宇宙に生命を探し 生命に宇宙を見る
宇宙生物科学の課題
システム研究系 山 下 雅 道
今後何年間にノーベル賞をいくつ日本からといった,学術について数量的な目標の設定や成果の評価が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する世の中を憂いているというのに,のっけから数字を挙げるのははばかられるが,科学の広い分野を守備範囲とする「Science」と「nature」両誌の表紙の絵の分野を,それぞれ最近の60号(およそ1年分)について指を折って数えてみた。表紙の絵の数で軽重を量るのは,漫画本にしがみつく子供に字本を読めと声を荒げる自らの口跡と不整合であり,幼児性とのそしりは免れないが,数えた結果は,60%が生物,宇宙・惑星・地球が23%,物性・化学・材料をまとめると9%,基礎物理が4%であった。宇宙生物科学は,生物と宇宙・惑星・地球の双方にかかわる分野であり,その重要性は表紙の絵でも分かると主張したいところだが,宇宙生物科学は2つの分野の積集合であろうかとも思い返し,この分野の中心的な課題が何であるのかを説明したい。表題に掲げたのは,2003年11月に開催される日本宇宙生物科学会の公開講演会(http://surc.isas.ac.jp/JSBSS_Exo/JSBSS_Exo.html)の主題「地球圏外の生命の探査と異なる原理の生命の理解」をかみ砕いてキャッチフレーズとしたものである。
宇宙に生命を探す
生物には親がいてそのまた親がいて,自然発生することはない。それにしても,最初の生命が地球上あるいは他の天体上でどのように始まったかを,宇宙史や星間空間での化学進化に続く過程として描き出さなくてはならない。寄生的なウイルスの人工的な合成はすでに報告されているが,自立的な生命活動を営む細胞状の生命体の完全合成はまだなされていない。細胞の生きている仕組みが解明されればされるほどに,前生命的な前駆物質と始原細胞との間の大きなミッシング・リンクが認識されている。生命の起源については,星間空間で生成した前駆物質を豊富に含んだ隕石が飛来して水との反応により一挙に生命体の部品が高密度に得られたという仮説や,深海熱水噴出孔の周辺の特異的な物理・化学的環境にモデルを求めるなどがなされている。地球の活発な地殻運動は,始原的な生命体とそれを生んだ環境の情報を消し去ってしまっている。宇宙に生命を探す理由は,地球以外の天体にも生命体は存在する(した)かに答えること,そして生命の起原とその環境条件にかかわる発見への期待である。
多種多様に進化した地球上の生物は,共通の祖先にたどることができる。地球上の生物は,一度獲得した仕組みや生化学的な物質を,保守的に継承してきている。体をつくるのに光学異性体のどちらをとるかとか,アミノ酸の組み合わせなど,およそ恣意的に選びとられたかにみられるものがある。生物体を構成する元素にしても,太陽系とその惑星である地球に相応した組成がみられる。このように,惑星としての地球が生物の起源や進化に与えた規定要因に着目して,地球上の生命の原理が地球に限定されているかを探る分野を,惑星生物学と宇宙空間科学研究委員会(COSPAR)ライフサイエンス部門では呼んでいる。たとえ生命体を構成する元素の組み合わせが変わろうが,生物学の基本的な概念である種とか進化は,宇宙的な視点から見て生命に普遍的な原理であるかもしれない。このような仮説を科学的に検証するには,他の天体で生命体探査を行い,比較するのが有効である。ただし,地球上で他とは隔絶された環境に,他の生物とは祖先を異にする生物種を見いだすほうが早いかもしれない。
火星隕石の波紋
これらの研究に大きな衝撃を与え,また考えさせることの多かったのは,南極で採集された火星起源と推定された隕石に,火星での生命活動の可能性を示すかもしれないいくつかの発見が報告された時である。そのうちの一つは,隕石の劈開面に見られた微生物の生痕化石にも見える構造であり,その物理的な大きさが地球上の細菌の大きさと比べると格段に小さいと多くの科学者から指摘された。地球上の生物とは異なる原理に基づく生物を探索するのが最大の眼目ともいえるのに,火星の生命体が地球で見慣れた生物体とは異なると論難するのもおかしなことである。
このような議論が沸き立つ中で,米国では最小の生物体の大きさを推定するワークショップが開かれた。寄生的ではない自立的な生物が,生命を営み自己複製するために必要な情報量を見積もり,その情報をコードする分子の量へと翻訳した。さらに,情報を発現する仕組みや自己を周囲から区切る境界である細胞膜を加えて,ぎりぎりの生物体の大きさが検討された。その大きさは,得られている知識で生物体を逆アセンブルすることでもあり,知られている最小の自立的生物体であるマイコプラズマのそれと大きく変わることはなかった。
細胞を構成する細胞器官はかつてそれぞれが独自の生物であって,ある時代に取り込まれ共生を始めた。小さな生物体を求めるのであれば,細胞器官がまだそれぞれに独立な生物であり,いくつかの生物体が協同して生命活動を営んでいる姿などを構想すべきだと結論された。およそ異なる原理による生命の発見とその理解にとっては,生命についての深い理解を基礎にするのはもちろんのこと,それに束縛されない自由な発想を維持することが必要である。