松 尾 弘 毅
私,この度4月6日を以て,宇宙科学研究所長を辞し,同8日付けで文部科学省宇宙開発委員に就任致しました。任期に半年をあまして唐突とも見える辞任ですが,まずは紙面をお借りして永年のご厚誼にお礼申し上げます。1962年大学院生として東京大学生産技術研究所の糸川研究室に配属されて以来,楽しい道のりだったと思っております。その間,初の人工衛星“おおすみ”にはじまり,ハレー彗星探査の成功など,我が国の宇宙開発史を彩る数々の場面に身を置けたことは,まことに幸運でした。一体感のある恵まれた職場環境でした。実験場での時間は,格別のものでした。企業の方々にも仲間としておつき合い頂けたと思っています。内之浦で,能代で,地元の方々の人情に十分過ぎる程触れることが出来ました。
所長就任後の3年余はまことに多端でした。M-V-4号機によるASTRO-E衛星の打上げ失敗にはじまり,当時宇宙開発事業団と相次いだ失敗のなかで,連携の強化の実を挙げる間もなく,2001年8月には遠山文部科学大臣により,本研究所を含む3機関の統合の方針が示されました。M-Vロケットの回復と厳しいスケジュールのなかでの後続の科学衛星の準備,それに加えて3機関統合へ向けての諸作業(とても作業などと呼べる単純なものではありませんが)という全く異質な二正面に,所が一丸になって立ち向かった3年間でした。
幸いM-Vの回復は順調に進み,“はやぶさ”の打上げ成功につながりました。まさに新機関名Japan Aerospace Exploration Agencyを先取りするものでしょう。統合も2001年の外部評価で頂いたご提言,「新機関は自律的な研究部門を有することが重要である。」との線に沿って,枠組みが整えられつつあります。来る10月の新機関「宇宙航空研究開発機構」発足を前に,まだ懸案を抱えるなかでの離任は心残りですが,新しい場所で,この心残りを補うことが出来るのではとも考えて,お引き受け致しました。私の経験できた喜びが,我々世代だけの特権に終わらぬように願っています。
(まつお・ひろき)