山本教授を偲ぶ
鶴田浩一郎
山本達人さんが急逝されて1週間が経ちました。まだ,本当に起きたことだと思えないというのが偽らざる気持ちです。今にも「ちょっといいですか」といって温和な顔が覗くような気がしてなりません。
山本達人さんは平成4年,東京大学から宇宙科学研究所太陽系プラズマ研究系に助教授として赴任して来られました。ちょうど Geotail 衛星打上げ直前の忙しい時期で,着任早々,次々に大変な仕事を引き受けることになりました。彼は的確な判断力と実行力,温厚な人柄でプロジェクトチームの皆から頼りにされる存在となりました。研究面でも磁場計測チームの中核として磁気圏の尾の構造について重要な結果をいち早く導き指導的立場を確立しました。彼は我々の研究系にとって大切な存在であったばかりでなく学会,国外の研究コミュニティにおいても次の世代を担う指導的研究者として注目を集めておりました。このことを裏付けるように平成8年には若干39歳で教授に昇任されました。
山本さんは Geotail 衛星打上げ後は,日本で初めての惑星探査機PLANET-Bの科学主任として科学グループの取りまとめに当たることになりました。初めての惑星探査に伴う様々な難問に寝食を忘れて取り組んで来られました。軽量化対策,EMC対策,運用計画と探査機開発のあらゆる側面で彼の才能が発揮されて難問の解決を見ることが出来ました。山本さんの働きなくして現在のPLANET-Bはありえないと言っても決して過言ではありません。
しかし,大変残念なことに,この頃から彼の身体を病魔が蝕み始めていました。精神的にも肉体的にも大変苦しい状態であったにもかかわらず,彼は持ち前の強い精神力で普段と変わらぬ態度で我々に接し通しました。「検査にいってきます」という言葉が最後になってしまいました。彼が精根を傾けて進めてきたPLANET-Bの打ち上げに立ち会ってもらうことが出来なかったことが悔やまれます。今は,PLANET-Bを成功させることが,彼への唯一の手向けと考えております。
(つるだ・こういちろう)