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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第167号

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ISASメールマガジン   第167号       【 発行日− 07.11.27 】
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★こんにちは、山本です。

 先週もインフルエンザについて書きましたが、インフルエンザウィルスの大敵は「湿度」だそうです。ということで、早速加湿器を動かしています。

 今週は、宇宙環境利用科学研究系・宇宙農業サロンの山下雅道(やました・まさみち)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ナイジェリアからとおく火星をあおぐ
☆02:はやぶさ物語「祈り」公開
☆03:はやぶさリラックスキャンペーンについて
☆04:JAXAタウンミーティング【鹿児島県肝付町】
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★01:ナイジェリアからとおく火星をあおぐ

 成田から寒いアムステルダムに飛び、一泊。ナイジェリア・ラゴスへの飛行機のゲート近くは、ほとんどがアフリカ系のひとたちで埋まり、すっかりナイジェリア気分。飛行機が予定よりずいぶん遅れ、ナイジェリアのニューヨークとよばれるラゴスに到着した時は、既に真夜中で、さらに1泊。翌昼に、ナイジェリアの南部のイモ州の州都であるオウェリへと飛行機を乗り継いだ。往路・復路あわせればその行程はおよそ1週間、月までいってかえってこれる。オウェリは1967-1970年のビアフラ内戦で一時ビアフラ共和国の首都とされた都市で、その際に徹底的に破壊されたという。そのオウェリに向ったのは、「火星有人ミッションーアフリカの展望」という会合に参加するためだった。

 オウェリの南のデルタ沿岸地帯に油田があり、このところの原油価格の上昇もあって、ナイジェリアの国としてのフトコロは豊かだという。アフリカ諸国のリーダーとしての自負も高い。ナイジェリアにはNASRDAという宇宙機関があって、2003年には、南アフリカ、アルジェリアについでアフリカで3番目の人工衛星をもつ国となった。

 最初の衛星はイギリスでつくられてロシアから打ち上げられた、リモート観測衛星であった。マラリアを媒介する蚊が発生する地域を予報したり、衛生的でない水で乳幼児が下痢で命をおとすのをふせぐのに、リモート観測がやくにたつとのことだった。

 ナイジェリアの2番目の衛星は、中国製の通信衛星で中国のロケットで今年2007年5月に打ち上げられた。オウェリでの会合では、通信衛星をつかい熟練の専門医がはなれた場所の病院での診断の相談にのるといった、テレメディシンへの応用が紹介された。とはいえ、ナイジェリアではこのところ携帯電話が急速に普及してきており、ふつうの携帯電話でも同じようなことができてしまう。あやうし宇宙利用革命!

 さて本題の宇宙農業。会合では、宇宙農業の計画を紹介したうえで、アジア・アフリカから宇宙農業に大きな貢献ができることを話した。

 キャッサバというアフリカでよく栽培されている(ナイジェリアが世界一の生産量)木の根になるイモ(タピオカの原料)の宇宙農業への提案が、ヌウェク教授によりなされた。

 キャッサバは、ひとびとには貧しい食料としてとらえられている。キャッサバのイモの成分は炭水化物にかたよるために、不足する成分をおぎなう食材と組合せる。アフリカ人の火星生活には、主食としてのキャッサバを用意しないといけないようだ。宇宙農業にキャッサバを加えることで、その良さがアフリカのひとびとに認められるとよい。オウェリの空港から市内への道のわきには、キャッサバが多くみられた。土の色は赤く、ラテライトという種類で、あまり肥沃ではない。ホテルでの食事ではコメ、キャッサバのイモの餅、ヤムイモのスライスを蒸したり衣をつけて油であげたものに、スパイスがきいたスープを添えて食べるというスタイルであった。赤い土地とキャッサバを見ながらの食事は、あたかも未来の火星のレストランの一コマを想わせる。

 日本に帰りややすると、ナイジェリアの新聞の記者から、つぎのような電子メールが飛び込んできた。

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 わたしはナイジェリアの全国新聞の記者です。ジェマンツェ博士から、オウェリでの火星ミッション会合にあなたが参加されたとききました。 わたしは、ジェマンツェ博士の会合での主張が、いまひとつのみこめません。なぜ彼はナイジェリアの宇宙機関とこれについて協力していないのでしょう。ジェマンツェ博士にインタビューしたところ、
アフリカは熟慮してNASAの助けなしで火星ミッションを計画し、全世界にそれが可能であることを示したい
と彼は主張するのです。

 わたしは、あなたにつぎのことについてコメントしてほしいのです。

 アフリカ大陸が人工衛星を打ち上げる能力もないときに、火星へのアフリカ人ミッションを計画することが現実的だろうか?

 またオウェリの会合にはアフリカの各国からの参加者はありませんでした。そのような寄与のない状態で、ナイジェリア単独でアフリカの展望を語れるものでしょうか?

 アビオセ アデラジャ


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アデラジャさんへ

 空をとぶことと宇宙をとぶことは、よくにています。ただし、一方は大きな成功をおさめ、かたやすこしまだ問題をかかえているのですが。

 人間が最初に動力飛行をしてから100年、毎日何人のナイジェリアの人が空を飛んでいるでしょうか?

 ナイジェリアに何社の航空会社がありますか?

 国が所有して運行している航空会社ばかりですか?

 もし政府の航空会社と私企業の航空会社があったら、あなたはどちらを選びますか?

 政府は(もしそれがうまく機能しているなら)社会の基盤をつくる長期的な投資、たとえば教育といった分野に力を注ぐべきです。空をとんだり宇宙をとぶときの安全のための規制や基準つくりも、政府の役目でしょう。なにからなにまで政府というのは、その分野がまだ赤ん坊であることのしるしです。

 日本は有人宇宙の銅メダルを逃しました。ロシア、アメリカについで中国が飛行士を周回軌道におくったからです。

 日本にはほこれる記録もあります。1990年12月に世界初の民間人宇宙飛行士・秋山豊寛さんが宇宙ステーション・ミールに飛んだということです。秋山さんはその後に農業をはじめられ、宇宙農業サロンのメンバーでもあります。もしもナイジェリアの人が宇宙にいきたいなら、バージン・ナイジェリアの切符売り場にいって、グループ会社のひとつであるバージン・ギャラクティクの宇宙行き切符を求めることができるかもしれません。

 第二に説明したいのは、NASA以外のいろいろな宇宙活動が、NASAもふくむ皆にとってよいことだろうということです。もしNASAが世界中でただひとつの機関として宇宙での人間の活動と探査にとりくむとすれば、エンジニアリングの観点からして、それは頑丈なものではありません。

 あるひとつの原理をもとにつくられたシステムは、ある障害の発生要因にたいして、そろってこけてしまいます。多様な背景や考え方でつくられたいくつかのシステムを組み合わせることが、なにかあったときに全損事故になることを防ぎます。

 私たちの宇宙農業の計画をオウェリでお話ししましたが、日本の歴史的なあるいは文化的な背景にもとづいた優れものがいくつかあります。コメはコムギよりすぐれ、サツマイモはジャガイモよりよく、昆虫をたべるとよいことがあり、微生物をつかうバイオテクノロジーとして漬け物などの発酵食品や、堆肥つくり、よい土壌微生物の生態系など、ほこれるものがたくさんあります。

 わたしたちは宇宙農業の分野で、NASAの技術をしのいでいます。ロシア、中国、アフリカが、この競争の中でそれぞれによいものを提供し、異文化の花咲く国際的な艦隊を火星に向けて送りだすことが、火星ミッションを堅実で現実的な事業にするのではありませんか。

 わたしはアフリカやナイジェリアが具体的にどんな寄与をするのか、まだよくはわかりません。ヌウェク教授はキャッサバをアフリカ人の火星旅行に提案しています。

 ナイジェリア(さらにオウェリ)がアフリカを代表できるかどうかといったことについて、わたしはよく知りません。

 ナイジェリアの人工衛星2つの医学・衛生への応用には、めざましいものがあります。これは、ナイジェリアの人々ばかりでなく、すべてのアフリカの人たち、とくにサブ・サハラ(サハラ砂漠の南)の人たちに、宇宙の応用のよい例を示しています。

 わたしの友人でウィーンの国連の宇宙利用局の部門長をしている女性がいます。彼女に宇宙のアフリカへの貢献について聞くと、彼女は、小さなコップにいれた水で、平原にひろがる野火を消そうとしているようなものだと嘆きます。あなたがたアフリカのマスメディアに期待されるのは、水のはいったコップをふやし、それを必要とする人々に手渡すうごきに加勢することではありませんか。彼女からは、ナイジェリアがアフリカの宇宙活動を牽引していることをよくきいています。

 たとえ、次の10年のあいだに火星にいくことができないにせよ、宇宙は(その利用が平和的なものにかぎられるなら)さまざまな人々(科学者、政治家、精神的・宗教的指導者もふくみ)にとっていろいろな意味で、よき対象です。ジェマンツェ博士の開いた会合は、現在の時点で彼にその財政的な準備が十分ではなかったにせよ、アフリカから火星に歩をすすめる最初の会合として記憶されるでしょう。そのような会議にわたしが参加できたことを誇りにおもいます。

 この会合は、19世紀末に火星への飛行をねがいロケット推進を発明したロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーの開拓精神をおもいおこしたものでした。彼は火星に飛ぶことはできませんでしたが、彼の発明なしには、現在の宇宙活動がないのもあきらかです。ジェマンツェ博士はアフリカのツィオルコフスキーと呼ばれるようになるかもしれません。

 山下雅道
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 こんなコメントでよかった?とジェマンツェ博士に書いたところ、つぎのような短い返信があった。


 火星への冒険の旅は、アフリカの創意にとんだ本能をよびさまし、科学や技術のスープを味付けする塩にもなるアフリカの展望をしめすでしょう。アフリカからの科学や技術への最大の貢献は、それらの重要さをあらわす尺度に、人間の顔をとりもどすことだと信じています。

 ジェマンツェ


(山下雅道、やました・まさみち)

宇宙農業サロンのHP
新しいウィンドウが開きます http://surc.isas.jaxa.jp/Space_Agriculture/

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※