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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第3号

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ISASメールマガジン   第003号        【 発行日− 04.09.21】
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★ こんにちは、山本です。
 今週は、やっと的川先生を捕まえました。海外出張から帰ってきてもなかなか原稿がもらえず、アタフタと次の執筆予定者に頼み込んだりしました。
滑り込みセーフといったところです。

―― INDEX――――――――――――――――――――――――――――――
★01:日本の宇宙開発を開いたペンシルロケット
☆02:「宇宙学校・おびひろ」詳細
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★01:日本の宇宙開発を開いたペンシルロケット

 宇宙科学本部の源泉は、1953年12月にさかのぼります。当時麻布六本木にあった東京大学生産技術研究所に、糸川英夫先生という私たちの大先輩がおりました。サンフランシスコ体制が敷かれて間もなくの頃ですね。彼が、「太平洋を数十分でひとっ飛びしよう」という旗印の下、AVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics)研究班というロケット開発の研究グループの準備会議を開いたのです。

 翌年正式に発足したAVSAの最初の成果は、「ペンシル」という小さなロケットでした。直径1.8cm、長さ23cm、重さがわずか200グラムほどでした。名古屋の近くの武豊町にある日本油脂の工場にあったマカロニ状のダブルベース推薬に合わせて作られたペンシルロケットが、日本の宇宙開発の元祖です。糸川先生は「日本の宇宙開発の父」と呼ばれまています。

 さてAVSA研究班は、どこの国の助けも借りないで宇宙技術をものにしようと意気込んでいました。当時は、ロケットを追うレーダーやテレメータはまだ開発中の段階でしたから、簡便にロケットの動きを研究するために、糸川先生は、ロケットを水平飛行させてそれを高速度カメラとオッシログラフでモニターするという奇想天外な挙に出ました。

 1955年4月12日、初の公開試射が東京の国分寺で行われました。現在の早稲田学園のある場所です。長さ2mのランチャーから水平に発射されたペンシルロケットの行く手には、紙の衝立が幾重にも立ちはだかっていました。その紙のスクリーンには、よく見ると細い針金が何本も張ってあり、オッシログラフにつないであります。

 ペンシルがその細い針金を切り裂くたびに、オッシログラフによってその正確な時刻が計測できます。針金は何枚も張りめぐらせてありますから、その隣り合ったスクリーンが発するデータの差からロケットの速度が分かり、スクリーンの破られた位置をつなげば、ロケットの飛翔軌跡が分かるという仕組みでした。その4月の間に、29機のペンシルロケットが水平に発射され、ロケットの飛行について値千金のデータを得ることができました。

 このユニークな実験は世界の注目するところとなり、ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館にはペンシルの実物大模型が展示してあります。大きくて尊大そうな周囲のロケットエンジンたちを尻目に、ちょこんと可愛らしい姿を見せているペンシルロケットは、世界中からやってくる人々、とりわけちびっ子どもの記念写真の人気の的です。

新しいウィンドウが開きます http://www.isas.ac.jp/ISASnews/No.193/isas.html#pencil

(的川泰宣、まとがわ・やすのり)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※