No.235
2000.10

ISASニュース 2000.10 No.235

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カザフスタン短期探訪

上 杉 邦 憲  

 我が磁尾艇留(ジオテール)衛星活躍中の国際太陽地球物理(ISTP)計画に参加するESAのクラスター衛星は,アリアン5型1号機とともに大西洋に沈んで以来,約4年をかけてクラスターIIとして復活。今度はソユーズ・ロケットでバイコヌール基地から打ち上げられることになりましたが,その際のESA連中の打ち上げ立会いツアーに参加という奇貨に恵まれ,カザフスタンへ行ってきました。

 モスクワでESAのカバロ氏,ISSI(国際宇宙科学研究所)のマンノ氏らを初め総勢百余名の団体に合流。3時間の飛行の後TU154型機が着陸したのは,バイコヌール基地の中の滑走路で,後で聞くと,それはあのブランが着陸した滑走路だったとのこと。

 周りは見渡す限り枯れたような草が僅かに生えている荒れ地で,数十km彼方の発射施設が遙かに霞んで見える。これも冷戦の産物なのかソユーズやプロトンの発射点は夫々が何十kmも離れています。

 夏は+40℃,冬は-30℃じゃあ,舗装の維持なんか無理さ,という言い訳を聞きながら凸凹道をバスに揺られて延々約1時間,走れども走れども依然基地の中。ようやく基地のゲートが見えてくる頃,周囲は広大なゴースト・タウン。ソ連時代の打上げ最盛期,ここに約十万人の基地従業員が住んでいたのが今や無人の廃墟になっていました。

 現在バイコヌール(旧名レーニンスク)の町の人口は約1万5000,大半の人が基地と何らかの関連を持って生活している由。町の青空市場ではモンゴル系のおばさん達が陽気に山積みの西瓜を売っていました。

 打上げを翌日に控えた我々の宿舎は,町の郊外,基地のゲートのすぐ近くにフランスの資本,イタリアの建築会社によって建てられたホテル・スプートニクで,空調完備,モデムのジャックもRJ11と滞在には何の問題もありません。というのも,現在ソユーズ・ロケットを使った商業打上げはフランスのSTARSEMという民間の会社が行っており,衛星の準備作業を初め多くの関係者が長期間快適に過ごせるホテルがあることも顧客確保には必要条件という訳です。ちなみに今回のクラスターII打上げは,4年前STARSEMがソユーズ打上げを始めて以来,既に14機目になるとのこと。


 一夜明けて,予定通り打上げとの情報が入り,まずは射点の見学へ。我々が到着したのは発射7時間前,タンクローリーがサービスタワーに横付けになって液酸注液中というのに規制も無く,射点直近まで立ち入り可という大らかさ。

 打上げを待つ間,射点から再び1時間バスに揺られて案内された広大な建物は,嘗てエネルギアやブランが整備されたビルで,今なお1組のブラン+エネルギアが埃を被って横たわっており,その巨大さに息を飲む。なお,ブランはこの建屋の外にもう1機置いてあり,モスクワの公園に飾ってある1機と合わせ,作られたのは計3機との説明でした。

 打上げ1時間前,射点から約2kmの見学者席へ。淡々とタイムスケジュール通りに進む作業の様子がスピーカーから流れ,やがてカウントダウンも無しに,19秒前点火,3秒前フルスラストというアナウンスがあったと思うまもなく,固体ロケットと違って噴煙も残さずに,ソユーズは雲一つ無い青空へ小さな輝点となって吸い込まれていきました。

 今回,発射オペは垣間見ただけでしたが,40年以上に亙り既に千機以上のソユーズを打ち上げてきた経験と実績故の,衛星打ち上げなど日常茶飯事という様子が強く印象に残った2日間のカザフ探訪でした。

(うえすぎ・くにのり) 



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