No.253
2002.4

ISASニュース 2002.4 No.253

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「宇宙」へ吹く風

山 根 一 眞  

 宇宙への風当たりが強い。長引く経済低迷の元で「利益」に結びつかない科学技術への挑戦は切り捨てるべしと口にする人たちが増えた。何たる情けなさだ。私は心から怒っている。宇宙という未知の世界への挑戦は,人類が誕生して数万年目にしてやっと迎えた人類史の大エポックだ。だが,そのような認識を持てない頭の小さい指導者が増えた。そういうリーダーが国にも企業にも増えたからこそ,日本は十年以上にわたる暗黒時代から抜けられないのである。

 宇宙への挑戦は,彼らが言うように国民の期待に反することなのだろうか。否,だ。昨年,宇宙開発事業団はH-IIAロケット試験機号機の打ち上げに前後して東京で2回,北九州市で1回の合計3回,「ロケットシンポジウム」を開催した。私はその3回の企画に参加し司会を務めた。シンポジウムには年に何十回と参加しているが,このシンポジウムほど感動したことはなかった。聴衆の参加者の半数は女性に,家族連れを優先としたのだが,応募者はたちまち定員を超え抽選を行ったほどだった。パネラーに日本のほぼ全宇宙飛行士を迎え,部屋を分けて参加者との膝詰めのディスカッションも行ったが,参加者の熱意は凄かった。いかに宇宙が若い世代にとって夢のある,未来への力をもたらす分野かを思い知らされた。「失敗は当たり前,そんなことにめげずに宇宙への挑戦を続けてほしい」というのが,参加者の一致した熱い意見だった。パネラーの宇宙技術エンジニアたちは,まさか一般の人たちからそこまでの熱いエ一ルが寄せられるとは思っていなかった。ゲストパネラーとして参加したISASの的川泰宣先生も同じ思いだったと思う。

 3回のシンポジウムを通じて,私は参加者に「宇宙へ行きたいか」を問うたが,驚いたことに95%が挙手した。北九州市会場では,あるお年寄りが「財産など残さなくていいので億円までなら出す」と宇宙旅行への期待を発言。30代半ばの男性は「私は6,000万円なら行く」と訴えた。日本の宇宙開発では長いことなぜか「有人」は禁句だったが,大々的に有入宇宙飛行時代の計画を立てる時が到来していることを思わせた。

 宇宙への風当たりが強くなってきたのは,NASDAISASによる「失敗」への批判が背景にある。だが,失敗のない挑戦などあるわけがないのだ。失敗こそ前に進む力だ。最近,世界で最も視聴されているテレビ番組『ディスカバリーチャンネル』が,「ロケットが爆発炎上した理由」というびっくりする大番組を放送した。アリアンやタイタンの爆発炎上シーンがこれでもかと続き息を呑んだが,番組の主張は「宇宙開発にはこういう面があるが宇宙への挑戦は止めるべきではない」だった。これが,アメリカのジャーナリズムの姿勢だ。些細な失敗の糾弾にだけ情熱を燃やす日本のマスコミ人に,このテレビ番組を煎じて強引に飲ませてやりたい。アメリカは1998年から9か月間にロケットの失敗を6回も経験した。打ち上げ回数が乏しい日本は,それだけの失敗すらできないと私は受け止めている。

 経験したことのない挑戦によって何がもたらされるのか。それがわからないのが挑戦なのだ。あらゆる文化的な進歩は,非凡者の挑戦によって思いがけずもたらされてきた。宇宙への挑戦を無駄と言う人たちは,明治初期に鉄道の開通は意味がないとその敷設を拒否した結果,地域を衰退させた首長と同じだと知るべきだ。元気がない時代には,人々は前向きな姿勢をとれなくなる。時代そのものが前進という意欲を失っている。今,私たちはそういう未来への力をそがれる時代に首まで漬かっているということを真摯に認識し,後ろ向きの姿勢を打破する努力を続けたい。

(やまね・かずま) 
(ノンフィクション作家,宇宙開発事業団非常勤嘱託<広報アドバイザー>,内閣府宇宙開発調査会委員) 


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