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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第328号

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ISASメールマガジン   第328号       【 発行日− 11.01.04 】
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★明けましておめでとうございます。山本です。

 2011年 相模原は穏やかな年明けです。メルマガの配信が年末に1万を超えました。去年は「はやぶさ」効果もあり、1年間で4000件も配信数が増えました。今年はどれくらい増やすことが出来るでしょうか。

 新年の一番手は、元・宇宙科学技術センターの中部博雄(なかべ・ひろお)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ロケット昔話 3(点火管制編)
☆02:宇宙学校・しんじゅく 〜宇宙に夢中!〜(2月6日(日))
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:ロケット昔話 3(点火管制編)

■「おおすみ」の打ち上げは握力? (専務さんの思い出)

 昭和42年(1967年)度は日本で最初の人工衛星軌道投入を目指したL-4S型試験機は失敗が続き、3度目の正直を願ったL-4S-3号機の打ち上げの年でした。前年は観測ロケットや試験機の計37機の打ち上げ(年間打ち上げ機数最多)があり多忙でしたが、この年は12機が予定されていました。

 これらのロケットは山を削ったKS台地と呼ばれる発射場で打ち上げられます。その射点から約100m後方に半地下になっている管制室があり、そこに点火管制装置は設置してあります。

 それを製作したT電機の窪田文司(通称専務)さんは装置の保守として毎実験に参加しておられました。専務さんは60歳を過ぎても、当時としては珍しく東京から車でやってこられます。高速道路は一部しか完成していないので大変、その高速道路走行中にスピード違反で捕まったそうです。

 ガムテープであちこち補修した車一杯に、工具や機材を積んでいるのでスピードが出ず、低速度違反で高速道路から追い出されたと聞きました。

 ある時、落雷で管制室がやられました。そこで配電盤に何ボルトが来ているのか点検することになり、私はテスターを用意したのですが専務さんは手で触れば判ると言って、100Vと200Vの有無を判断しておられました。


 ロケットの発射は、コントロールセンターからの信号で点火管制装置内のタイマを起動します。そのタイマにより設定された時刻に点火リレーを作動して点火電源をロケットのイグナイター(点火器)に供給しロケットは発射します。

 その点火リレーは片手では持てないほどの大きさがあります。管制室の環境条件は海に近いせいか高温多湿で、決して良い条件とは言えません。しかも、管制装置に組み込まれている点火リレーを含む多くのリレーは気密タイプではありませんので、動作不良が時々起きるようになっていました。

 そこで、ロケットの発射カウントダウンが始まると、専務さんは点火管制装置の裏面に両手を入れ、カウントの「0秒」に合わせて念の為に点火リレーを握力で接点を閉じていました。

 当時何も知らない私は、見てはいけないものを見てしまった様な気がしましたが、
「そうなんだ、ロケットの点火は握力を使うんだ」
と何故か納得し、感心したものでした。

 残念ながらL-4S-3号機も衛星の軌道投入に失敗してしまいました。その直後に漁業問題が発生(1967年4月)し、全ての観測ロケットや実験機の打ち上げが出来なくなりました。

 当時千葉に在った東京大学生産技術研究所でロケットの基礎実験を実施していた研究室では、秋葉先生から
「打ち上げが無い分、勉強する良い機会と捉えてやっていきましょうと」
と元気がなくなりつつある私たち職員を励まして下さいました。

 漁業問題は1968年8月に解決し、各種ロケットの打ち上げが再開されました。

 1970年2月11日はL-4S-5号機の打ち上げ日。L-4S-4号機の実験失敗から半年経ちました。私は通学中で実験に参加出来ませんでした。テレビは持っていませんでしたので、近くの食堂で実況中継を見せていただきました。

 テレビ画面から、何回も実験に失敗し、その度に駒場の実験棟で確認試験を繰り返している先生、先輩方、メーカの方々が苦労されているのを見ていましたので、実験班の緊張が伝わってきます。

 無事に実験が成功して、感激に酔いしれながら帰宅途中、ふと1つの疑問がわいてきました。
「ひょっとして今回の打ち上げも握力を使って点火したのでは?」と、
そこで、専務さんに確認してみようと思っていましたが、すっかり聞くのを忘れてしまい、今となってはその手段は無くなってしまいました。真実は闇の中です。

 ともあれ、この点火管制装置は、合計200機以上を打ち上げて1976年に現役を引退しました。

 新しい管制装置は、操作性の向上と信頼性確保を基本として「点火タイマ管制装置」が完成しました。それは、操作手順に従ったスイッチ類の配置と解りやすい表示、回路は電子化され、密閉式リレーが採用されています。

 これで、握力を行使する事はなくなりましたが、昔の方は豪快でした。


■工事が間に合わない!

 1981年頃、観測ロケットの点火タイマ管制装置のPCによるデータ処理機能を追加し、作業性の向上を目指した改修を計画しました。工事依頼をしたメーカは少人数の会社で、研究室の多様な製造依頼を低価格で的確にこなし、小回りの利くU社です。そのため各プロジェクトからの引き合いも多く多忙を極めていました。

 この年は職員、メーカ共に能代(NTC)に於けるロケットの燃焼試験、内之浦(KSC/現USC)の観測ロケット打ち上げと多忙な日々が続いていました。

 NTC実験終了後、U社の社長と社員は急いでKSCに入り、毎日夜遅くまで工事を急ぎました。

 観測ロケットは搬入され整備が進んでいます。搭載機器の組み立ても完成間近、打ち上げリハーサル(電波テスト)迄には1日しかありません。しかし、管制装置は基盤が室内に広げられ、必要な部品も未開封状態で改修工事は間に合いません。

 これでは観測ロケットの打ち上げが不可能です。さあどうする、謝って済む問題ではありません。

 今できる事はロケット点火には原始的な方法しかありませんでした。それは、ナイフスイッチを使うという前代未聞のオペレーションになってしまいました。

 これは、点火電源とイグナイター(点火器)の間にナイフスイッチを介してロケットに点火します。もちろんナイフスイッチの操作は手動です。

 X-60秒から始まるカウントダウンの放送を聞きながら室内にあるアナログ時計の秒針が「12時00秒」を指す直前を目で確認してナイフスイッチを少し早めに入れるのですが、点火時刻の誤差を抑えるためのタイミングが問題になってきました。

 そこで、ナイフスイッチの操作は川越実験場で実施経験のあるベテランのロケット班が担当する事になり、何回もカウントダウンに合わせて打ち上げるタイミングを練習して、点火時刻を±0.3秒以内で点火出来るようになりました。数日後の本番では練習の甲斐があり、無事予定時刻に点火することが出来ました。

 当然始末書を書く羽目になりましたが、工事発注側としてメーカの力量や実情を把握しておかなければならないという教訓を得た事例でした。

(中部博雄、なかべ・ひろお)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※