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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第171号

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ISASメールマガジン   第171号       【 発行日− 07.12.25 】
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★こんにちは、山本です。

 2007年最後のISASメールマガジンです。今年もご愛読ありがとうございました。スパムメールの嵐の中、励ましや感想のメールを送っていただいた読者の皆さま、ありがとうございます。

 2008年もISAS並びにISASメールマガジンを応援いただきますよう、宜しくお願いします。

 今年最後は、宇宙の電池屋・曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。

 次号は、2008年1月1日に配信予定です。 乞 ご期待!

── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙教室体験談
☆02:「すざく」、宇宙線の高エネルギー粒子加速源にせまる
☆03:月周回衛星「かぐや(SELENE)」定常運用へ移行
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★01:宇宙教室体験談

 「宇宙の電池屋」です。最近は「航空宇宙の電池屋」を目指しています。

 僕が子供のころ、キャプテンハーロックはマゾーンと戦っていました。
永く続く平和の中で堕落した地球は脅威に対して無防備になっていた。ハーロックは海賊となって、アルカディア号を駆り、単艦、マゾーンと戦っていました。

 ハーロックはいつも言っていた。
「俺は決して絶望しない。最後の一人になっても、自分の信じるもののために戦う!」

 そうだ、どんな状況にあっても、信じるものがあるなら諦めてはいけない。

 僕は子供のころ、宇宙への夢を具体的に見始める前は学校の先生になりたかった。大学では教員免許も幾つか採りました。でも、ヒトはいくつもの夢を同時にかなえることはできない。一つの夢をかなえることは、他の夢を捨てることを意味する。旧:宇宙開発事業団への就職が決まり、宇宙開発への夢が現実を帯びてきた頃、教員の夢は潰えつつありました。そんな中、入社後、何度か機会をえて、色々な学校を回る宇宙教室に参加させていただくことができました。教員になることが夢の一つであった私には、学生の皆さんと接する機会を得られることが大変にうれしく、また活力を頂く場でもありました。

 仕事として宇宙開発に係ることは、時として夢を現実に引き戻されるつらいものです。僕たちの頭の中には、「こうあって欲しい」「こうしたい」が山ほどあるのに、現実の宇宙開発はコストとスケジュールのせめぎ合いの中で、色々なパワーバランスが産まれて進んでいきます。大人が責任を負って進めることですから、それは止むを得ない実情ですが、やはり個々人のモチベーションとして、夢は捨てきれない。

 そういったとき、純粋に私たちの業務に夢を託してくださる方たちに接することができる宇宙教室は、私にとっては大変に勇気をもらう時間でもあります。

 私が子供のころ、私のいた自治体では「星を見る会」を開いてくださっていました。よく、母に連れていってもらった。私自身、そういった積み重ねが今の自分になっているのだろうと強く感じます。今の宇宙開発や宇宙探査の現状をお話して、これからあって欲しい未来を想像してもらいたい。

 宇宙教室には時として大変に年配のかたも来てくださいます。故郷の市民大学で講演をさせていただいた時には、平均年齢63歳(!)という中、小学校や高校・中学のときの恩師や生まれ育った家の近所の方まで来てくださり、なんとなく学習発表会のような様相を呈したこともあります。ただ、そういった色々な皆様にお話をさせていただくと、ヒトは年齢の区別なく夢をもって生きていきたい生き物だということを強く感じます。また、聞いてくれる子供たち(時には年配の方も含めて)のまなざしから、こちらも「よっしゃ、もうヒト踏ん張り」と活力を頂いています。

 以下はそういった体験の一つです。

 私のご先祖様は、甲斐の武田の家臣だったそうです。NHKの大河ドラマで「風林火山」が放映されていますが、私のご先祖様は武田信玄に追い出されたお父上の側に付き従って駿河に落ち延びた一人だといわれています。以来、永く静岡県の焼津市に住んでいたようです。先祖の墓のあるお寺には、駿河に逃れた際に先祖が担いできたといわれている不動明王が安置されています。

 宇宙教室の依頼を頂いた中で、「於:ディスカバリーパーク焼津」と見たとき、矢も立てもたまらず引き受けました。これもご縁と思い、ディスカバリーパーク焼津に行ってきました。

 当日はたくさんの子供たちが、お父さんやお母さんと一緒に来てくださっていました。この日は、私の宇宙教室の前に、子供たちの自由研究の発表会がありました。ディスカバリーパーク焼津に設置されている大型の天体望遠鏡を使った観測に係る研究発表でした。望遠鏡で月のクレータを観測してクレータの大きさを月の直径と比較して計算した報告や、木星の衛星の光学観測からガリレオ衛星の公転周期を割り出した発表など、とても印象的な発表が見られました。

 この上で恥ずかしい宇宙教室はできない。エンジニアの目から見た、宇宙開発や宇宙探査の現場の話、そのときに周囲の人たちがどういった観測を進めていたか、「はやぶさ」の運用室の雰囲気など、経験談を話しました。

 電池屋はこういうときにラッキーなのです。とりあえず、電池が不要な衛星やロケットというのはほとんどない。ロケットが地面から足を離した瞬間から、(本当はもう少し前からですが、)ロケットや人工衛星は内蔵電池で駆動しなければなりません。外部からの電力供給が止まるからです。地上に居るときのロケットはアンビリカル・ケーブルから電気をもらいますが、このケーブルを引きちぎるように(印象で言っています。本当はきちんと切り離します。)飛んで行きます。アンビリカル・チューブといえば、「臍の緒(へそのお)」のこと。アンビリカル・ケーブルとは、とても印象的な呼び名だと思います。

 ともあれ、衛星にしてみれば、太陽電池パドルが無事に開いて電力供給を始めるまでは、蓄えているバッテリの電力が全てです。こんな事情もあって、本人に自覚と心意気があれば組織横断的に衛星やロケットの開発に係ることができます。(本当にラッキーです。)

 宇宙教室の時には、こんな現場からの体験をお話することができます。「あかり」では、打ち上げ場での電池の温度が高くて苦労した。「はやぶさ」では電池が故障して苦労した。「みどり」は太陽電池が不具合を起こして衛星が死んでしまった。云々。

 でもそんな中で、苦労しながらも得られる現場の面白さを、責任から来る重圧とその中で成果を出すことの快感を、子供たちが感じてくれたらなあ・・・・と思い、お話しをさせていただきました。

 ひとしきり、宇宙探査や宇宙開発の話を終えて、質問のコーナーになりました。本当にたくさんの質問を子供たちが投げかけてくださり、うれしかったです。そうして、時間が過ぎ、最後の質問は事務局の方からでした。

「ここにいる子供たちの中には、将来、宇宙開発や探査に乗り出したい子供たちがたくさんいるでしょう。どうしたら、そういった活動に将来参加できるか、何が大切か、またそのために今は何をしたほうがよいのか、アドバイスを。」

「そうですね。一番大切なことは諦めないことだと思います。どんなことがあっても諦めないし、絶望しない。そういう考え方をいつももつことでしょうか。僕が宇宙への夢を抱いたのは、中学生のときです。スペースシャトル・コロンビアが初フライトに成功するのをテレビで見て、これしか自分の将来はないと思った。大学受験では失敗を繰り返したし、なかなか進むべき道筋が見えない中で、それでも諦めずに進む道を探し続けてきた。
今も、仕事としてこういうことをしていると、挫折を受け入れてしまいたくなることも多い。でも自分自身が決して絶望しなければ、道はまたキッと見えてくるといつも言い聞かせています。『はやぶさ』の運用もしかり。運用に参加している一人ひとりが、故障した探査機を前にしてもう駄目だと投げやりになっていたら、今の『はやぶさ』は遠の昔に『死に体』となっていたと思います。」

「もう一つ大事なことがあります。みんながもし本当に宇宙屋になりたかったら・・・・・、今は一生懸命に勉強してください。今、目の前にあるお勉強をがんばってください。」

 会場を包むため息と笑い。子供たちは「あ〜あ」と落胆し、隣に座っている親御さんの「それ見たことか」という笑み。子供を突いているお母様もいらっしゃいました。

「僕たちが宇宙探査をするために必要なことは、宇宙や自然と話し合うための得意分野を持っていることです。僕にとっては化学でした。何かある現象を目の前にしたときに、どう解釈するかの糸口をもっていることは大事なことです。また、自然科学とヒトとの共通言語が数学だとも思います。
地球人であるなら、だれでも同じ記号で自然と語り合えるとても便利な言語です。
もちろん、ヒトとヒトとのコミュニケーションも大事です。英語は日常言語として使わなくてはならない。僕たちが自分たちのしたいことを成すためにはNASAやヨーロッパ宇宙機構の人たちの協力も必要です。『れいめい』という衛星はロシアから打ち上げてもらったりもした。こういうときに英語はとても便利な言語です。また、同じ日本人同士でも、適切な意思疎通のためには国語が大事です。
星のことを研究したいなら、当然、物理は必要になるよね。理科はもちろん大事です。」

「こういったことを身に付けて、更に一生懸命に精進するには、時間と努力が必要になります。そういう意味でも、決して諦めないことが大切だと、いつも自分に言い聞かせています。この鍛錬は、サッカーやテニスをうまくなりたいときに一生懸命に練習するのと変わらないと思います。」

 せっかく、子供たちが夢を馳せてくれた後で、水をさすようなことを言ってしまったかと心配しました。でも、最後に締めの言葉を事務局のかたがおっしゃった後でも、みんな僕の周りに来てくれて、質問を投げかけてくれました。(閉館時間を過ぎても、いやな顔ひとつされなかったディスカバリーパーク焼津の関係者の皆様、本当にありがとうございました。)

 この日、一番の感動は、その後の駐車場で待っていました。

 会場を去ろうとしていた時、まっくらな駐車場で迎えを待っている子供たち。先に迎えがきた子に、見送る子が言っていました。

「あきらめんなよ!」

感動をありがとうございました。

航空宇宙の電池屋より。

(曽根理嗣、そね・よしつぐ)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※