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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第266号

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ISASメールマガジン   第266号       【 発行日− 09.10.27 】
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★こんにちは、山本です。

 ISASが駒場から全面移転したのは1989年でした。20年もすると設備も古くなり、いつもあちこちで照明器具の取替えや、空調設備の更新工事をしています。

 私の居室はプレハブの建物で、来月には取り壊されます。そこで今は引っ越し準備の真っ最中です。

 今週は、赤外・サブミリ波天文学研究系の山村一誠(やまむら・いっせい)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:宝は何処に?
☆02:金星探査機PLANET-Cの名称「あかつき」に!
☆03:超伝導サブミリ波リム放射サウンダ(SMILES)の初観測データ取得について
☆04:今週のはやぶさ君
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★01:宝は何処に?

 メールマガジンの執筆を依頼されたのですが、最近は居室に引きこもりの生活が続いているせいで、あまりおもしろい話題を提供することが出来ません。やむを得ず、少々古いネタで失礼します。

 今を去ることちょうど10年前、私はポスドク研究員としてアムステルダム大学におりました。1995年に打ち上げられ、1998年まで観測を行ったヨーロッパのISO(アイソ、あるいはイーゾと呼びます。前者の方がポピュラー)という、スペース赤外線天文台(人工衛星望遠鏡)が取得したデータが、当時世界の赤外線天文学を最先端で牽引していました。私も、そのデータを使って研究をするために、研究所に籍を置かせてもらっていたわけです。

 私が研究していたのは、星の一生の最後にあたる赤色巨星の赤外線スペクトルです。スペクトルの研究というのは、例えば虹のそれぞれの色の光がどれくらい強かったり弱かったりするかを調べることです。星によって強度のパターンが違っており、それが星の様々な性質を探る鍵となっています。赤外線ではきれいな虹は見られませんが、センサーを使って得たデータをコンピュータ上で解析していきます。赤色巨星のスペクトルに見えているパターンは、星の表面に存在する水蒸気、一酸化炭素、二酸化炭素、アセチレンなど様々な分子ガス、あるいはダスト(煤や、とても細かい砂粒)によって作られます。星の性質を調べるため、私は様々なガスや塵のスペクトルのパターンを集めて毎日睨んでいました。

 そんなある日、日本で旧知の教授から連絡がありました。教授は以前から時々議論していただいていた、宇宙空間にある分子の専門家で、スペインに観測に行く帰り道、アムステルダムで一泊しなければならないので、ご飯でも食べないか、というお誘いでした。もちろん大歓迎です。当日お迎えして、レストランでピザを食べている席上、ISOの観測データの話になりました。

教授:「○○さん(ヨーロッパの著名な研究者)は、SH分子(注)を見つけたと前に言っていたけど、その後どうなったか知ってる?」
(注)SHは硫化水素H2Sではなく、硫黄と水素が一つずつ結合したもの。不勉強にも日本語名が分かりませんでした。
 私:「いえ、その話しは知りませんね。SHってそんなに重要なんですか?」
教授:「CH、NH、OH、とみつかっているけど、SHはまだ誰も見つけてないんですよ。電波天文学者はもう20年も前から探してるんですけどねぇ。」
 私:「え、SHでしたら、私、見ましたよ。ある論文に出てた赤外線のスペクトルにあったと思いますけど・・・」
教授:「えー!まさかそんなはずはないでしょう。もし本当だったら大変なことだ!」
 私:「えー、そうなんですか。じゃあ確認してみます。」

 さっそく翌日研究所に行った私は、件の論文を見てみました。その論文は、1984年に発表されたもので、アメリカのキットピーク天文台にあった、大変高性能の分光器で得られた星のスペクトルが延々とプロットされているものでした。私は、研究の参考にするために、その論文に出ている様々なパターンを、自分が集めた様々な分子のスペクトルと重ね合わせて見ていたのでした。さて、もう一度重ねてみると…やはりぴったりと重なります。論文には、SHのことなど何処にも書いてありません。あれあれ。さっそく教授にスペクトルのプロットをFAXしました。帰国した教授はさっそくそれを見て、返事をくれました。
「これは大発見だ。すぐに論文にしましょう!」

 次の日から、それまでやっていた研究をなげうって(オランダのボスが良く許してくれたものです)臨戦態勢。まずはスペクトルをコンピュータに読み込んで解析することです。元の論文の著者に、データを送ってくれと連絡すると、
「そのデータは昔の大型計算機の磁気テープに記録されていたんだが、今はもう読めなくなっちゃってる」
とのこと。うーん困った。仕方がないので、印刷された論文をスキャナで取り込んだ画像データをコンピュータで表示させ、なぞってデータを復元にすることにしました。でもそんなソフトは簡単には手に入りません。仕方がないので、自分で作ることにしました。プログラムを作って、作業しながら改良をくわえて、全部のデータを読み込むのに大体二週間くらいかかったでしょうか。そのデータを、今度は赤色巨星の分子スペクトルを計算するプログラムを使って解析するのに約一週間。そして文章を書いて論文に仕上げるのに約二週間。全部で五週間の奮闘の後、投稿までこぎ着けました。この間は、夜も泊まり込みに近い状態(日本の大学や研究所と違って、ヨーロッパの研究所では、大体皆18時か19時ごろになると帰ってしまいます)で、一種の興奮状態にありましたし、やはり若かったせいで一気にがんばってしまえたのでしょう。審査や印刷に四ヶ月ほどかかるので、出版されたのは年明けでしたが、これで晴れてSH分子が宇宙にあることが広く知られるようになったのでした。めでたしめでたし。

 ISOという、最先端の観測データを解析しているつもりが、10数年前の観測の、既に出版された論文のデータから思いがけない発見をするとは、世の中、宝は実は至る所に隠れているのだ、とつくづく思った次第です。これからもきょろきょろしながら、幸運に巡り会う楽しみに期待したいと思います。

 あ、もちろん本業のISOデータでも、たくさん研究しましたよ。

(山村一誠、やまむら・いっせい)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※