No.296
2005.11

ISASニュース 2005.11 No.296 

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外野の応援団から 

東京大学名誉教授 丹 羽 登 


 東京大学定年で宇宙観測業務とのご縁が切れて20余年。本業の非破壊検査の対象としての宇宙機器への関心は続いていたが,内之浦の「いも焼酎」の味も忘れていたところへ,ペンシルロケット50周年記念行事のご案内を受領。

 脳硬塞の退院後,外出は避けていたのに懐かしさのあまり,老妻の介添えを得て幕張メッセへ強行出席。古巣の皆さんとの再会を喜んでいるところが的川編集委員長の目に留まったらしく,古いことでも何でもよいから書け,とのことで困惑。


秒読みを 電車が止める 観光地

 国分寺でのペンシルロケットの水平発射が,先日の幕張での記念行事の際,屋内の多数の観客の前で見事に再現された。国分寺実験は屋根のない半地下壕で,南側のコンクリート板塀の外側は国鉄の中央本線。塀の上に腰掛けた総務班の菅家氏が見張っていて,電車・列車が近づくとストップをかけ,秒読みが中断されるのであった。

 東大のロケット開発30年を記念した『軌跡』(宇宙研編,1986年9月刊)が企画され「ペンシル・ベビーの頃」と題して初期の想い出を書いた際は,コンクリート板塀の記憶を頼りに水平発射実験の現場を確かめるべく国分寺駅から東へ歩いて探し回り,現在は早稲田実業学校となっているグラウンドの南端と同定した。国分寺市の観光地図には,「日本の宇宙開発発祥の地」と朱書されている。


初期の非破壊検査

 一般的な構造物としてのロケットの検査は,例えばNKK川崎などで実施したほか,固体燃料ロケット特有の検査としては,ケース内面とライナー・燃料の接着不良などが重要な項目であった。特に同じ姿勢で長期間保存すると,燃料の自重による圧縮で頂部に接着不良部やすき間ができるのだ。長期保存前後の透過写真を並べてあるのを米誌で見て,はく離検査の重要性を知った。鋼板の裏面の接着不良は超音波探傷器で分かるので,日産川越で実験した。接線方向に放射線を通した写真を見ると,非接着部分の限界と超音波検査による不良部の境界とがほぼ一致することが分かった。日産の荘林久男氏が,この実験と情報収集に大奮闘された。

 問題はその判定基準で,我々にはその基準となる前例・データがまったくない。1967年12月,駒場の宇航研での「宇宙航空工学におけるFRPシンポジウム」への報告では,東大のロケットで同一機種での最大数が,わずか約20機と少ないのだ。

 固体燃料ロケットの有名メーカーであるAerojet General社の報告によると,「当社はすでに40万機のロケットを作ったが,その総合信頼度は99.99%であった。それに要した非破壊検査の費用は,開発段階では制作費の35%にも達し,最終段階ではわずか5%に低下した」とのこと(その根拠,計算方法は不明)。

 取りあえずは,この検査作業はロケット班に渡し,データを増やしてもらうようになった。そのためには検査機器の予算も必要と,上記データをセンターメンバーの諸氏へ宣伝していたところ,糸川教授の帰朝報告の後,小生に「超音波検査などしていなかった」と言われたのには苦笑した。この種の製品への非破壊検査の適用状況,その結果などを話すことは恥部をさらけ出すようなもので,非破壊検査屋として可能ならば隠したい気持ちはよく分かる。強く質問されても適当に答えるのが普通なのだ。

球形モータのはく離を調べる非破壊検査


外野の応援団

 敗戦の前年に卒業研究で高木教授から与えられたテーマが,パルスレーダー調整用エコー発生装置であった。当時のレーダーは動作不安定で,調整に水晶遅延回路の疑似エコーを使った。同盟国ドイツから潜水艦で伝えられた技術と聞いた。様子の分からぬまま苦心惨憺で作り上げ,試作機を抱えて空襲下の関東地区のレーダー基地を回っていた。敗戦直前の7月には双発機の機首のレーダーの調整も要求され,徹夜で組み上げて富山の基地へ通うこと3回。空襲と機銃掃射で寸断の国鉄を乗り継ぐ苦難の旅で,敗戦は富山で迎えた。

 拾得していたパルス技術の知識と経験をもとに超音波探傷器を作り,復興途上の製鋼・造船業界での検査に試用,非破壊検査グループの立ち上げに貢献し得ていた。さらに検査技術の開発,検査法のJIS化,ISOとの協調,国際組織への日本代表等々,多忙を極めていた。

 9月号の本欄に平尾教授は「外野席での応援から,後半はチームの一員へ」と書かれた。小生はペンシルロケットのころ,発射場の地上通信系を担当するよう高木教授から指示されたが,上記のような極端な多忙と,勤務先の主要テーマへは協力すべきとの矛盾から,外野の応援団に徹しざるを得なかったのは残念であった。

(にわ・のぼる) 


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