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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第289号

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ISASメールマガジン   第289号       【 発行日− 10.04.06 】
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★こんにちは、山本です。

 相模原キャンパスのサクラがやっと満開になりましたが、無慈悲な花チラシの雨にも負けずに、思ったより花が残っていました。

 やはり、サクラは 雨に打たれて散るより、春の風にハラハラと舞い散るのが、風情があっていいです。

 今週末の10日は、毎年恒例の『宇宙科学 講演と映画の会』(於:新宿明治安田生命ホール)です。お時間のある方の参加をお待ちしています。
(⇒ http://www.isas.jaxa.jp/j/topics/event/2010/0410_kouen.shtml

 今週は、宇宙科学情報解析研究系の海老沢 研(えびさわ・けん)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:2058年の少女へ
☆02:宇宙科学研究所への名称変更
☆03:「はやぶさ」試料回収カプセルの再突入に係る計画について
☆04:新世代の赤外線天体カタログ、日本から世界に公開へ
☆05::今週のはやぶさ君 と 「はやぶさ」軌道情報
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★01:2058年の少女へ

 2058年、ある秋の一日。あなたは相模原の宇宙科学研究所で、世界初のX線干渉計衛星のプロジェクトマネージャとして、衛星から降りてくる最初のデータを待っている。自分が開発した観測装置が最初に生み出す宇宙からの光、「ファーストライト」を真っ先に見ることは、天文学者として最大の喜びだ。それは、M87という銀河の中心にあるブラックホールのX線写真。それをあなたは50年間、まっすぐに追い続けてきた。

 17世紀にガリレオ・ガリレイが望遠鏡を空に向けて以来、観測天文学は望遠鏡の技術的進歩とともに発展して来た。21世紀に至るまで、人類は可視光だけでなく電波からガンマ線まで、あらゆる波長の光を観測する望遠鏡を開発して来たが、それには共通した三つの方向性がある。より暗い天体を観測するために、たくさんの光を集められるよう望遠鏡のサイズ(口径)をできるだけ大きくすること。光を出している分子や原子の物理状態をより詳しく調べるため、プリズムや回折格子を用いて光をより細かい波長に分解する(分光)こと。そして、より小さな天体や細かい構造を観測するために、光の到来方向をより正確に決定すること。

 ブラックホールを直接観測することは、人類の永遠の夢だ。それがいままで実現できなかった理由は、上で述べた望遠鏡の三つの目の性能、「位置分解能」が決定的に不足していたからだ。ブラックホールは非常に小さな天体だから、それを空間的に分解して観測するには、究極の位置分解能を持った望遠鏡が必要になる。それがあまりにも技術的に困難であるため、21世紀後半まで実現できなかったのだ。

 ブラックホールの存在が予言されたのは20世紀の始め。アインシュタインが発見した重力の理論、一般相対性理論の方程式を解くと、その解として光も含めてすべてのものを一方的に吸い込む、表面を持たない天体のようなものが出てきてしまう。当時はそんな奇妙な天体は宇宙には存在せず、それはただの数学的な「解」だと思われていた。そんなブラックホールの存在が現実味をおびてきたのは、1960年代。1962年にジャコーニらが打ち上げた観測ロケットは、さそり座に驚くほど明るいX線源を見つけた(これによってジャコーニは2002年のノーベル物理学賞を受賞した)。まもなく、その「さそり座X-1」は、ものすごく小さくて密度の高い星(角砂糖一つが約10億トン!)、「中性子星」であることがわかった。

 すべての物質は原子からできている。原子は原子核とその周りを回る電子からなっていて、さらに原子核は陽子と中性子から構成されている。星が爆発するときにものすごい力で星の芯が圧縮されると、電子は原子核とくっつき、さらに電子は陽子に押し込まれて、すべて中性子になってしまう。そうやって誕生した、ほとんど中性子からできている、極限まで高密度の星が中性子星だ。中性子の間には強い反発力が働き、それが、それほど重くて小さな星の強い重力を支えている。しかし、その反発力によって支えられるのは、太陽の約3倍の重さまでの星だということがわかっている。それより強い星の重力を支える力は、自然界には存在しないのだ。では、それ以上重い星の最後はどうなってしまうのだろうか?

 X線観測からだけでは、残念ながら星の重さを測ることは難しい。しかし、X線を出している星と可視光で光っている通常の星がペアになって回っている場合、通常の星の運動を可視光で測定することによって、X線を出しているほうの星の重さ(質量)を推定することができる。この方法で、1970年代から銀河系内のX線天体の質量が次々と決められていった。そして、それらの中には、中性子星の最大質量をはるかに超える、太陽の10倍前後の質量を持つものが数多く存在することがわかってきた。それほど重くてコンパクトな星はブラックホールしかあり得ない! 消去法ではあるが、そうやってブラックホールの実在が信じられるようになって来た。

 ブラックホールには表面がないので、通常の星のような半径は定義できないが、その大きさの目安となるのが「シュワルツシルド半径」だ。十分遠くからブラックホールに落ちていく物体を見たとき、それがシュワルツシルド半径に近づくにつれてゆっくりと落ちていくように見え、シュワルツシルド半径に達するには無限の時間がかかる。一方、落ちていく物体に乗った時計では、一瞬でシュワルツシルド半径を通過してしまう。シュワルツシルド半径の外側と内側では全く別の時間と空間が存在していて、二つの世界の間では、決して互いにコミュニケーションをとることはできない。

 太陽のシュワルツシルド半径は約3キロメートル。地球のそれは約9ミリメートル。ロケットを発射するとき、地球の重力から逃げ出すのに必要な速度は秒速約11km(これを「脱出速度」と言う)。仮に地球をどんどん押しつぶしていくと、重力がどんどん強くなっていって、脱出速度は大きくなっていく。やがて、半径9ミリメートルまで押しつぶすと、脱出速度は光の速さ(秒速30万キロメートル)と等しくなる。自然界には光より速いものは存在しないから、ありとあらゆるモノや情報がどうしてもそこから脱出できなくなる。それほど強い重力を持った天体のことを、ブラックホールと呼ぶのだと考えても良い。

 ブラックホールはどうやってX線を出すのだろうか? 1970年代前半、ブラックホールと対をなす通常の星から物質が渦を巻いて流れ込み、それがブラックホールの周りに円盤(「降着円盤」と言う)を形成し、X線で明るく光っていると言うモデルが提唱された。ブラックホールの強い重力に引かれて物質が落ちていくと、ちょうど水力発電所のように重力エネルギーが解放される。重力エネルギーは降着円盤の中で摩擦によって熱エネルギーに代わり、円盤は数千万度の高温になる。あらゆる星や天体は温度に応じた波長の光を出しているが、約6000度の太陽が黄色っぽい可視光線を発するように、数千万度に熱せられた降着円盤はX線を放出するのだ。

 一般相対性理論によると、ブラックホールの周りを物体が公転運動するとき、その最小半径はシュワルツシルド半径の三倍だとわかっている。それよりブラックホールに近づくと、軌道が不安定になってブラックホールに飲み込まれてしまうのだ。だから、ブラックホールのまわりに降着円盤があるとしたら、その内縁は、シュワルツシルド半径の三倍であるはずだ。実際、1980年代、日本のぎんが衛星は、さまざまなブラックホール候補天体について、その降着円盤の内縁半径は、ブラックホールのX線光度が大きく変化してもピタリと一定であり、それがまさにシュワルツシルド半径の三倍に対応していることを発見した。これによって、X線で光っているブラックホールの周りの降着円盤の存在は決定的になった。

 もしブラックホールをX線で撮影したら、ちょうどドーナツのように、明るく輝く降着円盤の中心に、ぽっかりとシュワルツシルド半径の三倍に対応する穴が開いているように見えるに違いない。厳密には降着円盤の内縁半径はブラックホールの回転によって変わり(高速回転していると小さくなる)、さらに強い重力によって光が曲げられるので、ぼっかりとあいた穴は歪んで見えるだろう。そんな「X線写真」を撮ってやれば、ブラックホールの質量や回転速度や円盤の傾きなどが一目でわかるはずだ。

 しかし、ブラックホールはとても小さいので、それを空間的に分解して、降着円盤の写真を取ることは簡単ではない。身近な例と比較するために、視力検査を考えよう。検査に用いる輪の1.5mmの幅の切れ目を5m離れてもわかるときの視力が1.0だ。その切れ目の「見かけの広がり」は、
1.5 / 5000 = 0.0003ラジアン、これは、1分角(=1 / 60度)に対応する。視力が2だったら、その二倍細かい構造が分解でき、位置分解能は0.5分角ということになる。たいていの地上望遠鏡や、高性能を誇るチャンドラX線天文衛星の位置分解能は、1秒角(=1 / 60分角)程度だ(視力60に対応する)。
一方、白鳥座X-1を考えると、ブラックホールの質量は約10太陽質量だから、そのシュワルツシルド半径は約30km。先に述べたように、降着円盤の内縁半径はシュワルツシルド半径の三倍だから、降着円盤にぽっかりとあいた穴の直径は約180kmのはずである。白鳥座X-1までの距離は約6000光年。これからブラックホールの「見かけの広がり」を「降着円盤に開いた穴の直径/ブラックホールまでの距離」として見積もると、それはほんの0.7ナノ秒角程度である。

 白鳥座X-1のような銀河系内の恒星質量ブラックホールは小さすぎて、将来にわたってその写真を撮ることは非常に難しいだろうが、もう一種類のブラックホール、巨大質量ブラックホールのほうが見かけの広がりが大きく、写真を撮るには適している。実際、我々の銀河中心までの距離は約2万5千光年で、そこに鎮座しているブラックホールの質量は太陽の370万倍だから、同様に見かけの広がりを見積もると約60マイクロ秒角となる。また、M87という銀河の中心にあるブラックホールについては、距離は約6000万光年で質量は太陽の30億倍、見かけの広がりは約20マイクロ秒角となる。実は、M87は強いX線を出しているので、ブラックホールのX線写真を撮るにはもっとも適している。残念ながら銀河中心のブラックホールは、電波は放出しているが、なぜか強いX線を出す降着円盤を持っていないのだ。

 では、観測の位置分解能をそこまで上げるにはどうすればよいだろうか?
  望遠鏡の位置分解能は、「観測に用いる波長/望遠鏡の口径」で決まる。観測波長を短くすればするほど、望遠鏡を大きくすればするほど、細かい構造まで分解できるのだ。ひとつの望遠鏡の口径を大きくするには限界があるが、幸い、遠く離れたところに二つ(あるいはそれ以上)の望遠鏡を置いて、観測された光を合成(干渉)させることによって、あたかも巨大なひとつの望遠鏡(干渉計)として扱うことができる。電波干渉計の技術はすでに1970年代に確立していたが(1974年のノーベル物理学賞の対象)、干渉計では望遠鏡間の距離を波長の精度で制御することが必要なため、波長が短いほどそれは困難で、可視光の干渉計による天文観測は1990年代になってやっと実現した。X線干渉計に至っては、21世紀前半でも実現できなかった。

 複数の望遠鏡を遠くに離せば離すほど、干渉計の位置分解能は良くなる。電波望遠鏡を宇宙に持っていって、地上の電波望遠鏡と人工衛星の間で干渉計を実現し、当時世界最高の位置分解能を達成したのが、1997年に宇宙科学研究所が打ち上げた電波天文衛星「はるか」だ。もし、宇宙空間で遠く離れた複数の衛星同士の干渉計が実現すれば、さらに高い分解能が実現する。仮に、地球の直径(約13000km)ほど離れた二つの人工衛星の間で波長1mmの電波を用いて干渉計が実現したら、位置分解能は約16マイクロ秒角となる。波長1オングストロームのX線を用いたら、約1.6ピコ秒となる。そのようなX線干渉計衛星が、人類が持ち得る、究極の位置分解能を実現する装置である。

 電波観測によって、銀河中心のブラックホールが空間的に分解されたと言う報告が僕たちを驚かせたのが2008年(Nature, 455, 78-80, 2008)。それは、地上の電波干渉計を用いた観測だが、以前より短い波長の電波を使うことによってより高分解能を達成し、はじめてブラックホールの見かけの広がりに制限をつけた。しかし、そこでは、ブラックホール周辺の二次元構造を明らかにし、ブラックホールの電波写真を撮るまでにはいたらなかった。

 ブラックホールからの電波は、ブラックホール周辺に霧のように大きく広がったガスから発生することがわかっている。やがて2020年代、世界で最初の電波干渉計衛星プロジェクトによって、宇宙空間で遠く離れた複数の電波天文衛星を用いた干渉計が実現し、銀河中心のブラックホールやM87のブラックホールについて、それらが電波の霧の中にぼんやりと影のように浮かびあがる様子が明らかになった。しかし、ピカピカと輝く円盤の中にポッカリとあいた穴としてブラックホールを撮影するためには、どうしてもX線で降着円盤を観測しなくてはならない。それを実現するためには、何万キロメートルも離れた人工衛星同士の距離を数オングストロームの精度でコントロールするX線干渉計が必要で、その技術的困難の克服には、21世紀後半まで待たなくてはならなかった。

 X線干渉計衛星。それは人類が今までに開発した、最も複雑で高精度の装置。その実現に必要な、一国では負えないほど莫大なコストを負担するため、世界でたった一つのミッションを、日本、アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国が協力して開発することが、21世紀前半に決定された。その壮大な国際科学プロジェクトを、あなたは熱い情熱と強いリーダーシップを持って、長期間にわたって辛抱強く率いてきた。気が遠くなるようなマネージメントの重責も絶え間ない微笑みでかわし、世界各国の政治家たちとの数えきれないほどの予算折衝も和を持ってこなし、時にはあまりの困難にくじけそうになる大勢のスタッフを、大きな瞳で優しく包み込むように励まし、説得してきた。強く、したたかに、しなやかに。X線を用いたブラックホールの直接撮影という、50年来の夢を叶えるために。

 2008年、ある秋の一日。あなたは久留米の「宇宙学校」で、僕のブラックホールの講義を一番前で聞いていた、髪の長い少女。僕が、その年初めて銀河中心のブラックホールの大きさが電波で測定されたらしいという最新のニュースの話をしたら、大きな瞳をよりいっそう大きく開き、難しい話をなんとか理解しようと一生懸命に耳を傾けていた。質問したいことが一杯で、まっさきに手を挙げたけど、最初に指されたら質問を忘れてうつむいてしまったシャイな女の子。そんなあなたが、50年後、世界で最初のブラックホールの目撃者になる。僕は、ブラックホールを自分の目で見ると言う、一生かけても叶えられなかった夢を、あなたの瞳を通して実現する。

(海老沢 研、えびさわ・けん)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※