No.296
2005.11

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2005.11 No.296 


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月の重力場地図を作る 

〜SELENEの小型衛星 Rstar/Vstarの活躍に向けて〜 

固体惑星科学研究系 岩 田 隆 浩 

 月惑星の重力場は,その表面の地形からはうかがい知れない内部の様子を知らせてくれます。月は,地球のほかでは最も我々人類に身近な天体であり,重力場も地球以外では最も詳しく調べられていますが,月周回衛星SELENE(図1)では月の重力場地図をさらに飛躍的に改善する計画です。では,そのお話の前に,月の重力場の観測から何が分かるのかを見てみましょう。

図1 SELENEの小型衛星分離前の軌道上予想図と,   
リレー衛星(Rstar)の質量特性計測中の写真(右上)。


重力場で調べる内部構造

 図2は,NASAのコノプリフ博士らによって2001年に発表された,月の重力場の地図です。Lunar OrbiterやApolloから最新のLunar Prospectorに至る米国の探査機が取得したデータを総合的に解析した結果です。左半分は地球から見えている表側,右半分は裏側です。重力場の地図は,月の重力の等ポテンシャル面であるセレノイド上の標準重力からの差として表され,これを重力異常と呼びます。重力を測定した点の高度を補正して得られた重力異常をフリーエア異常,重力測定点とセレノイドとの間の物質の影響を補正して得られたものをブーゲ異常と呼びます。大きなクレータなど地殻均衡(アイソスタシー)が成立している場所ではブーゲ異常が高くなり,地殻均衡のない小さなクレータではフリ−エア異常が低くなるので,地殻の厚さなどの内部構造を知ることができます。

図2 月の重力場モデルLP165Pによるフリーエア重力異常の地図。
左半分は地球から見えている表側,右半分は裏側。
(Konopliv et al. 2001からSugano 2004が改良)

 月の表側に見られる丸くて色の濃い領域(図2)は特に重力が大きい場所で,内部に質量が集中していると推定されていることから,マスコンと呼ばれています。重力異常の地図と地形図とを比較すると,マスコンの位置がちょうど大きなクレータに一致していることが分かります。このような様子から,月の進化の初期に巨大な隕石によってクレータが形成された際に,高密度マントル物質の貫入や盆地への溶岩の集積が起きたことを表しているものと考えられています。

 重力場の地図は,球面調和関数の展開係数として表すこともでき,月については推定モデルにも依存しますが,150次ほどまでが推定されています。次数が高いほど細かい構造に対応し,逆に低次では大局的な内部構造を表します。特に2次の項C22の値から月の慣性モーメントを求めることができ,地震計のデータなどから月のコアのサイズが決まっていればコアの密度が求まり,コアを構成する物質を推定して地球と比較することができます。

 では次に,重力場がどのように測られるのかを見てみましょう。

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探査機の軌道決定から得られる重力場

 地球上ではさまざまな場所で重力計を使って重力を測定することもできますが,月や惑星ではこれらの天体を周回する探査機の軌道に対する摂動から重力場を推定します。図3左は,これまでの一般的な重力場の測定方法を表しています。地球上の管制局のパラボラアンテナから発射されたマイクロ波などの電波は,探査機の中継器を使って地上管制局に送り返されます。このときに経過する時間から両者の距離が,地上に戻ってきた電波の周波数のドップラー効果から両者の視線方向の相対速度が求められます。これを2ウェイ測距・距離変化率計測(RARR)といいます。軌道上のさまざまな位置で測定することにより,正確な軌道が,さらには軌道に対する重力異常による摂動が算出されます。

             図3 月の重力場の測定方法

    左:SELENE以前(Lunar OrbiterからLunar Prospectorまで)の2ウェイ測距・
      距離変化率計測(RARR)
    中:SELENEのリレー衛星中継器(RSAT)による4ウェイドップラー計測
    右:SELENEのVLBI電波源(VRAD)による多周波相対VLBI観測


 ところで,天体の裏側ではマイクロ波が届きませんので,軌道を直接測ることができません。そして側面では,重力による摂動方向が視線方向に直交していることから感度が悪く,計測誤差が大きくなります。月は自転周期が地球に対する公転周期と同期していることから,月の表裏は地球に対して固定されており,裏側は常に直接計測ができません。そこで,表側に出てきたときに軌道に蓄積された摂動から,カウラの法則という拘束条件を用いて推定されてきました。もう一度,図2をご覧ください。月の裏側の地図では,縦や横に連なった不自然な分布が見られますが,ここでは観測精度が粗く,どこまでが実際の分布なのかを正確に知ることができません。一方,月の表側の重力場は,探査機が飛んでデータが増えれば徐々に改善されますが,個々の観測精度は時系の精度に依存し,同じ計測方法を用い続ける限りは抜本的な精度改善は望めません。そこで登場するのが,SELENEの小型衛星を使用するミッションです。


SELENE小型衛星のミッション:RSATとVRAD

 SELENEは,15の観測ミッションで月のグローバル観測を行って月の起源と進化を解明する,日本初の大型科学探査機です(図1)。2007年のH-IIAロケットによる打上げを目指して,現在開発が進められています。SELENEには主衛星から分離される2機の小型衛星「リレー衛星(Rstar)」と「VRAD衛星(Vstar)」が搭載されます。このRstarとVstarは,月の重力場測定を目的とした衛星です。

 以下にそのミッションを紹介します。

(1)リレー衛星中継器による4ウェイドップラー計測
 「リレー衛星中継器(RSAT)」は,Rstarと主衛星に搭載される中継システムで,4ウェイドップラー計測に使用されます(図3中)。SELENEの主衛星が月の裏側を飛行中にJAXA臼田局の64mアンテナから発射される電波は,図の1→2→3→4の経路で中継されます。臼田局に戻ってきた電波の受信周波数に蓄積されたドップラー効果が測定され,これを4ウェイドップラー計測と呼びます。Rstar自身の軌道は2ウェイRARRで計測されるので,Rstarに対する主衛星の相対軌道が求められることから,月の裏側の軌道が初めて直接測定されることになります。4ウェイの中継は,これまでは地球の静止衛星と周回衛星間の通信でしか行われていません。相互にドップラー効果で変動する電波を低電力のシステムで中継するところが,RSATの腕の見せどころです。4ウェイの測定を行える時間は通信経路の相互可視や電力の節約などさまざまな制約を受けますが,それでも試算によれば,重力場展開係数の70次まではカウラの法則を用いることなく,従来の重力場モデルを確実に上回るデータが得られることが分かりました。

 月の地形は,海と呼ばれる平らな地形は表側だけに広く分布するなど,表と裏で性格が異なる二分性が知られています。しかしこれまでの重力場データでは,裏側に顕著なマスコンがないことが実際の分布を表しているのかなど,決め手がありませんでした。RSATはこのような重力場の二分性に初めてメスを入れ,月の自転周期と地殻厚さの相互作用をはじめ,月の進化初期の物理現象と内部構造との関係が解明されるものと期待されます。

(2)VLBI電波源による多周波相対VLBI観測
 「VLBI電波源(VRAD)」はRstarとVstarに搭載される電波源で,多周波相対VLBI観測に使用されます(図3右)。VLBI(超長基線電波干渉計)は,本来はクエーサやメーザ源などの電波星が発する電波を距離の離れた複数の電波望遠鏡で同時受信して,望遠鏡の位置や電波星の詳細な構造を精密測定する方法です。近年では,「のぞみ」や「はやぶさ」など,探査機の軌道決定にも用いられています。SELENEでは,RstarとVstarの電波を交互に観測する相対VLBI法によって地球電離層の補正を行うことにより,精度向上を図ります。

 VRADミッションのもう一つの工夫が,S帯(2GHz)3波,X帯(8GHz)1波を用いる多周波位相遅延VLBIです。位相遅延VLBI法では,幾何学的遅延時間を電波の位相差から直接求めます。このため,これまでの探査機で行われてきた,フリンジ位相の観測周波数に対する傾きから求める群遅延VLBI法と比べて,低電力で高精度な推定が可能です。ただし,位相遅延量が2πを超えると解が一意に決まらなくなるので,周波数の異なる複数の電波を用いる必要があります。複数の周波数を合成した低周波も使用すれば,粗い位置決めから細かい位置決定までが可能になります。VRADでは,月周回軌道を20cmの精度で求めることができ,これは2ウェイRARRより2桁以上の精度改善になります。

 VRADが搭載される2機の小型衛星は,能動的軌道・姿勢制御を行わないことから,特に重力異常の長期成分が観測されます。従来の重力場モデルに対して,重力場展開係数の10次までの項では,1〜1.5桁の精度向上が見込まれます。また,VLBIは視線直交面方向に感度があることから,巨大なクレータであるサウスポールエイトケン盆地など月の側面の観測精度も向上します。RSATのデータと組み合わせることにより,月全体の詳細な重力場地図が描かれることになります。

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Rstar/Vstarの開発

 RstarとVstarは,先に述べた通り重力場観測に特化した衛星であり,姿勢制御のためのニューテ−ションダンパはありますが,重力異常の検出を邪魔するスラスタによる軌道・姿勢制御を行わないスピン衛星です。両衛星の形状はほぼ同じで,八角柱の主構体に地球向けの通信を行うS/X帯垂直ダイポールアンテナなどが搭載されています(図1右上)。幅が約1mと,小型衛星と呼ぶにはやや大きめですが,これは側面の太陽電池セルの面積を大きくとるための措置で,内部は比較的空いており,質量は約45kgです。

図4 SELENEの小型衛星Rstar/Vstar用に開発された軽量型分離機構。
上の長方形の内側が,分離される小型衛星側の部品。

 RstarとVstarは,軽量化のためのさまざまな工夫がなされていますが,その代表が分離機構です(図4)。Rstar/Vstarはスラスタやホイールによる姿勢制御がないため,分離時に与えられる姿勢とスピンが命です。このため,軽量ながらも安定した分離特性を与えられる機構が必要です。一般にスピン衛星の分離には,ターンテーブル上でスピンを与えて切り離すタイプが使用されますが,Rstar/Vstarでは二つのリングを伸展バネでつないで,ねじりを与えて保持する機構にしました。3ヶ所のブラケットにある火工品で固縛が解放されることにより,伸展バネがリングを押し出して分離速度を与えるとともに,小型衛星下部に設置されたフックが上部リングの回転を伝えて,スピンを与えます。この方式によって分離機構の設計質量が4分の1程度に低減されました。この分離機構の性能を測定するには微小重力での試験が必要ですが,大掛かりなものである場合は条件を変えて多数の測定データを取得したり,測定結果を設計にフィードバックさせて再測定を行ったりすることが困難になります。そこで,ゴムひもで模擬衛星をつり下げて張力と重力が釣り合う位置に分離機構を置くことによって,微小重力を模擬する装置を考案して試験を行いました。図5の中央にある箱が質量特性を小型衛星と一致させた模擬衛星,その上に少し見えているのが衛星をつり下げるショックコードです。こうして得られたデータをもとに開発モデルが作られ,ピギーバック衛星μ-Lab Satによる軌道上実証も行いました。

図5 模擬衛星とショックコードを用いた,分離機構の地上分離特性計測試験。

 RstarとVstarは,現在プロトフライト試験が続けられており,本稿が皆さんのお手元に届くころには熱真空試験が佳境に入っているでしょう。月の重力場の地図を表も裏も飛躍的に改良し月の内部構造を解明する決定打として,世界中の注目を集めながら,RstarとVstarの開発は最終段階に入りつつあります。

(いわた・たかひろ) 


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