No.183
1996.6

ISASニュース 1996.6 No.183

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ボタンの時代

加藤寛一郎

 急にイタリア料理を食おうということになり,ソニービルに入った。土曜の昼近く,開店まで20分ある。下のプレイステーションに降りて時間をつぶした。そこで驚くべき光景を目にした。
 下反角を持つデルタ翼機が,実に優雅な飛行ぶりを見せている。操縦するのは若いアメリカ人,これぞ戦闘機という飛び方を見せる。その腕前は只者でない。
 私はディスプレイに近付きすぎたらしい。男がコントローラーを差し出してきた。ドキドキしながらこれを断る。腕のよい飛行気乗りに会う心地だ。
 食事の後,私はこのゲームソフト「ワイプアウト」を購入した。これは反重力飛行を想定したレーシングゲームだった。95年に発売され,ヨーロッパとアメリカで爆発的にヒットしたらしい。アメリカ人が操縦していたのも頷ける。
 コントローラーはロール(横の傾き)とアクセル(速度)を制御する。ここは飛行機と同じだが,さらに左右独立のエアブレーキがある。そして何よりも感銘を受けるのは,操縦の直後に起きる機体の揺れである。これぞ飛行機という飛び方を見せる。

 古い戦争映画などで,負傷した操縦士が基地に戻るシーンがある。実機で撮影していれば,それはすぐわかる。機体がふらふら傾き,機首が左右に揺れる。これはダッチロールと呼ばれる飛行機独特の揺れ方である。デルタ翼機が見事にそれを見せていた。
 ダッチロールの乗り心地は,外見ほど優雅ではない。しかもこれは,操縦を難しくする。だいたいダッチが付く言葉に,あまり良いものではない。ダッチカレッジ,これは拙稿に対する批評だ。
 現代機では、ダッチロールは体験しにくい。ほとんどの機体に,ヨー(左右の揺れ)ダンパーが搭載されている。これによって,この揺れを消している。現代機は,自動操縦装置や自動安定装置などという代物で,飛行機本来の個性を殺してしまった。

 最近,アメリカからの帰路,私はジャンボ機のコクピットに長時間とどまる機会を得た。このとき同じ航路を,ノースウエストのジャンボ機が飛んでいた。先行するノースウエスト機は,速度がわずかに遅かった。我々は高度差2000フィート(600メートル)でゆっくりと距離を詰めた。
 グレイと赤の機体が,足下に近付いてきた。まるで透明な棚の上に置かれたプラスティック・モデルだ。雲はゆっくりと後方に流れる。その上に浮かぶ機体が,微動だにしない。胴体や翼が太陽光を反射する。その銀白色の帯すら,まったく動かない。現代機は揺れない。それは異様な光景だった。
 カムチャッカ沖で,我々は相手機の右上方に並んだ。もし同じシーンを映画で見れば、私は実機が飛んでいるとは信じないであろう。ノースウエスト機は,精巧な模型飛行機だった。突如機長が「航路がここで別れます」と言った。ノースウエスト機が左に傾き,私は我に返った。飛行は変わってしまった。

 最初私は,素朴な飛行がテレビ・ゲームに生き残っていると思い,興奮した。しかし2日も飛べば,技倆が上がる。それにつれて考えが変わった。
 ゲーム機のコントローラーには,10個を越えるボタンが付いている。これで機体を操るのだが,それは現代機でも同じである。旅客機の自動操縦装置は,やはり10個ほどのボタンやノブで操作される。
 この趨勢は,飛行機だけのものではない。いまテレビも電話も洗濯機も,みな同程度のボタン操作で動かされる。テレビ・ゲームに素朴な飛行が残っていたのではない。ボタン操作による個性的な飛行が,いま始まったのだ。

 私は昔,飛行機乗りになりたいと思った。なれなければ死んだ方がよいと思っていた。そして落ちこぼれ,馬齢を重ねてきた。いまテレビ・ゲームで,見果てぬ夢を追っている。
 ここには真の飛行がある。まだ希望が持てる。私は燃料を補給し,飛び続ける。操縦に極意はあるか。あるとも。人馬一体で飛ぶには,ビール程度がよい。ウイスキーやいも焼酎は危険だ。ブーストが強すぎ,バリヤーが早く傷む・・・・。

(かとう・かんいちろう,宇宙研運営協議員,日本学術振興会常務理事)


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