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一般講演会「ブラックホールの謎に挑む」
ノーベル物理学賞受賞者リカルド・ジャッコーニ博士を迎えて



 1962年6月,リカルド・ジャッコーニ先生たちの作った小さな検出器は,ロケットに載って初めて大気の外から宇宙を眺め,誰も想像もしなかった明るいX線天体を発見しました。その天体はその後,小田稔先生が考案された「すだれコリメータ」で正確に位置が決められ,可視光でやや暗い星と可視光ではまったく見えないX線星の連星であることが分かりました。1970年には最初のX線天文衛星UHURU(ウフル)が上がり,こうしたX線天体が銀河面を中心に大量に見つかってきました。このころは,まるで「自然とホットラインがつながっている」かのように次々と新しい現象,天体が登場してきて,極めてエキサイティングだったとジャッコーニ先生は振り返っています。こうしたX線の放射は,望遠鏡の発展とともにほとんどすべての天体から観測され,X線観測は天文学のなくてはならない柱の一つに成長しました。40年後2002年度のノーベル物理学賞として,「宇宙を見る新しい窓を開けた」功績により,ニュートリノ天文学の小柴昌俊先生とともに,X線天文学でジャッコーニ先生が受賞されたのは,むしろ遅過ぎるくらいといえるかもしれません。今回の講演会では,X線天文学の産みの親の一人であるジャッコーニ先生を招いて,その最も華々しい成果の一つであるブラックホールの謎に挑むお話をしていただくことにしました。

 ジャッコーニ先生の演題は,ノーベル賞受賞講演と同じ「X線天文学の夜明け」でした。中でも,X線連星を追いつめ,コンパクトな星である中性子星,さらにはブラックホールへ至るところをお話しいただきました。それとともに,高感度観測,撮像観測に必要ということで1960年代からすでに始めていたX線望遠鏡の開発と,その成果であるアインシュタイン衛星とチャンドラ衛星による高解像度のX線画像を紹介されました。

 これに続き,講演会の題名にもある「ブラックホール」について,最近の研究成果も取り入れて,東京大学の牧島一夫先生に「ブラックホール天文学の最前線」という題名で話していただきました。前半はブラックホールの理論的概念から,それがいかにX線観測で実証されていったかをテンポよく話されました。日本のX線天文学は世界的にもいち早く立ち上がり,これまで4機X線天文衛星を上げてきました。その観測も,ブラックホールの謎の解明に大きく寄与しています。初期の寄与ばかりでなく,あちらこちらの銀河の中心核に潜む大質量(太陽の100万倍〜10億倍)ブラックホールを見つけ出し,また成長途中の中間質量(太陽の1000倍)ブラックホールの発見において,日本の「あすか」衛星が世界に先鞭(せんべん)を付けてきました。お話の最後は,ガンマ線バーストが超新星の爆発に伴っているらしいことから,宇宙のはるか彼方で生まれるブラックホール誕生の瞬間を見ている可能性を示されました。

 第二部は,講師のお二人に,講演会の最初にジャコーニ先生の紹介をされた宇宙科学研究本部の井上一先生,宇宙科学研究所名誉教授の田中靖郎先生を加え,サイエンスライターの野本陽代さんの司会で,トークショー「ジャッコーニ博士と宇宙を語ろう」が行われました。

 初期のX線天文学の歩みを,小田先生のお話も交え,同世代のジャッコーニ先生と田中先生からご紹介いただきました。この中では,ジャッコーニ先生が天文学へ進むきっかけ,また,なぜ誰も予想しないX線天体の発見につながる実験を進めたのかなども話されました。先ほどの「自然とのホットライン」の話もこの辺りで出てきたものです。田中先生からは,日本では限られた観測条件の中で,スペクトルから現象の物理を究めるというジャッコーニ先生たちとは異なる方向を目指したという話がありました。その延長線上にあり,2004年度に打ち上げられる予定のASTRO-EIIの紹介が井上先生からあり,目指すサイエンスなど,期待される成果が説明されました。

 最後はジャッコーニ先生に,X線から始まりハッブル宇宙望遠鏡,ヨーロッパ南天天文台,そして電波の大型国際プロジェクトALMA計画のリーダーを務めてこられた背景を聞きました。21世紀の天文学ではこうしたさまざまな天文台が高性能の装置で,国際的にも互いに手を携えて,宇宙の謎に挑んでいくことを期待する,ということで講演会が締めくくられました。

 参加者は350名を数え,案内から受付締め切りまで1週間という短期間,金曜日夕方という制約にもかかわらず,満員の大盛況でした。開催にあたっては,総合司会の的川泰宣先生,JAXA広報部,宇宙フォーラムの皆さんの全面的なご協力を得て,プロによる行き届いた講演会にできたことを,この誌面をお借りしてお礼申し上げます。これは機関統合の一つの成果といえるかもしれません。

講演されるリカルド・ジャッコーニ博士

(國枝 秀世) 


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金星探査プロジェクトPLANET-Cの試作モデル着手

 金星探査計画は2001年1月の宇宙科学シンポジウムにて発表され,その後宇宙理学委員会,宇宙開発委員会における高い評価を経て,2004年4月,ついに試作モデルに着手できることとなった。宇宙理学委員会への提案に至るまでのワーキンググループにおける活動を考えると,6年の歳月をかけ,十分練った計画として試作モデルを製作できることは誠に喜ばしい。実際に金星に到着して観測を開始するのはこれから6年程度先になることから,ちょうど道半ばに差し掛かったとも考えられる。

 1960〜80年代,ソビエト連邦は精力的に10機を超える探査機を金星に送り込んでいる。また1989年には,米国の合成開口レーダー衛星マジェランが地形の調査で目覚ましい成果を挙げている。しかしこの後,米ソともに金星への興味を失い,探査機は送られていない。

 これらの探査機の調査目的は主に,金星の表面地形はどのような特徴を持っているのか,表面物質は何からできているか,大気の主成分は何か,その垂直温度構造はどのようになっていて地表面での気圧はどれほどか,といったことに絞られていた。ソビエト連邦の探査機では主に降下プローブが調査に用いられ,降下を行ったいくつかの地点でのデータが取得されたが,それは金星上である瞬間,ある地点でそれらの諸量がどのような値を示すかを与えただけである。我々が今回行おうとしている金星大気探査は,惑星の上を流れる大気の運動を時間的に,また金星表面全体にわたって鉛直構造も含めて追いかけ,気象学的データを取得するものであり,これまでの探査とはその目標とするところが大きく異なっている。

 この違いを地球の場合に例えてみよう。ある日の東京,1年後のニューヨーク,さらに次の年のある日にカイロで温度と気圧を調べれば,そこが暑いか涼しいかは分かるが,地球全体の気象現象にアプローチすることは難しい。後者のためには,気象衛星(例えばMTSAT)を打ち上げて,地球大気の動きを雲や水蒸気量をトレーサーとして追跡するのが最も効率が良い。我々が金星でやろうとしていることは,ちょうど地球で気象衛星が行っている観測に対応する。

 ここで問題となることは,金星が厚い硫酸の雲に覆われているという事実であり,可視の波長では高度70kmより下の気象現象を外から見ることができない。これを解決するため,日本の金星大気探査ミッションでは,主力の観測装置として近赤外のカメラを搭載する。ある特定波長の赤外線は,金星の地表面や下層の大気から発せられた後,金星の厚い雲を透かして外側に出ることができる。この波長の光を観測することによって,雲の下からの情報を得ることができるわけだが,この赤外線の特徴が発見されたのが約10年前である。この新しく発見された観測手段を有効に生かすことによって初めて,雲の下の大気の動きを探る「金星大気探査ミッション」が成立するのである。

 2003年度まで我々は,搭載するつのカメラの開発を着実に行ってきた。特に中間赤外カメラで使用される常温使用のボロメター検出器や,打上げ時は常温,観測時には100K程度に冷却される近赤外カメラの光学系,雷の速い閃光(せんこう)をとらえる検出器,迷光を6〜7桁落とす新型小型フードなど,机の上の検討では問題ないだろうと思われていても,実際に試作して確かめるまでは不安な要素はすべて試してみた。これらの検討結果を3月末のレビュー会において確認した後,4月からの試作モデル設計製作に進む。また,衛星自身もM-Vに最適,かつ事故の起こらない探査機を作るシステム検討を行っている。

 これだけのことをしても,実際に開発を進めていく間には多くの困難が待ち受けていると考えられる。宇宙航空研究開発機構の皆さんのサポート,国民の皆さんの支持を得て,これからの長い道のりを踏破していきたいと考えている。

(中村 正人) 

近赤外カメラの開発風景。円筒状の真空容器の中に試作モデルが収められている。

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