No.299
2006.2


ISASニュース 2006.2 No.299 

15人目

宇宙の開拓者  

〜アンドロメダ銀河〜


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東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 高 橋 弘 充  


図1 アンドロメダ銀河 (1辺=2.5°)写真提供:DSS

 アンドロメダ銀河(図1),見た目の大きさが月の6倍もあるこの渦巻銀河を,皆さん一度はどこかで目にしたことがあるでしょう。満天の星空のもと,もしくはきれいな天体写真として,はたまたそれはマンガの世界だったかもしれません。しかし20世紀の初頭まで(現在でも愛着を込めて),この天体がアンドロメダ「星雲」と呼ばれていた(いる)ことを,皆さんはご存知でしょうか? 超新星残骸のカニ星雲や散光星雲のバラ星雲などと同列に,銀河系の内部にあると考えられていたこの天体が,いかに銀河として認識されるようになったか,それに伴って人類の宇宙観がいかに切り開かれていったのか,今日はこのお話を致しましょう。

 肉眼でも見え古くからその存在が知られてきたアンドロメダ銀河が,最初に「星雲」と名付けられたのは,1771年にメシエが作ったカタログの31番目に記載されたときでした。当時この天体は,太陽系と同じような惑星系が誕生している現場であり,中心星の光を周囲の円盤状のガスが反射している,と考えられていました。こうした誤解もあり,我々の銀河系こそが宇宙の中心にして唯一の存在であるという,今にしてみれば人類の単なる思い込みは,実はほんの100年前まで続いていたのです。


図2 ハッブルが観測したアンドロメダ銀河の写真乾板。
右上の「VAR(variable star)」が発見したセファイド変光星。
              写真提供:ウィルソン山天文台

 アンドロメダ星雲が我々の銀河系の外にあることを初めて明らかにしたのは,アメリカの天文学者ハッブルです。1923〜1924年にハッブルは,そのとき完成したばかりのウィルソン山天文台の直径100インチ(2.5m)望遠鏡でアンドロメダ星雲を何回も観測し,そこにセファイド変光星を見つけ出しました(図2)。当時からすでにセファイド変光星は,明るさの変動の周期が長いほど,絶対光度が大きいことが知られていました。ハッブルはこの性質を利用して,アンドロメダ星雲までの距離が,銀河系の大きさ(3万光年)よりもはるかに遠いことを明らかにしたのです(現在ではアンドロメダ銀河までの距離は230万光年と求まっています)。こうしてついにアンドロメダ星雲は2000億個もの星の集合体であることが分かり,銀河系の外にいるお隣さん,今日のアンドロメダ「銀河」となったのです。

 ハッブルは,このアンドロメダ銀河の距離の測定を皮切りに,有名な銀河の形態分類を行うとともに(1926年),遠方の銀河ほど我々から速く遠ざかっている,すなわち宇宙は膨張しているというハッブルの法則を発見していきます(1929年)。1920年代は,銀河系が宇宙の中心だったそれまでの宇宙観が覆されただけでなく,さらにそれまで考えが及びもしなかった膨張宇宙という現代の宇宙論の礎までもが築かれ,人類の考える宇宙のスケールが一気に1万倍も開拓された10年間だったのです。


図3 X線(左)と赤外線(右)で見たアンドロメダ銀河
(図1と同じ領域を表示)写真提供:MPE,NASA

 アンドロメダ銀河は我々に最も近く,さらに円盤とバルジをもつ構造や大きさが銀河系と似ていることもあって,これまで多波長で多数の望遠鏡によって観測され,そのたびに銀河の新たな一面を見せつけてくれています(図3)。我々の銀河系も外から眺めると,きっとこんな姿をしているはずです。現在,両銀河は互いの重力で引っ張り合い,毎秒50kmの速度でどんどん接近しており,約30億年後には両者は衝突すると考えられています。そのころには,我々の子孫は月や火星だけでなく太陽系さらには銀河系をも飛び出して,この近づいてきたお隣さん銀河にもごあいさつに伺っているかもしれません。そして人類の宇宙観も,きっと今の我々が想像だにしなかったものへと変遷しているに違いありません。

(たかはし・ひろみつ) 


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