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M-V-1号機打上げ成功

衛星はにかむ無翼の勝利

「少しテンションがゆるみました。」
「そうだね,今まで緊張の連続だったけど,KSCに来てからの作業,順調だったからね。」 「いや,太陽電池パドル固定ワイヤの張力が少し…」 こうしてワイヤ受金具の取り付けられている衛星表面のハニカム構造を補強したMUSES-Bは,4日間の日程遅れを出したことをはにかむように,2月3日節分の日,M-V-1号機上段に鎮座の後,フェアリングに覆われ,まずは福は内。

 一方これを打ち上げるM-V型ロケットは,前の文部省科学官松尾教授を計画主任として1990年に開発開始。その後チャンバーの遅れ破壊に絡むチャンチャンバーラバラや搭載慣性計測装置の光ファイバー・ジャイロ(FOG)の五里霧中などで約2年の遅れを生じたものの,現小野田M計画主任以下のM-V開発チーム全員による綿密な検討と弛まぬ努力の結果,全ての問題を克服。数多くの新機軸を織り込んだ文字通り頭の先から尻尾まで新開発のロケットとして処女飛行に臨むこととなった。但しM-Vには尻尾即ち尾翼はなく,液体ロケットに較べ発射時加速度の大きな固体ロケットを空力安定無しで打上げるのは,「無翼の勝利」を信じながらも気分的には甚だ安定感を欠く。打上げ直前まで制御系グループが構造や空力グループと共同で慎重なる見直しを続ける傍らで,前の科学官曰く「ピッチのプラスとマイナス逆じゃないよね?」実際どんなに人事を尽くしたつもりでも,わずかなミスで全てが無になるプレッシャーに実験班全員緊張しつつ天命を待つ。

 そして「おおすみ」記念日を強風で1日逃した2月12日13時50分,M-V-1号機はこれまでにない轟音と噴煙をM台地に残して堂々と飛び立っていった。そして衛星が軌道に乗るまでの8分間,それはこれまでM-V開発に関係したあらゆる人々にとって,6年余の歴史を一瞬に凝縮した短くも長い時間というのが実感ではなかっただろうか。

 殆どノミナルと言って良い完璧な飛翔によって無事,MUSES-B改め「はるか」を軌道に投入した今,この場を借りて実験主任としての至らぬ点をお詫びするとともに,M-V関係者及び御支援を戴いた皆様に厚く御礼を申し上げる次第である。

 内之浦ゆ 打ち上げてみれば 「はるか」なる

 宇宙の高天(たかま)に 幸(ゆき)は積もりぬ

(上杉邦憲)

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「はるか」と命名

 軌道に投入されたMUSES-Bは「はるか」と命名されました。柔らかくしかも切れのよい素敵な響きの名前だと思います。遙か宇宙の彼方を電波でながめる,といった注釈はこの際要りますまい。

 恒例の実験関係者による投票では延べ191名の応募がありました。アンテナを展開した衛星のたたずまいからの連想からでしょうか,織姫,舞鶴といった美しい名前が多かったのが特徴です。その中から,佐藤豊(日産),中田詩子,近藤久美子(日本飛行機),渡辺理絵(NEC)の4名の方が「はるか」と投票されました。高校2年生の中田詩子さんは,1991年に亡くなられたランチャ班の中田篤君の一人娘で,今回の実験期間中に内之浦を訪問された途次の応募でした。

 なお,国際的にはHALCA(Highly Advanced Laboratory for Communications and Astronomy )とすることに致しました。

 今回はいわゆる傑作がほとんど無かったのも特徴ですが,その中で文句無し河本正光君(松下通信)の「大風呂敷」をISASニュース編集委員長賞としました。同君は織姫の名前も寄せており,その日和見的態度に私の諒としないところでありますが,記念品として赤い大風呂敷を贈呈致しました。

これまで命名のための選考委員は長老の役とされており,些かの感なきを得ません。

(松尾弘毅)

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はるか初期運用

 1997年2月12日13時50分M-V-1号機に乗って地上を離れ,見事軌道に投入されたMUSES-Bは,同日20時31分,衛星「はるか」となって,内之浦の上空に姿を現しました。2月28日6時20分,前日夜中のパスの作業で殆ど展開を終えていた大型アンテナの主反射鏡は,ここで完全に展開しました。

 「はるか」の初期運用は順調に行われています。太陽電池パドルとKuバンドアンテナの展開は軌道投入直後の非可視時間中に正常に行われました。三軸姿勢制御を確立した後,近地点高度を高めるための軌道制御を,2月14日,16日,21日と,3回にわたって行いました。近地点は今後の実験に十分なところまで上がっています。軌道要素は,遠地点21,400H,近地点560H,軌道傾斜角31度,周期6時間20分となっています。衛星の電力の状況,温度分布なども極めて良好です。Kuバンドアンテナが正常に駆動されることも確かめました。

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 大型展開アンテナの展開はこの衛星の最大の実験課題です。作業の確実を期するために,運用チームは2月23日,KSCに移動しました。24日深夜,まず,副反射鏡の伸展を行い,成功しました。次いで,27日午前3時,主反射鏡の展開を開始しました。慎重に作業を進め,息をのむような時間を経て,見事,主鏡は展開しました。開始からおよそ3時間が経ち,可視時間の制約のために,仕上げの作業は翌日のパスに残すことにしました。既に難関は越えており,KSCに集っていた面々,ここで成功を喜び合った次第です。翌28日に展開を完了したことは初めに記したとおりです。

(廣澤春任)

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宇宙学校開催

 恒例の宇宙学校が,1月12日と2月16日の2回,それぞれ東大教養学部と相模原市立産業会館で行われました。東大の会場は400人,相模原の会場は200人の会場でしたが,どちらもほぼ満席となる盛況振りでした。

 講師は中村匡,上田佳広,安部正真,森田泰弘,成尾芳弘,的川泰宣の宇宙研の諸先生のほか,河崎行繁先生(三菱化学・生命科学研究所)と小林憲正先生(横浜国大)にも応援をお願いしました。

 宇宙学校の特徴はロケットの話から宇宙の話まで幅広い授業があること,それに何といっても長い質問タイムでしょう。先生のお話しは20分で終わって,そのあと1時間が質問タイムです。子供たちの理科離れなどどこ吹く風,とぎれることなく質問が続きます。東大の会場では惑星と生命についての質問が特に多く集まりました。火星からの隕石中に生命の痕跡が見つかったというニュースが流れてからまだ日が浅かったからでしょうか。授業が終わったあとも安部,河崎両先生の前には質問者の列ができました。相模原では,さすがに銀河連邦の子供たち,マニアックな質問がたくさん出ました。一番困った顔をしていたのが,ブラックホールについての質問の集中砲火を浴びた上田先生でした。相模原での宇宙学校は,待望のM-Vロケット1号機打ち上げ成功!の直後でしたので,森田先生の特別サービスでロケット搭載カメラの映像も流されて盛り上がりました。最後は世界平和についての議論まで飛び出し,大変楽しくて有意義な宇宙学校でした。

(村上 浩)

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