさ/HAYABUSA」を鑑賞する予定だそうです。

 劇場公開前の映画が宇宙で上映されるのは史上初のことだと、新聞記事では伝えていました。

 週末に 映画を見に出かけたところ、件の「はやぶさ」の予告編が上映されました。

 「はやぶさ」がオーストラリア上空で燃え尽きていくシーンは 大きなスクリーンで見ると圧巻でしたが、役者さんたちのアップのシーンは モデルを知っているだけに ちょっと違和感が……

 今週は、宇宙プラズマ研究系の笠原 慧(かさはら・さとし)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:注射が怖い
☆02:「あかつき」の金星周回軌道投入失敗に係る原因究明と対策について
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:注射が怖い


 告白しよう。


 30歳近くなって、いまだに注射が怖い。
というか、恐怖心は小学生のころより一層、増している。
あの針をさされると、貧血を起こしてしまうのだ。いつの間にか、そういう体質になってしまった。大学生くらいからだったかな。


 だから、健康診断の採血の時などは必ず横にならせてもらう事に決めている。
横になるためのベッドや机を用意してくれない場合もあるので、何度か横にならずにチャレンジしてみたこともあったが、やっぱりだめ。
採血後、立ち上がると、頭からスゥーーっと血の気が引いていって、目の前がチカチカして、耳鳴りがして、手足がしびれてきて、冷や汗(脂汗?)みたいのが全身に出てきて、最後、看護婦さんに
「顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
って聞かれる。
や、全然大丈夫じゃないです。ベッドを用意してください。


 貧血に陥る原因は、たぶん、精神的なものだと思う。
以前、歯医者さんで親知らずを抜いたとき、最初に歯茎に麻酔の注射を打って、それだけで(横になっていても)少し頭がくらくらしたのだけど、その親知らずが、曲者だった。
全然抜けなかった。びっくりするくらい抜けなかったのだ。

 術前に、レントゲン写真を見て、ちょっと抜けにくいかもしれませんと言われていたのだけど、もう、ホントに、全然抜けなかった。うん。最初の方は、あ、やっぱり抜けにくいんだな、くらいの余裕で構えていたのが、1時間以上も口を開けっぱなしで奥歯をゴリゴリやられ続けると、かなりきつい。
というか、無理でした、僕には。
麻酔が切れて歯茎の奥にじんじん痛みがくるし。
顎関節が外れそうになるし。
口を開けっぱなしだから喉がからから、カスカスになるし(その後一週間は喉の激痛と闘う日々が続いた)。

 途中でもう無理、今日は無理、もう抜けないからいったん手術やめましょうよって思った。口に出して言ったかも知れない。覚えてない。恐怖の森に迷い込んだ。ダークサイドの住人に、ようこそと言われた気がした。出産を経験することのない男にとっては、かつてない恐怖だった。


 で、そのときには、痛みに耐えかねて、注射大嫌いの僕が自ら進んで注射をお願いしていた。
痛いです、もう、お願いします、麻酔を打ってください。おねがいします、と。

 注射への恐怖も貧血反応も宇宙の彼方に消え去っていた。目の前には恐怖の親知らずブラックホールがプカリと浮かび、しずしずと僕の冷静さを飲みこんでいた。
ダークサイドは目の前だった。麻酔注射がときどき、なけなしのフォースを注入してきたようだったが、明らかに供給不足だった。
結局、僕は麻酔注射を4本か5本、おかわりした。そういう切羽詰まった状況では、貧血など一切来なかった。悠長に青ざめている余裕などなかったということだ。


 手術の記憶は途中から曖昧である。最後にどこかから助っ人年配医師が現れ、確かにひっかかってるなぁとか言いながら、男性医師二人がかりでゴリッと抜いたのだけ覚えている。
もっと早く来いや。
とはもちろん言わなかったけど。


 で、まぁ親知らずの話はどうでもいいんだけど、
以来、注射のたびにその手術を思い出して、あれを思い出せば麻酔や採血など大したことない、と言い聞かせるのだが、やっぱりだめである。

特に、こないだの宇宙研での採血は、刺す瞬間痛かった。刺してからも痛かった。針を抜いてからも痛かった。横になってたけど、つらかった。
もし来年も来るならもっとうまくなって来てね、
と看護士さんに心の中で言った。ついでに目でも言ってしまったと思う、たぶん。悪いけど。


 思えばお医者さんとか、看護士さんというのは大変な仕事である。できて当たり前。ちょっとでも何かミスがあると、袋叩きにあう。病院とはもろに減点方式の世界である。

 科学に関してはどうだろう。おおむね加点方式だろうか。研究対象について理論的な理解が浅い人でも、面白い実験結果を出せば世界的に称賛されるし、おかしな考察の論文を何本か執筆してしまっても、それとは別に重要な論文を残せば学会から認められる存在になる。

 そうすると、科学者として成功するには加点方式になれている方が有利かもしれない。自分の実験結果、解析結果について細かな減点箇所を気にしていると、いつまでたっても成果を世に出す事ができないし。

 だから日本の教育を加点方式にするべきである、とかそういう話をしたいのではない。どちらかといえば逆。全くの逆です。宇宙科学に関して言えば、やり直しのききにくい人工衛星というシロモノを扱う以上、ミスが一つもないようにガチガチのチェックをできる人が少なからず必要だし、例えば人工衛星と関係のない生物分野だって、たったひとつのミスで貴重な実験用サンプルをダメにしてしまうことだってある。

 だから、絶対にミスできない、という状況を子どものころに体験しておくことは不可欠だと思う。

 日本の初等教育から減点方式がなくなってしまうような事態を想像すると、そら恐ろしい。受験時代、テストの最後5分間で必死に、全身全霊で自分の答案の間違い探しをした経験のない医師に、少なくとも僕は自分の外科手術を任せる気にはならない。


 ん?
僕は誰に向かって力説しているんだろう?
別に教育の話がしたかったわけじゃない。
そう。注射の話。


 こんなに嫌いなのに、今の仕事をしていると年に3回も採血を迫られる。なぜか?


 僕は宇宙空間の電子を計測する検出器を開発している。
そういう検出器を開発していると、実験室で高エネルギーの電子(=放射線)や、電子を模擬するためのX線(これも放射線)を扱うことになる。それらの実験作業で浴びる放射線の量は微々たるもので、たとえ実験が忙しい年でも、年に何度か海外出張をこなすようなビジネスマンが飛行機の機内で浴びる放射線量と変わらない(ちなみに、扱っている放射線源は固体なので、羽でも生えない限り研究所の外には飛んで行かない)。

 だから実験作業している人の健康に影響があるとは(当然)考えにくいのだが、でも一応、念には念を、みたいなことで放射線取扱業務従事者は年に二回、血液検査をうける事になってる(うけさせてもらっている)。あとの一回は普通の健康診断での採血である。

 うん、正直いって、ありがた迷惑と思わないわけではない。感情的には。
注射こわいから。でも決してそれを表に出すことなく、理性でもって自分を落ち着かせて、クールにふるまっている僕。理性の人と呼んでほしい。


 そうまでして宇宙空間の電子を計測して何がうれしいか?

 太陽から飛んでくる電子、あるいは地球や木星といった惑星の大気を源とする電子たちは、惑星の周囲にある電磁場のエネルギーを吸って、加速される。速度の大きくなった(=エネルギーの高くなった)電子は、放射線の一種である。惑星周囲には高エネルギー電子が集積した領域が形成され、放射線帯と呼ばれる(地球の放射線帯を発見したヴァンアレン博士の名前をとってヴァンアレン帯とも呼ばれる)。

 放射線帯電子、すなわち高エネルギーの電子は、その高エネルギーゆえに、宇宙空間を周回する人工衛星の搭載機器の誤作動や故障、破壊を招く。


 この放射線帯というのがまた曲者、謎多き存在である。高エネルギー電子の量が不定期に、突如として平均値の何百倍にも増えたり、またある時はごそっと減ったりするのである。

 こうした放射線帯の変動原因を明らかにするためには、人工衛星に電子検出器を搭載して、電子の数を数えたり、一粒一粒のエネルギーや飛来方向を計測したり、といった作業が必要になる。また、電子にエネルギーを与えているであろう電磁波の計測を同時に行う事も重要である。これらを実現するのが現在進められているSPRINT-B/ERG(energization in geospace)計画であり、2015年の打上げを目指している。


 この衛星のために僕が捧げた血の杯の数は、すでに二桁に到達した。

(笠原 慧、かさはら・さとし)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※