No.217
1999.4

ISASニュース 1999.4 No.217 


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 リ−ダ−シップ





 ベビーR型1号機の時には,いつも糸川の愛用車を守っている方位神社のお守り札がロケットに乗せられて打ち上げられ,搭載カメラと一緒に回収された。海水に濡れたお守りを手のひらに乗せて,世界初の海上回収の喜びを語る糸川の写真が,新聞を飾った。科学の粋を集めたロケットの中に方位神社のお札を入れて飛ばす思い付きは,「神頼み」どころか,大事を前にしての余裕を示すリーダーの心がけである。

 手動のアンテナのテストのために,若者にトランスポンダを頭にくくりつけて道川の海岸を走らせたアイディア,ギリシャ文字のアルファベットをロケットの名にしたこと,本号の表紙にあるような青空コントロール・センターの裸電球の仕掛け,高度100kmに固体燃料ロケットで挑戦することへの多くの批判に立ち向かった心意気,世界初の山がちのロケット発射場の建設などなど,数えればキリがないほど,糸川の独創性を語る逸話は多い。その「常識」に敢然と立ち向かった糸川のリーダーシップこそ,日本に宇宙開発の大輪を咲かせた最大の原動力であった。

 内之浦にロケット発射場を建設するという声があがって間もない1961年4月,参議院議員の佐多忠隆(社会党)が内之浦にやってきて,建設賛成の演説をしたことがあり,これによって内之浦の一部にくすぶっていた不安の声がピタリと静まったことがある。何という根回しのよさ,これも糸川が予め手を打ったものであった。学ぶところの無数にある人だった。




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