No.299
2006.2

ISASニュース 2006.2 No.299 

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血のたぎり 

ノンフィクション・ライター 松 浦 晋 也 


 2005年の11月,私は「はやぶさ」の取材のため,相模原の宇宙科学研究本部を何度も訪問した。

 イトカワはラッコにも例えられる奇妙な折れ曲がった形状をしており,表面はごつごつの岩だらけだった。着陸できそうなのは,ラッコの胸と腹の間に当たる部分の狭い砂場のような場所 dash ミューゼス海と命名された地域だけだった。地球の自転周期が24時間で,イトカワの自転周期が約12時間。自転周期がほぼ2対1であることから,地球方向から「はやぶさ」がイトカワに降下していき,ミューゼス海にタッチダウンするためには,いつも前日夕刻から降下を開始,夜明けから朝方にかけてタッチダウンする必要があった。

 「はやぶさ」の降下のたびに,私はネットでJAXA広報部のテラキンさんこと寺薗淳也さんが書いていたblogで降下開始を確認してから,午前2時ごろにバイクにまたがって相模原へと向かった。

 リハーサル,そして本番,また本番 dash そのたびに手がしびれそうな寒さの中,私はノートパソコンとデジタルカメラを詰めたナップザックを背負って,相模原に向けて深夜の国道129号をバイクで走った。信号で止まるたびに夜空を見上げた。寒さとともに澄みゆく大気層を通して,星がまたたいていた。

 寒い中をバイクに乗ってまでして相模原へ。いったい何が,これほどまでに自分を駆り立てるのだろう。そう自分に問うた。これはもはや,興味などというものではない。血のたぎりだ。「はやぶさ」の何が,私の血をたぎらせているのか。

 特設のプレスルームになった本館2階の会議場は,独特の高揚感が漂っていた。集まった記者たちは長時間の待機と緊張のため,皆,呼吸に疲労感をにじませていたが,それでも何かへの期待感がその場を支配していた。 dash レンジャーやマリナー,そしてヴォイジャーやヴァイキングがそれぞれ目標に近づいたときのJPLも,こんな雰囲気だったのだろうな。そう考えたとき,突如として私は,自分の血管の中で踊っている衝動の本質を理解した。

 「そうか,未知の世界に分け入るということは,こういうことなんだ」

 未知の世界へ分け入り,誰も見たことがない風景を見ること。そのこと自体が本質として,背筋を震えさせ,後頭部をしびれさせ,そして何より血をたぎらせるのだ。そう私は理解した。それは,不快な感覚ではなかった。むしろ圧倒的な快感だった。

 宇宙科学研究本部は過去にも数々のミッションで,宇宙の知られざる姿を我々に見せてくれた。しかし「はやぶさ」は,未知の世界に挑むことのエッセンスを,非常に分かりやすい形で我々の前に提示した。

 だからこそ,インターネットであれほどの多くの人々が,「はやぶさ」の状況に興味を示したのだろう。匿名掲示板の「がんばれ」という書き込み,擬人化された「はやぶさタン」マンガ,フラッシュ動画,そして応援メールに差し入れのリポビタンD(!)。そのどれもが,多くの人々が「はやぶさ」の探査を通じて,血のたぎりを感じていることの証しであろう。

 「はやぶさ」にかかわったすべての人々にエールを。我々はあなた方の「はやぶさ」で,未知の世界を探索することが,かくも血をたぎらせることだと初めて知ったのだ。

 イトカワ着陸があった11月の間,私はことあるごとに太陽を見上げた。決して目には見えないが,太陽よりもちょっと西,太陽に先行した位置にイトカワがあり,そこには「はやぶさ」がいるはずだった。多くの人々が長い時間をかけて丹精した,我々の「はやぶさ」が,吸い込まれそうな青空の奥にいる。そう考えるだけで,宇宙と自分との間の関係を,確かな手触りをもって感じ取れるような気がした。

 「はやぶさ」のイトカワへの降下は,確かに偉業と呼び得る事業だった。しかしそれは同時に,小さな,最初の第一歩だ。

 青空の向こう側,「はやぶさ」がいる場所からこそ,新たな宇宙への道が,血をたぎらせる未知と驚異への旅が始まる。

11月26日早朝,プレスルームに設置されたウェブカム映像に,サンプル採取成功を示す的川教授のVサインが映った。この時の高揚感を,私は一生忘れないだろう。後の調査で,サンプル採取時にプロジェクタイル(弾丸)が発射されなかったらしいことが判明したが,それでも私の記憶を消すことはできない。
(撮影:喜多充成)

(まつうら・しんや) 


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