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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第229号

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ISASメールマガジン   第229号       【 発行日− 09.02.10 】
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★こんにちは、山本です。

 先週号で相模原の春の便りをお伝えしましたが、読者の方から【内之浦】の春の様子が届きました。ありがとうございます。

 「はやぶさ」のイオンエンジン再点火のニュースが入ってきましたが、メルマガではチョット遅れて今週号になってしまいました。
 「はやぶさ」が話題になると読者からのメールがグーンと増えますが、質問や感想・激励のメールの送り先が分からない方もいるようです。
mail-magazine@isas.jaxa.jp
へ、気兼ねなくお送りください。(但し、迷惑メールは遠慮します。)
 質問の際は、「名前」を書き添えてくださいね

 今週は、宇宙科学プログラム・システムズエンジニアリング室の飯嶋一征(いいじま・いっせい)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:夏作業
☆02:「はやぶさ」イオンエンジンを再点火…
☆03:今週のはやぶさ君
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★01:夏作業

 「あっちむいてふたりでまえならえ〜♪」テレビを見ているとNHK番組から楽しげなリズムが流れてきた。テレビに目を移すと南極大陸をバックになんとアルゴリズム体操(※番組の中のおもしろ不思議体操)をしている数十人の南極越冬隊の姿があった。日焼けで真っ黒な顔にサングラス、赤の上下防寒着、安全長靴という皆おそろいの格好で軽快に踊っていた。

 数年前、南極の昭和基地で科学観測用大型気球を使った実験が計画され、私はその年の南極観測夏隊に参加した。テレビの中で観測隊が踊ってる場所がまさに実験を行い、凍てつく寒さの中ヒーヒー言いながら重いパイプをかついだ懐かしい場所だった。

 1月5日、南極。昭和基地のヘリポートにて大型気球を使った成層圏大気採集実験が行われた。12月下旬から数えて3機目の最後の大型気球だ。
ガスが充填された気球は350kgの採集装置をぶら下げ上空30kmまで上昇する。大気サンプリング後、採集装置は気球から切り離されパラシュートで降下してくる。採集された大気は二酸化炭素などの温室効果ガスの研究に利用されるのだ。

 大型気球を上げるのは設備の整った日本でも大変である。ここでは気球を触るのが初めての隊員たちにサポートをお願いし南極だけの放球集団を作った。

 今まで地上風が卓越し、連日の放球中止日が続いた。5日早朝、風は弱まりチャンスに恵まれた。朝8時、ヘリポートにメンバー集合。採集装置の最終電気チェックを行い、装置を放球位置にセットした。気球ポリエチレンフィルムの厚さは20μmと薄く、小さな傷がついても上空での破裂の原因となる。保護用シートを地面に敷き慎重に気球を地面に展開していった。ヘリ ウムガス充填から30分後、地上に立ちあがった気球は全長60mにもなり、頭部だけにヘリウムガスが集中した頭でっかちのクラゲ姿になった。これが上空にいくとぱんぱんに膨らみ直径40mの球になる。10時40分、風の状態に合わせ装置の飛翔方向を調整し放球した。気球は順調に上昇し、青一色の南極の空に吸い込まれていった。大気が澄んでいる南極では数十キロ彼方に飛翔する気球がいつまでも目視できた。採集装置は後日無事に回収され厳重に梱包し日本に持ち帰った。

 簡単に書いたがここまでの道のりは決して楽ではなかった。かなり苦労したのである。「あとは片づけ。やっと南極での仕事が終わった。」とこの時は思った。が、これからが夏隊の本番、大変な作業が待っていたのだ。

 最後の放球から1ヶ月が過ぎた。私は昭和基地の沿岸部で作業をしていた。休日もほとんど無く、毎日朝8時から夜7時まで極寒の外作業が続いた。新品だった防寒着は既に茶黒く汚れ、顔は極度の日焼けと無精ひげに覆われ、体は寝ころんだ瞬間イビキをかいて眠れるほど疲れていた。

 数人がアンカーを打ち込むため、雪をシャベルでかき分け大きな岩は素手でひとつずつ取り除き、岩盤がでるまでひたすら穴を掘っていた。そして凍土にぶちあたったのだ。
「ダメだ。凍っていてこれ以上掘れないね。削岩機と発電機を持ってこよう。あと、資材も。」
顔半分がヒゲで埋め尽くされた現場班長が指揮をとった。急斜面のゴツゴツした岩場を削岩機用の発電機を4人がかりでやっと運び終わった。「次は資材だ。。。」疲労の上、極寒の中での作業で体力も奪われていった。フラフラになりながら皆黙もくと重い資材を肩にかつぎ運んでいった。

 地面が出ている夏の間、隊員は各々の専門分野の観測が終わると即座に施設設備の建築・修繕のため土木・建築現場へまわされる。この年もインテルサットアンテナ建設、観測棟外壁改修、エアロゾル観測小屋建設、燃料送油管設置、防油堤建設といった現場作業があった。私も最後の放球が終わるやいなや燃料送油管の現場にまわされた。1kmあまり離れた燃料タンクから基地まで燃料パイプを設置する。起伏の激しい岩場、沿岸地帯を基地まで数mごとに地をならし穴を掘り、セメントで土台を作っていく。その上に架台を建て、直径20cmの金属パイプを載せ1本ずつ繋げていくのだ。岩場を信じられないくらい重い燃料パイプをかついで1本ずつ運搬するのも骨が折れた。車が入れない険しい地域はほぼ全ての作業が人力となる。この穴掘りとパイプ運びがひたすら約1ヶ月以上繰り返され、体の節々が悲鳴をあげた。本当に気が遠くなる作業だった。他の現場でも予想以上の過酷な作業であったことは言うまでもない。

 夏の工事は限られた期間で、ギリギリの人数で工事を完成させなければならない。ブリザードなど天候の悪い日はもちろん外出禁止となる。遅れた分取り戻そうと夕食後も作業を行う日もあった。隊員は飛行機パイロット、海上保安官、大学教授、医者、役人と様々な職種の人間がいたが、皆年齢や肩書に関係なく土木労働者となる。隊の数人以外はほとんどの人間が建築とは縁のない素人集団であった。すべての工事は無事に完了した。各現場をしきる班長は迫る期日と思い通りに進まない作業のプレッシャーの中でさぞかし精神的にも大変だったことだろう。2月上旬、越冬隊を残し夏隊は昭和基地をあとにしたのであった。

 南極での放球も大変であっったが、その後のこの夏作業が思いもよらずしんどかった。凍えながらひたすら穴を掘った。帰国後、体重を量ると出発前より10キロ減っていた。この南極での作業は今でもはっきりと覚えている。極地での作業、異分野の職人たちとの交流はめったに得られない良い経験になった(はず)。ISASに入ってからの“夏”の思い出といえばやはりこ の南極での穴掘りを思い出す。

ISASニュース2004年4月号東奔西走
新しいウィンドウが開きます http://www.isas.jaxa.jp/ISASnews/No.277/gowest.html

(飯嶋一征、いいじま・いっせい)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※