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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第267号

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ISASメールマガジン   第267号       【 発行日− 09.11.03 】
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★こんにちは、山本です。

 11月だというのに夏日になったり、寒気団がやってきて冷え込んだり、相模原でも体調を崩す人が増えています。花粉症の最盛期の頃よりも、マスク姿の人が多い気がします。

 今週は、固体惑星科学研究系の春山純一(はるやま・じゅんいち)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:SELENE(かぐや)搭載カメラによる月面の縦穴発見
☆02:X線天文衛星「すざく」が銀河の外で大量のレアメタルを発見
☆03:ガンマ線バーストを使って「光速度不変原理」を検証
☆04:今週のはやぶさ君
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★01:SELENE(かぐや)搭載カメラによる月面の縦穴発見 〜月面下の溶岩チューブ(溶岩トンネル)存在の可能性〜 その裏話

 「日置(ひおき)が変なものを見つけたようですよ」
と、SELENE(かぐや)搭載地形カメラの数値地形モデルデータ処理を担ってくれているNTTデータCCS社の原さんが私の携帯電話に知らせてきた。解析室に行ってみると、明らかに周りのクレータとは違う黒々とした孔がモニタ画面に映し出されている。
「太陽高度は42°です」
と、日置さんが言う。そんなに高い太陽高度で底が見えない孔とは!
「あっ。溶岩チューブ(溶岩トンネル)の上に開いた孔ですね。(遂に見つけた!)」

 溶岩チューブは、溶岩が流れだした後に出来る空洞で、日本でも富士山麓に多数有る洞窟の殆どがそうである。これらは風穴とか氷穴とよばれていたりする。ハワイのキラウエア火山の麓では、チューブが形成されている過程が見られる。今回発見した縦穴は、この溶岩チューブに通じるものと考えられる。

 今回発見した縦穴は、月の表側の最も広い「海」領域(玄武岩質溶岩が覆い、地球から黒く見えるところ)である嵐の大洋の中、北緯14°、西経57°に存在する。その付近は、マリウスヒルズとよばれる火山地形がたくさん存在する場所で、しかも、溶岩が流れた痕であるリルのど真ん中に発見された。孔の直径は、65m。縦穴の壁は垂直で深く続いていた。このような径と深さをもつ孔は、通常の隕石衝突では出来ない。地下に空洞、すなわち溶岩チューブのようなものがないと出来ないと考えられる。様々な太陽高度による観測結果を解析すると、地表から少なくとも深さ60mまでつづき、また底が、深さ80〜90mのあたりにあるとの解析結果を得た。つまり、縦穴から続く地下の溶岩チューブは、天井厚さは60m程度、チューブ内の底から天井までは20〜30m、ということになる。単純な梁理論から得られる、天井厚さ60mが耐えられるチューブの最大幅は、370mである。幅がこれより小さい場合ももちろん有る。逆に、もし溶岩チューブがアーチ状の構造などを取っていたら、最大幅はもっと大きくなりうる。我々のデータでは、その実際のところは不明である。

 溶岩チューブが、月面地下に有る可能性は、40年も前、アポロ計画の頃から、多くの研究者によって予想され、調査されてきた。しかしながら、溶岩チューブ存在の主張根拠は、チューブが崩壊したように見える溝のような構造、或いは点状に連なるクレータの様子だけであった。

 溶岩チューブは、溶岩による大地形成で重要なファクターであり、溶岩の噴出年代、噴出量、噴出率を理解するといった科学的な観点から重要な研究対象である。一方、温度差が−200℃〜100℃にも及ぶ月面に比べ、月面地下に存在する溶岩チューブ内は、0℃付近と温度が安定し、また隕石や放射線からも守られている、非常に機器、そして人間にとって滞在しやすいところである。チューブの底面は、溶岩が最後に形成する平らな面と成っていることが多く、チューブ内移動も容易であろう。月面に存在する非常に細かい砂からもシャットアウトされているということもある。更に、溶岩チューブはまた密閉性もいいと思われ、前後を遮断し空気などを注入すれば、良い与圧空間にもなる。将来基地候補として、至れり尽くせりのところである。地球の溶岩チューブの幅は、大きいものでも20〜30mのようだ。しかし、月の場合は重力も小さいため、より大きなものが存在しうることは指摘されてきた。実際、上述したように、今回の発見した縦穴から続いている月地下の溶岩チューブは、巨大なものでありうる。この縦穴(我々は、見つかった地域の名前を取り、「マリウスヒルズホール」と名付けているが)の発見は、今後の月科学史、月開発史において、特筆すべき大きな出来事として記されることになると思っている。

 かつて、この孔付近の探査データはどうだったのであろうか? アポロ計画やルナーオービターが取得した画像データを調べてみた。アポロでは、この孔付近のデータは無かった。一方、ルナーオービターは、数mという高解像度データがあるが、マリウスヒルの近くを取得していた。そして、詳細に調べてみると、この縦穴をわずか数百mほど外していたのである。ほんの僅かである。データ取得時の太陽高度がそれほど高くなかったため、このわずか数百mを延長して撮っていたとしても、縦穴と判別できなかったかも知れないが、孔を探そうとしていた溶岩チューブの専門家達ならば見つけ出していたかも知れない。ともかく、40年前、ほんの僅かの差で捉えていなかったのだ。もし、40年前、この縦穴が発見されていたら、月探査の歴史、宇宙開発の歴史は大きく異なっていたかもしれない。そして、今頃はもっと多くの人が月に立っていたかもしれない。そう思うと、残念でもある。

 ところで、縦穴を発見したものの、それを如何に発表するかが問題だった。単に見つけた、では、歴史に残らない。我々は発見をきちんとした科学論文として残す必要がある。そうしなければ、誰も日本/SELENEによる発見、ということが後世の論文で引用されることなく、したがって思い出されることなく、やがて歴史の中にうやむやになりかねない。そして、そのとき打ち上げが近づいていた米国探査機 Lunar Reconnaissance Orbiter(LRO)に搭載さている超高解像度(最高50cm!)カメラによって詳細観測されてしまえば、米国が発見したということで歴史に認知されてしまうこともありうる。我々は、LROとの競争であった。しかし、私は、データの校正・補正、運用、その他もろもろの事もあり、なかなかデータ処理、解析、論文執筆がはかどらない。そして、遂に6月20日には、LROが打ち上がってしまった。さすがに墜ちろ、とは思わなかったものの、打ち上げ成功のニュースを見て、冷や汗が流れてきたのを思い出す。なんとか論文をまとめ、Science誌に投稿した。しかし、約一週間後、編集者より「他の論文に比べると、科学全般の進歩の面での貢献としては劣る」ということで、レビュアー(査読者)に回されることなく、リジェクト(掲載拒否)されて返ってきた。実は、それは予想された。Science誌、Nature誌に掲載されるかどうかは、他の科学分野論文との競争でもある。探査などで単に「発見した」「見た」というだけの論文だけでは載せてくれない。簡単には、同業研究者のレビューにさえ回してももらえないのだ。
投稿と同時にすすめていた、最終運用前に低高度で取得したデータの処理も含めて科学的な解析を進め、別論文に書き直し始めた。その頃にはLROもデータを出し始めていた。超高解像度データは素晴らしい。LROの軌道と太陽高度を調べながら、あと3ヶ月は見つからないな、とか(肝っ玉の小さい人間のようだが)祈りにも似た気持ちを持ちながら、解析、論文執筆を進めた。毎日、宇宙関係のニュースを見るとき、「米国LRO、月地下に巨大な溶岩チューブを発見」という記事が出てないか、びくびくしながら見たのを思い出す。一刻の猶予もない。Science、Natureへの投稿という賭は止めて、公表の早いGeophysical Research Letters(GRL)誌に投稿することにした。しかし、GRL誌も甘くない。その頃、私が共著となっていた論文でGRL誌に投稿したものが、厳しいレビュアーにあたり、一旦取り下げ再投稿の羽目に陥っていた。しかし、科学論文雑誌として評価がきちんとあり(インパクトファクターが高く)、何より早い査読のGRL誌以外に解は無かった。ともかく海外を含む共著者との昼夜分かたずの議論の末、仕上げ、GRL誌への投稿にこぎつけた。既に8月になっていた。その後、論文はエディタを通り、とりあえずレビュアーまで回ったときはとりあえずほっとしたが、その後、数週間も気が気でなかった。ともかく、レビュアーに厳しく査読され、結果リジェクトされた場合を考え次の手を打てるようにと、解析だけは進めていた。レビュアーからの査読結果は3週間後に返ってきた。レビュアーコメントは非常に好意的な書き出しであった。レビュアーは言う。
「I warmly congratulate the authors for this exciting discovery.」
この言葉を見て思った。
「よし、これで何とかなった!」
ところが、コメントを読み進めてみると、厳しいつっこみ盛りだくさん。
「どうしよう。これでは改訂期限までに間に合わないかも…」
と少し弱きにさえなった。しかし、基本的には好意的なレビューであることから気を取り直し、一つ一つクリアにして、改訂版をなんとか仕上げ、送り返した。この改訂作業では、特にドイツのHiesinger夫妻が多大な助力をしてくれた。8時間の時間差の中でのやりとりであった。そして、改訂版の評価が終わり、遂にアクセプトされ、in press(印刷中)という知らせが来たときは、うれしい、という感情よりも、むしろ、本当に、本当にホッとした、というのが正直な感想である。なんとか、日本の探査機SELENEのすばらしさを、この縦穴の発見でもって伝え、少しは宇宙科学史・宇宙開発史にSELENEの名前を記し、SELENEを支えて下さった人たちへ、少しは恩返しもできたのではないかな、と思った。

 5年前になる2004年、JAXA統合によって、NASDAから学生時代を過ごした古巣ISASに戻ってきた私は、ISASニュースに「再び月をめざしませんか?」というタイトルで寄稿させていただいた。
http://www.isas.jaxa.jp/j/forefront/2004/haruyama/index.shtml
その中で、私が担当する搭載カメラで、個人的に行いたい研究課題を4つ挙げた。それは、
(1)年代調査、
(2)渦巻き模様調査、
(3)極調査、そして
(4)溶岩チューブ調査
である。そして、当初考えていた方向とは若干異なるものの、すでに、年代、極、そして、今回溶岩チューブについて論文にし発表することができた。残す「渦巻き模様調査」も、現在会津大の小川佳子さんらと研究をすすめて、重要な結果が得られつつある。まだ早いかも知れないが、ここに来て振り返るに、多くの幸運があったといえる。特に、人に恵まれた、という感を強くしている。

 そもそもSELENEを守って打上げにこぎ着けられるようにされた旧NASDA、ISASのSELENEプロジェクト関係者の多大な努力のおかげである。これまでに執筆できた論文の主著は私であるが、これらは、当然、カメラのCo-PIである、松永さん(国環研)、大竹さん(JAXA/ISAS)はじめ、ポスドクである諸田さん、横田さん、そして他大学に散らばる共同研究者やメーカ担当者の方々の多大な協力無くして成らなかったものばかりである。

 今回の縦穴発見は冒頭にも書いたように、日置さんがみつけてくれた。前から私が探していた溶岩チューブに関わるものとひらめいてくれなかったら、データの山の中に埋もれていたであろう。こうした素晴らしい仲間たちと、探査そしてデータ解析ができたのは何ものにも代え難い経験であった。そして、ちょっとドキドキしながらも、自前のデータでもって、諸外国の並み居る百戦錬磨の研究者達と良い意味での競争をするのは、10年以上にもわたる開発の苦難を補って余りある月惑星探査の醍醐味である。

(春山純一、はるやま・じゅんいち)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※