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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第334号

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ISASメールマガジン   第334号       【 発行日− 11.02.15 】
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★こんにちは、山本です。

 5ヶ月ぶりに相模原キャンパスに「はやぶさ」の実物大モデルが帰ってきました。久しぶりの「はやぶさ」は、すごく大きく見えました。

 今年2度目の積雪となった相模原キャンパス、出勤時間には もう陽もさして、構内の雪も解け始めていました。帰る頃に凍っていないといいのですが……

 今週は、宇宙探査工学研究系の宇宙の電池屋・曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 −エネルギー充填、120%−
☆02:相模原キャンパス見学の方へ お知らせ
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:宇宙の電池屋 −エネルギー充填、120%−


 「還ってくるということが大切なことがある」
艦長の言葉は静かな中に力がこもっていた。
2010年の12月、「あの戦い」が、再び始まった。
宇宙のかなたから迫る驚異。圧倒的な科学力をもつ未知の宇宙からの攻撃。
必死に生き残ろうとする人類。絶滅までのカウントダウンが始まった。
最後の望みをかけて旅立つ、宇宙戦艦。
第二次世界大戦で沈んだ戦艦ヤマトを偽装し、新型エンジンを駆り、深宇宙を目指す宇宙戦艦。目的の星をその目で見た者はなく、どれほどの試練が待っているかもわからない。そこに目指すものがあるのかも、誰も知らない。それでも、その船は旅立つ。
「エネルギー充填、120%。」

 僕は子供たちと見に行った。
もちろん家内も誘ったが、一言、
「キョウミない」
との返事。
君も変わってしまった。一緒に「アポロ13」を何度も見たじゃあないか。
電力不足に陥った宇宙船を救うために電機系技術者が訴えた言葉、そう
「Power is everything!((電)力が全てだ!)」
を、ビデオテープが擦り切れるほど、何度も繰り返したじゃあないか。スターウォーズをエピソードIV〜VIまで、ぶっ通しで見たじゃあないか。
「良い、わかった、僕は次の世代のために、この話を伝えよう。」

 映画館にはすすり泣きの声が響いていた。
「あ〜、キムタクだ〜。」
「ちょっと、お願い、静かにして。」
僕の横にいるご婦人は、泣きながら子供を叱っていた。
映画館を出てくる時、ダイの大人たちが涙を流している中で、僕も、その日何度目かの涙を流していた。
息子は興奮していた。娘は泣いていた。
「感動したね。どうだった。」
泣きじゃくりながら娘は答えた。
「・・・・・・怖かった・・・・・・。」
・・・・・ごめん。


 ASTRO-EII(すざく)はエネルギー充填120%だった。
そういうことにこだわって、変な悦に入って仕事をしたり、無理くりなことを現場でやっていたことはない。たまたまのことだった。でも、ちょっと感動していた。電池は、通常、少し容量に余裕(マージン)を持たせて設計される。すざくで使われているニッケルカドミウム(Ni-Cd)電池は、定格容量(「この容量は、決められた充放電条件で作業をしてもらえればきちんと出ます」という容量)より、5〜10%くらい余力をもって設計されるのが常だった。更に工夫をこらしていくと、充電できる容量は高くなる。

 SOLAR-B(ひので)のプロマネだった小杉先生の言葉を借りれば、
「打ち上げ直後の衛星は、生まれたばかりの赤子と一緒。」
少しでも新しい環境の中で頑張れるように、可能な限り電池を充電してから打ち上げよう。
アンビリカル(へその緒)を引きちぎって旅立つ衛星にしてあげられる数少ないことは、お腹一杯で旅立たせてあげること。
打ち上げ直前、みんなで最後の意識合わせを、夜を徹して行った時、僕は言っていた。
「エネルギー充填、120%。」

 ASTRO-F(あかり)は、少し「エネルギー充填、120%」では無かった。あかりの電池はニッケル水素(Ni-MH)電池だ。
夏に、ニッケル水素電池の充電は難しい。温度が高いと、充電しにくくなってしまうのがニッケル水素電池の特徴だ。
「目いっぱい充電してほしい」
プロジェクトからはそう言われていた。
段取りを考えた。空調を目いっぱい効かせることができれば、少しでも衛星の温度を下げることができるかも。そうすれば、少しでもたくさんの充電ができる。温度が上がってくる度に、充電を中断して、バッテリの温度が下がったらまた充電を開始する。これを繰り返そう。
「この手順だと、夜間の作業もあり得ますが、大丈夫ですか?」
内の浦と相模原を結んだ電話会議越しに、そんなことを聞かれた記憶がある。
「一日は24時間ありますから。なんとかしてみせます。」
気合いで言い切った。やるしかないと思った。でも、そのためには、たくさんの方たちにご迷惑をかけることになる。
ロケット班も協力してくれた。ロケットの空調を取り仕切るランチャー班も協力をしてくれた。鹿児島のうちあげ環境全般をまとめてくださっているKE班も協力とアドバイスをくださった。電池メーカさん、衛星メーカさん、みんな一緒になって頑張った。
事前の調整の中で、僕は通常ではない運用をお願いすることを躊躇い、お願いの内容をまとめた紙を用意してから、ミーティングを招集させてもらった。
ランチャーの先生は、一言で言ってのけた。
「曽根さん、紙なんか用意している暇があったら、とっとと呼んでくれれば良いんだよ。」
「迷惑とかじゃあないんだ。僕ら、衛星を打つために仕事をしているんだから、必要な事は言ってくれれば良いんだ。」
こんなことを言ってもらえるなんて.....

 異動してきて間もなく、無我夢中だった僕には、涙が出る思いだった。
夕方のミーティング(夕会)で、僕からの要望をロケットの先生が紹介くださり、関係各班に意識確認がなされた。
「PS班(電源班)から要望が出ている空調の件ですが、対応は可能なのでしょうか。関係各班の確認を取りたいと思います。」
「ランチャー班、よろしいですか?」
「承りました。」
「ロケット班、よろしいですか?」
「承りました。」
「○○班」
「承りました。」
・・・・、各班、答は「承りました」の一言だった。
渋い!かっこいい〜。カッコ良すぎるよ。I love GEMBA.

 ロケットの人たちとショクジをしての帰り道、僕は一人で自分の宿に向かいながら、オイオイ泣いていた。幸せな涙だった。


 リチウム電池はそうはいかない。過充電は絶対に避けなければならない。
寿命を勘案して容量に余裕は持たせるものの、従来のニッカドやニッケル水素電池のように「技」が効かない。だからこそ、電池の性能をどこまでキチンと把握できているかが、運用を左右する。

 はやぶさが還ってくる一年前、はやぶさのリチウムイオンバッテリが全セル0Vまで放電した。
はやぶさがイトカワから離脱した直後、通信途絶の最中にリチウムイオンバッテリは過放電を起こした。でも、この電池達を再充電する必要があった。カプセルに小惑星サンプルのコンテナを格納するため、一度は死んでしまったバッテリを生き返らせる必要が生じていた。過充電防止回路を補充電回路として使い、不具合の中をくぐりぬけていた7つの電池を満充電に戻した。カプセルの蓋を閉める大役を終えた後、充電コマンドは二度と使われなかった。
「曽根さん、運用上の留意事項はありますか?」
僕は答えた。
「電池の電圧は、これから下がり続けます。決して上がることはありません。もし、電圧が上がるようなことがあったら異常ですから、その時には呼んでください。」

 二次電池達は切断することが出来ないモニター回路を通じて、数mAずつ、徐々にエネルギーを失っていった。何かを読み取ってあげたい。彼らは何かのメッセージを残しているはずだった。

 バッテリが元気だったころ、運用中にバッテリを構成している各電池セルの性能にバラツキがあった。これが温度のばらつきの影響か、何が影響したのか、個人的には悩み続けていた。0Vに電池電圧が近付いていく中で、この疑問が解けた。セルの本来の性能にバラツキはなかった。周辺の諸事情で、おそらくバラツキが醸されてしまてっていたことが分った。

 2010年の6月に、はやぶさが還ってきた瞬間、僕の中ではあるカウントダウンがスタートしていた。電池残量のカウントダウンだった。
「早く見つけてくれ〜。電池が・・電池が切れちゃう。」
6月14日の未明、僕はキャラバンの中で同僚に呟いていた。
「ソネッチは、やっぱり電池か〜」
同僚からは、突っ込まれつつも思った。
「いいんだ。僕がこだわらずに誰があの子たちのことにこだわってあげられるだろう。」

 華やかな成功の陰で、ひっそりと、ただ電気をみんなにあげることだけのために、製造から12年、宇宙空間で7年間もじっとしていたカプセルの一次電池達。時には−40℃を下回ったかも知れない過酷な温度環境に晒されても耐えてきた。二次電池のみんなは、君たちよりも1年早く、潰えてしまった。あの子たちがみんな0Vまで放電するのを、僕はきちんと看取ったよ。今度は、一次電池、カプセル電池達の番。僕が、僕だけでも、きちんと君たちの最後は見届けよう。

「来た!」
大気に再突入したカプセルはビーコンを出した。僕の計算では12時間持つはずのビーコン。実際には、着地から1時間程度で見つかった。翌日、カプセルの回収が進んだ。哲哉先生との事前の調整では、ヘリコプターが飛ぶことのできない時間帯は、タイマーでビーコンは切るようにしてあるはずだった。朝を待って、ビーコンは再起動しているはず。夕方までにカプセルが回収されれば、安全化処置の中で電池の放電ラインは切断される。結果として、宇宙を旅した電池が生きたままで帰ってくる可能性があった。

 もちろん、電池のことより、カプセルが無事に回収できることの方が大切に決まっている。それがミッションなんだ! 無茶を言ってはいけない。でも、もしもできることなら、頼む、完全に放電しきってしまう前に、ビーコンを止めてくれ。電池の放電ラインを切ってやってほしい。

 事前には話をしていた。でも、本当に放電ラインを切ってもらえているだろうか。
僕がヘリで飛んで行けるわけではない。哲哉先生、ちゃんと覚えていてくれたかなあ〜。
14日の夕方の電話会議は、一生忘れられない。
「みんなありがとう。今、RCC(ヘッドクオーターが置かれていた建物)にカプセルがあります。」
感無量の夕会の後、グレンダンボのホテルでみんなと成功の喜びを分かち合いつつ、僕は哲哉先生に電話をかけた。
「曽根です、あの、こんなときに申し訳ないのですが...あの...電池ですが・・・。」
「はい、ちゃんと放電ラインは切りましたよ。大丈夫です。」
ヨッシャー!

 カプセルの電池は生きたまま日本に帰ってきた。
12年間保管されていた電池。宇宙フライトを7年経験した電池。
どんな性能を残しているだろうか?
プロジェクトから連絡を頂いた。
「展示にまわす前に、可能な限り安全化を図ってほしい。」

 川口教授は言っていた。
「少しでも多くの方たちに、本物を見てもらいたい。」

 帰国後間もない中で、関係者があつまって、電池の電力を放出させる作業を進めた。電池の放電は、適当に抵抗をつければ良いというものではない。コントロールされた電流レベルで、監視しながらの放電作業になる。その中で、将来に備えて、評価に耐えるデータをとっておこうと思った。

 僕の体力と気力は、ウーメラから戻って、ほぼ過放電状態に陥っていた。ふらふらの中で、気力を振り絞って放電条件を決めた。チャンスは一度だけ。一次電池は放電しかできない。充電してやり直すことはできないので、一度しくじったら、この子たちの評価は二度とできなくなってしまう。どうせ放電させるなら、評価に耐えるデータを何としても残したい。

 さあ、この子達は、あと何時間、ビーコンを出すことができたのだろうか。電池製造メーカさんも駆けつけてくださった。ゲリラ豪雨に見舞われながら、雷の襲来の合間をぬっての放電作業となった。

 驚くことに、電池は、僕の予測よりも4時間分近く、ビーコン発信のための能力を残していた。実に苦しかった。
悩んだ末、カプセル回収のプランを立てていた哲哉先生にメールを送った。
「申し訳ありませんでした。みんなが少しでも安心な情報を欲しかった時に、僕は皆をせかすような情報をあげてしまっていました。恥ずかしいです。」
哲哉先生からは、
「大丈夫」
と、(記憶が正しければ)絵文字入りのメールが届いた。


 さて、兎に角、不思議だった。
電池の性能がばらついていたり、一部の電池の能力が高くでていたというわけではないことは、電池の放電カーブが物語っていた。 ということは、このデータには意味があるはず。
一週間悩んで、温度情報をブレークダウンして、電池の残存能力と温度の関係を整理した。
性能が、・・・・アレーニウスの直線にのった。
「化学的な劣化は、温度に対して指数関数的に感度をもって進行する。」
化学系ならば、大学の教養学部で習うことだ。
ただ、電池の性能は、このアレーニウスに乗る領域が狭いと感じてきた。
はやぶさのカプセル温度が−20℃、地上で宇宙研の教授が12年間保管して下さっていた電池の保管温度が0〜4℃、地上で検証試験に使った電池が加速試験の中で模擬していた温度環境条件が23℃。
このそれぞれの環境で試験をおこなったことを前提とすると、カプセルのビーコン発振可能時間は説明がついた。
すごい、これで「はやぶさ後継ミッション」では、精度の高い判断ができるようになる。


 そろそろ冬になろうとする頃、電話をもらった。
まだ、正式ではない。でも出来る検討から始めよう。
「大丈夫かな・・・・」
僕は研究室の鏡に向かって、自分に尋ねた。
いろいろあるだろうけれど、頑張ろう。
僕の気力と体力も、そろそろ、エネルギー充填105%くらいだ。
新たな星を目指して、さあ、旅を始めよう。


 はやぶさを次に伝えるためのミッション。
「次に繋がることが大切だ。」
川口教授が常々言ってきたことだった。


 正月休みが明ける直前、僕は、もう一度あの戦いを見に行った。
娘は、強い意志を表情に浮かべながら、
「一緒には行けない」
と言った。
家内は聞こえないふりをしていた。
息子と、近所の子供は付き添ってくれた。
二度目は落ち着いて見られた。
すがすがしく涙を流した後、映画館を出てくる時に息子が言った。
「お父さん、はやぶさの後継機には、波動砲を積めばいいじゃん。」
たまには子供らしいことを言うわが子に、父親は大人げなく言った。
「積むよ。」
それ以上は言わなかった。

 タキオン粒子砲じゃあないけどね。今度はなあ、一発、ぶっ放すんだよ。
ふふふ、科学はなあ、常に、君の想像の一歩先を行っているのだよ。
1999-JU3の探査の中で、小惑星の表面を穿つ時、・・・だめだ、僕はキット一人、こっそりと呟いてしまうだろう。

「エネルギー充填、120%」

以上

(曽根理嗣、そね・よしつぐ)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※