宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASメールマガジン > 2008年 > 第191号

ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第191号

★★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ISASメールマガジン   第191号       【 発行日− 08.05.13 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★こんにちは、山本です。

 ゴールデンウィーク明けは、毎年恒例の大気球実験が始まります。今年からは、北海道の大樹町での実験となります。先週は、真夏日のような暑さかと思えば、雪も降ったりしていました。天候に恵まれた実験開始となるよう願っています。

 今週は、宇宙科学情報解析研究系の海老沢 研(えびさわ・けん)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ゼッケン39番、救助を要請します
☆02:大樹町/JAXA 連携協力協定調印式
☆03:2008年度の気球実験について
───────────────────────────────────

★01:ゼッケン39番、救助を要請します

 僕はユーラシア大陸の真ん中で遭難していた。非常用マニュアルに従ってGPSで地球上の位置を確認し、イリジウム携帯でオフィシャルの緊急番号を呼び出す。「ゼッケン39番、423kmを過ぎたところでミスコースしました。北緯50度09.803分、東経93度10.325分の地点で砂に埋まってスタックしています。これ以上は走行不可能です。救助を要請します。」とっくに真夜中は過ぎて、一寸先も見えない漆黒の砂漠の中でひとりぼっち。もう気力も体力も限界だ。僕はサラサラの砂に埋まったバイクの横に体を投げ出し、思い切り大の字になって夜空を見上げる。全身に熱がこもり、激しい動悸がおさまらない。ああ、いったいここはどこなんだろう…。

 モンゴルのラリーに参加して三日目、真っ暗闇の砂漠の中で膝まであるほど深い砂に車輪を取られ、何時間ももがいたあげく、結局脱出できずに救助を要請するはめになった。プロのライダーたちに交じって、八日間で3500kmの道なき道を走り切るはずだったのに、早くも三日目でリタイヤだ。やはり素人にモンゴルのラリー挑戦は無謀だったのか…。それにしても、一般相対性理論を使って地球の重力による時間の遅れを補正したGPSと、66機の人工衛星によるグローバルネットワークを使ったイリジウム携帯の おかげで、砂漠の真ん中で遭難しても、わずか数メートルの精度で自分の位置を知ることができ、エベレストの山頂でも太平洋の真ん中でも、世界中ありとあらゆる場所に電話をかけることができる。そして、もうじき化け物のようなパワーを持ったカミオンバレイが、僕と砂に埋まったバイクを救出に来てくれるはずだ。サイエンスとテクノロジーの勝利だ!

 僕は砂の上で大の字になったまま、満天の星空を見上げる。全く光も音も生命も存在しない世界。「サハラの友達」と一緒に眺めたサハラ砂漠の星空も美しかったけど、モンゴルの砂漠でひとりぼっちで眺める天の川も、鳥肌が立つほど美しい。本当は危機的な状況なのかもしれないけど、僕の心はなぜかうきうきしてくる。何とか仕事を切り上げてやっと夏休みを取り、はるばるこのモンゴルの最果ての地までやって来なかったら、今頃はいつものように相模原のオフィスで、あくせくとコンピューターに向かってキーボードを叩いていたはずだ。それに比べたら、救出を待ちながら安心して砂漠の真ん中で満天の星空と途切れない流れ星を独り占めとは、なんて贅沢な遭難なんだろう!間違いなく一生の思い出になりそうだ。オオカミの遠吠えだけは怖いけど、どうか近くに来ないように…。

 しばらくの間、サラサラの砂の上で寝そべりながら、じっくりと「僕の空」でも眺めることにでもするか。しかし、世界最高性能の天文衛星や地上望遠鏡を使って、「僕の空」のことは、それこそシラミつぶしのように隅から隅まで調べたつもりだけど、自分の肉眼でこれほどゆっくりと眺めるのは初めてだなあ…。

 天文学者なら誰でも、自分の好きな天体や、好きな空のフィールドを持っている。北極星から天の川に垂線を下すと、そこが天の川銀河の中心から銀河面に沿って左向きに117度(銀経=117度と言う)。「僕の空」は、銀河中心からその約4分の1離れたあたり、銀経=28.5度のところにある約0.3度四方の小さな領域。ちょうど満月にすっぽりと隠されてしまうくらいの大きさだ。僕は、世界最高感度を誇るアメリカのチャンドラX線天文衛星に、この領域を深く観測するためのプロポーザルを提出し、2000年と2001年、連続して10万秒ずつの観測時間を得た。チャンドラ衛星の観測時間を勝ち取るための競争は厳しく、長時間観測のプロポーザルを通しただけで、僕は得意な気分になったものだ。そのデータをじっくりと解析して論文を書いて以来、このフィールドが、僕が一番好きな空になった。
2002年と2005年にはチリに飛んでヨーロッパ南天文台の4m望遠鏡を使ってこの空の赤外線観測もしたし、2005年と2006年には日本のX線天文衛星「すざく」を使って、やはり10万秒ずつ観測した。そして、2007年にはハワイのマウナケアに登って、世界最大、口径8mの「すばる」望遠鏡を使った贅沢な赤外線観測を楽しんだ。この小さな空のことは、おそらく僕が世界で一番よく知っているはずだ。

 人類はその誕生以来、天の川の美しさに魅せられてきた。Milky Way、Voie Lactee、Via Lattea、英語やフランス語やイタリア語では、天に注いだミルクの道だ。天文学の知識を持たない古代人が見た天の川の神秘的な姿は西はギリシア神話から東は織り姫と彦星の物語まで、数多く語り継がれている。実際には天の川に水やミルクはなく、それは約2000億個の星の集まりであることが分かっている。あまりにも暗くてたくさんの星があるから、それが分解できずに川のように見えているのだ。では、もしX線で天の川を見たら、それはどのように見えるのだろうか?実は、X線でも天の川は存在する。でも、そこにX線を出す星がいくつくらい存在するのか、全くわかっていない。その謎を追究するのが、僕の大事な研究テーマだ。

 X線天文学の誕生は1962年(僕が生まれたのと同じ年だ)。地球の大気はX線を通さないから、X線天文学の研究にはロケットや人工衛星が必要で、それは宇宙開発と足並みをそろえて発展してきた。天の川が強いX線を出していることがわかってきたのは、やっと1980年代。日本の「てんま」衛星は、天の川のいたる場所から、高温プラズマの存在の証拠である、高階電離した鉄のスペクトル輝線を発見した。天の川は数千万度の高温プラズマに満ちている!しかし、その高温ガスが星間空間に霧のように広がっている のか、あるいはそのような高温大気を持ったX線星が非常にたくさん存在しているのか、そんな単純な問題に、今でも決着がついていない。1990年代になり、世界で初めて高エネルギーX線望遠鏡を積んだ「あすか」衛星は、既知のX線星が存在しないにも関わらずX線放射が強い「空白」領域、銀経=28.5度のフィールドを集中的に観測した。しかし、あすかの感度と分解能では、空白領域からのX線は、それが真に拡がった高温ガスによるものなのか、あるいは一つ一つには分解できない暗いX線星の集まりなのかを区別することができなかった。ちょうど、点描派の絵画を遠くから見ても、それがたくさんの点の集まりなのか、あるいは単純に面を塗りつぶしたものなのか判別できないように。新聞のカラー写真も、虫眼鏡で拡大して見れば実はたくさんの小さな点の集まりだ。ちょうど同じ問題が、X線で見た天の川でも起きていると考えればよい。

 2000年になり、僕たちはチャンドラ衛星を用いて、あすか衛星の約100倍の感度で、同じ銀経=28.5度領域の観測を行った。チャンドラ衛星は優れた集光力を持つので、X線光子をほんの10個でも捕まえれば、それはCCDの1ピクセルに集中し、まわりの空ピクセルと比較してそこに星があると判別できる(あすか衛星では、光子がたくさんのピクセルに散らばってしまうので、拡がったガスと区別がつかないのだ)。そういう、10万秒かけて、やっと10個の光の粒を検出できるほど暗いX線星を、僕たちはチャンドラの視野中に数百個みつけたが、それらをすべて足しても視野全体のX線放射の一割程度しか説明できない。さらにより暗いX線星の数を予想して、その総和を見積もってみても、まだまだ天の川からのX線放射全体を説明するには及ばない(僕たちが予想した天の川中のX線星の数は、百万個程度だ)。よって僕たちは、天の川からやってくるX線放射にはX線星の寄与は少なく、残りの大部分は星間空間に拡がった高温ガスによるものだ、と結論づけた。この結果は「サイエンス」誌に掲載され、NASAからプレスリリースもされた。世界中の研究会で、天の川はX線を放射する謎の高温プラズマで満たされている、と僕は力説し、20年来の謎に決着をつけた、と信じていたのだ。

 しかし、物語は意外な展開を見せる。2006年に、僕たちの結果を真っ向から否定する、天の川からのX線の起源は拡がったガスではなく、今までに予想されていたよりもずっと暗くてたくさんのX線星の集まりである、と主張する論文が、ロシアの高名な研究者らによって出版されたのだ。彼らは、X線で見た天の川と赤外線で見た天の川の形がほぼ完全に一致し、赤外線強度とX線強度のあいだに見事な比例関係があることを示した。僕は頭から冷や水を浴びせかけられたような気がした。赤外線強度分布が通常の星の空間分布を表していることは、よく知られている。つまり、この結果は、通常の星がたくさん集まって可視光や赤外線で天の川を形づくっているのと同じように、ひとつひとつには分解できないほど暗いX線星がたくさん集まり、X線でも全く同じ形の天の川として見えている、と言うことを示唆している。彼らの主張によると、天の川中のX線星の数は、僕らの見積もりより約千倍も多い、十億個以上だという。そんなにたくさんのX線星が天の川に存在する可能性は、僕も含めて誰も考えていなかった。

 しかし、まだ天の川からのX線放射が、個々の星に分解できたわけではない。僕たちは地上望遠鏡を使って、チャンドラが見つけた数百個の天体を赤外線で同定しようとしている。すばるの8m鏡で、天の川の銀緯=28.5度領域を奥の奥まで貫いて撮った写真は、びっしりと全面、星に埋め尽くされている。それは今までに人類が一番深く見た天の川の姿だ(あまりにもたくさんの星があって、頭がクラクラするほどだ)。しかし、それをいくら詳細に調べても、チャンドラが見つけたX線星に対応する位置に、赤外線天体はほんの僅かしか見つからないのだ。いったい、何が起きているのだろうか?

 ロシアのライバルたちの主張に沿って考えられる、ひとつの可能性は以下の通りだ。赤外線とX線強度分布の大局的な一致は、赤外線を出す星とX線を出す星が「大体」同じように分布していることを示しているが、一般に、強いX線を出している星が赤外線で明るく光っているわけではない。実際、天の川からのX線放射を主に担う天体の候補は白色矮星であるが、それは赤外線ではむしろ暗い類の天体だ。チャンドラによって分解されたX線天体の赤外線放射は、すばる望遠鏡を持ってしても見えないほど暗いのだ。さらに、もし天の川からのX線放射が完全に点源に分解されるとしたら、その大部分を担うのは約二桁も暗い白色矮星だと予想されている。もしそれが本当だとしたら、それらの天体はX線でも赤外線でも、現在の「未熟な」観測手段では、たくさん集まって「ぼんやり」と見えるだけで、一つ一つには分解できない、ということになる。

 真っ暗闇の砂漠で大の字に横たわり、ペルセウス座に流れる星を数えながら、僕は考える。いったいそんなことがあり得るのだろうか?おもわず、脇を冷たいものが流れ、胸の鼓動が激しくなってくる。僕たちは、世界最高感度を持つ天文衛星が10万秒も観測して、やっとX線光子10個をつかまえられるほど暗い星をみつけたんだぞ。それがむしろ「明るい」方の氷山の一角で、天の川に存在するX線源の大部分は、その100倍も暗い、約120日間観測して、やっと10個の光子を捕まえられるほど暗い星だ、というようなことが…。

 もし、それが真実だとしたら、現在僕たちがX線で見ている天の川の姿と言うのは、その全体像と比べて、なんと限られた、ちっぽけなものなのだろうか?しかし、X線天文学が誕生してからまだ50年も経っていないし、1970年に打ち上げられた世界最初のX線天文衛星Uhuruが作ったカタログに載っている天体の数は、わずか300個足らずだ。X線で天の川が見つかってからもやっと20年ちょっと。2008年の今現在、世界最高の観測装置とかデータとか言って騒いだって、50年、100年後の人類から見たら、それはオママゴトみたいなものなのかもしれない。

 いずれにしろ、僕たちは、持てる技術とデータを駆使して、一歩ずつ前進しなくてはならない。今年になって、僕たちは、すざく衛星で銀緯=28.5度フィールドを観測した論文を発表した。すざく衛星搭載CCDカメラの優れたエネルギー分解能のおかげで、今までは一本にしか見えていなかった鉄のスペクトル線を、初めて3本に分解することができた。高エネルギー側の2本の輝線スペクトルを放出しているのは高温電離プラズマであるが、それ以外に、低エネルギー側の蛍光輝線を放出している、電離度が低くて高密度の物質が、銀河面上にあまねく存在していることが明らかになった。もし拡散プラズマ説が正しければ、それは星間分子雲だと予想されるし、点源説が正しければ、それは白色矮星表面からの反射で説明できるだろう。近い将来、次期X線天文衛星「NeXT」搭載のマイクロカロリメーターを使えば、CCDカメラよりも約20倍の高分解能でスペクトル観測を行うことができる。それによってさらに輝線を細かく分解してプラズマ診断を行い、プラズマ密度に制限をつければ、低密度の極限である拡散プラズマと高密度の極限である白色矮星大気の区別がつくだろう。そして、もし蛍光輝線が白色矮星表面からの反射によるものだったら、その波長が白色矮星の強い重力によって赤方偏移している様子が、マイクロカロリメーターによって明らかになるかもしれない。

 僕は天の川からのX線の謎を、どうしても解き明かしたい。その起源が星間空間に満ちた高温プラズマであることを示したのが、僕の研究者としてのキャリアで最大の成果であるはずだったのに、もしかしたらそれは最大の間違いだったのかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。僕は自分が生きている間に、どうしても本当のこと、この宇宙の真実を知りたいだけなんだ。もし、誘惑の悪魔メフィストが、宇宙の真理と僕の命の交換を持ちかけて来たら、僕は喜んで取引に応じるかもしれない。

 「僕の空」から視線を地上に戻し、現実の世界に返ると、ここはモンゴルの砂漠の真っただ中だ。カミオンバレイの光が見えてきた。もうじき逞しいモンゴルの男たちが太い腕で砂に埋まった僕のバイクを掘り出して、トラックに載せてくれるはずだ。僕はもうそろそろ日本に帰ろう。ここでは、僕はなんにもできやしないから。

 誰よりも速く走り、誰よりも遠くに行きたいという欲望に導かれて、この未踏の地に世界中の冒険家が集まってきたように、宇宙の果てまで見通して、自然界の謎をすべて解き明かしたい、という強い欲望を持った、科学者と言う名の冒険家がいる。バイクにまたがった冒険家たちが、荒野を疾走のように駆け抜け、一分一秒を争う熾烈な戦いを繰り広げているように、僕たち科学者が人工衛星や望遠鏡を使って本気で戦うフィールドは、相模原のオフィスや、内之浦の衛星運用室や、マウナケアの山頂だ。僕はモンゴルのラリーでは最後まで走り切ることができなかったけれども、宇宙の研究では悔いが残らないように最後まで走り切ろう。地球上で過ごすことが許された残り僅かの時間、知力と体力が尽き果てるまで。

(海老沢 研、えびさわ・けん)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※