No.186
1996.9

ISASニュース 1996.9 No.186

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ロケットのはじまり

宇宙科学研究所    的川 泰宣


 人類は古くから宇宙を飛ぶことを夢見てきたが,現実にどうやってそれを実現するかを知らなかった。そのカギを握っていたのはロケットである。しかもこのロケット技術は,すでに11世紀には,明らかに中国で使われていた形跡がある。

  火箭の発射方法
 人類がはじめに作り上げたのは初歩的な固体推進剤,つまり火薬を用いたロケットである。それは,矢に火薬入りの筒を取り付けただけの簡単なもので,当時の中国(宋)では「火箭」と呼ばれていた。その矢じりに毒を塗り,20本とか30本ずつまとめて竹製・木製の円筒につめ,一斉に発射した。矢は竹でできており,長さは90Bほど。

 やがて1126年,宋はツングース系の女真(金)の侵入を受けて首都開封を占領され(靖康の変),杭州に都を移して南宋と称した。この金の首都汁京(開封)を,1232年にチンギス汗の後を嗣いだ第三子オゴタイが包囲した。この戦いで守備側の金は,宋から習い覚えたロケット兵器を使って,モンゴル軍をさんざん悩ませた。2年の包囲攻撃を受けて,結局は金はモンゴルの軍門に下ったが,モンゴルは苦しめられたロケット兵器の技術を金から学び,アジアからヨーロッパにまたがる大征服戦に使った。このモンゴルの跳梁の結果,ロケット技術は,早くも13世紀の末には,ヨーロッパにまで知られるようになった。

 15世紀には,ヨーロッパでロケットが戦闘に盛んに用いられた。しかしちょうどその頃,ロケットの宿敵となる鉄砲が世界史に登場した。鉄砲は同じ火薬を使用しながら,ロケットよりはずっと扱い易くて精度が高い。

 こうして16世紀以来,ロケットはヨーロッパでは兵器の脇役にまわり,もっぱら花火や信号弾として数百年にわたって「窓際の時代」を過ごすことになった。

 18世紀後半になり,イギリス軍の砲兵部隊にいたウイリアム・コングレーブが,ボディ(火薬筒)を厚紙ではなく鉄で作り,火薬を改良し,安定棒の位置をケースの脇ではなく中心軸に一致させた。コングレーブのロケットは19世紀の前半,イギリスの対ナポレオン戦争を初めとするさまざまな国との戦いで使用したので,その威力に悩まされた各国は競ってロケットを開発・保有することになった。

 とはいえコングレーブのロケットも長い安定棒をつけて重心を後に送るタイプで,姿勢の制御などはむろんできなかったので命中精度は低かった。そして19世紀半ばまでに大砲の命中精度が飛躍的に向上するに及んで,ロケットは再び兵器としては主舞台を降りることになる。

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ベルヌ 『地球から月へ』  

 ロケットが大砲の威力に圧倒されていたころ,科学の進歩に促されてSF(空想科学小説)は次第にその質を高めていった。1835年から1865年までの30年間は,「SFの黄金時代」と呼ばれ,人々が競ってSFの中に,月や他の惑星に住む「人間」を追い求めた時代であった。この黄金時代の仕上げの年,1865年に,あらゆる角度から見て「初めての本格的SF」と呼ばれるに値するジュール・ベルヌの『地球から月へ』が世に出た。ギリシャ神話のイカロスの物語以来,たえず人間を宇宙に駆り立てた未知への飽くなき好奇心を,ベルヌのSFは激しく揺り動かした。科学的で生き生きとした事実に満ち,躍るような筆致で書かれたその物語は,以後,夢という高性能の推進剤で宇宙時代に向って人類を強力に加速することになった。『地球から月へ』はつぎつぎと各国語に翻訳され,科学者を含む膨大な読者を獲得していった。そして人々に宇宙旅行のリアルな夢を伝え,それに刺激された少年少女たちの中から,宇宙開発のパイオニアが続々と育っていった。19世紀末から20世紀にかけて宇宙に夢を馳せたパイオニアたちが,例外なくSFの愛読者だったことは特筆してよい。その中から,ツィオルコフスキー,オーベルト,ゴダード,フォン・ブラウンなどの宇宙開発のパイオニアたちが次々と育ってきた話は,すでに旧聞に属する。まずは,火箭のはじまりの一席はこれにて。

(まとがわ・やすのり)



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