No.223
1999.10

<研究紹介>   ISASニュース 1999.10 No.223

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電子・原子衝突で自然現象を探る

山口大学大学院理工学研究科 季村峯生  

はじめに

 私たちが住んでいるこの世界で目にする,あるいは知覚する多くの自然人工現象で,電子やイオンと原子分子との衝突あるいは相互作用によって起きる様々な過程が関係している,あるいはその基となっている現象が多くあるのは良く知られている。

 幾つかの例を挙げてみると,

(i) 電子捕獲(電荷移行)過程は星間空間,惑星星雲,HII領域,超新星爆発残滓,銀河コロナ等様々な宇宙領域での原子種同定,物理的環境(温度,密度,原子分子種分布等)診断に無くては成らない重要な基礎過程を提供している。

(ii) 星間ガスのほとんどは分子状態にあると思われるが,これら星間分子の同定を可能にしたのは最近の電波天文学(赤外線,マイクロ波,X線)の発達によるが,星間分子に発光を誘起するのは宇宙空間に存在する光・電子・イオン・原子分子あるいは核種などとの相互作用により様々な内部量子状態に励起されることに始まる。

 又テクノロジー面では

(iii) 半導体製造工程で低温プラズマを利用しプラズマエッチングを行うのが基盤技術であるが,低温プラズマの生成には電子とCF4C3F8等のエッチングガスとの衝突による分子解離をうまく制御し選択的に高効率でエッチングをするラジカルと呼ばれる高反応性分子種やイオン種を作り出し,それらをSi基盤表面に輸送しエッチングを行う。

(iv) 医療分野では,古くから放射線治療は用いられてきたが,最近特に有効性が認識されだした重イオン照射ガン治療法がある。これは高エネルギー重イオン(Cq+Oq+)のエネルギーロスが入射地点からある距離だけ離れた所で局所的に起きる(Bragg効果)現象を利用し深部のガンを選択的に破壊するのに非常に効果があることが最近分かってきた。

これらざっと見渡しただけでも基礎科学から応用まで広く電子・イオン - 原子分子衝突による原子分子のイオン化,電子・振動・回転励起,化学反応等の素過程が深く現象に関わっていることが分かると思う。私は共同研究員として宇宙研・市川行和教授グループと共同でこれら電子・イオン - 原子・分子衝突による素過程のダイナミックスの理解と衝突断面積の整備を行っており,この研究分野の一端の紹介をさせて頂きたいと思う。

電子・陽電子 - 分子散乱過程

 この宇宙で安定に存在できる構成物質の内,質量が陽子に比べ2000倍も小さい電子は原子分子と外場(電磁波,粒子等)との相互作用で容易にイオン化され自由電子となってこの広い宇宙空間を動き回っている。これらイオン化された電子(2次電子)の多くは幅広いエネルギースペクトル(MeV - meV)を持っており,これら2次電子と他の原子分子との相互作用でさらなるイオン化が可能になる。従って電子と構成原子分子との相互作用を考えることは多くの過程が起きるトリガーとなり非常に重要である。また電子の反粒子である陽電子(ポジトロン)と原子分子との衝突相互作用を考えることにより電子衝突による様々な素過程のメカニズムと相互作用の本質がより深く理解できる利点がある。現在までのところこれら陽電子が宇宙空間でおきる種々のダイナミックスで重要な役割をするという,確たる証拠は見つかってはいないが,将来何か陽電子が関与する新しい物理現象が見つかる可能性も秘めている。応用領域では陽電子を用いた固体表面あるいは固体内部欠損の診断に広く使われているし,最近ではPET(Positron Emission Tomography)を使い脳等の生体器官の働きをリアルタイムで観測する事ができるようになった。我々は電子・陽電子と分子との衝突過程,特に電子励起,振動励起について理論的に調べている。

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 図1CO2分子と電子・陽電子との衝突による全散乱断面積の値を衝突エネルギーの関数として与えてある。入射電荷粒子と標的CO2分子との全相互作用は
(i) 静電相互作用,
(ii) 交換相互作用,
(iii) 分極相互作用
3つの寄与の和としてかけるが,電子の場合それぞれ引力で全体の和として強い引力の相互作用となりCO2分子は電子を引き込むようになる。一方,陽電子とCO2分子との静電相互作用,分極相互作用は(陽電子の場合交換相互作用は存在しない)それぞれ斥力,引力となり,斥力と引力がキャンセルしあって,陽電子が感じる分子からの力は電子の場合に比べ相対的にかなり弱い相互作用となる。この相互作用の強さの差が全断面積の大きさにおおよそ反映していることがこの図から読み取れる。


 しかし-2eVより低く0.7eVより高いエネルギー領域では陽電子断面積の方が大きくなる事が分かる。これはどうしてであろうか?このエネルギー領域で起こりえる非弾性散乱過程は主に振動励起か回転励起であろう。CO2分子の電子励起準位はかなり良く調べられておりこのエネルギー領域に存在する可能性はほとんど無いと考えてもよい。では電子と陽電子とCO2分子との衝突による振動回転励起メカニズムはどのように違うのであろうか?CO2分子には3つの第一振動励起状態がありそれぞれ対称性伸縮(100),反対称性伸縮(001),そして変角(010)振動である。量子力学的close-coupling法を用いて調べてみると非常におもしろいことが分かった。電子衝撃による(100)振動励起断面積は陽電子のそれより2桁から3桁も大きくなる事が分かったが,一方(010)と(001)振動の励起断面積は電子と陽電子によってほとんど際立った差は出ない(図2)。これは(100)振動励起は弱く且つ短距離力の分極相互作用によって誘起されるが,(010)と(001)振動励起過程は強い遠距離力の双極子相互作用によって起こされる。


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 電子と陽電子がCO2分子に近づいて行くと静電相互作用により電子はCO2分子の中に入り込めるが陽電子は斥力で分子の近傍で追い返されてしまう。この時相互作用が短距離力の場合,陽電子とCO2分子との相互作用は電子の場合に比べ非常に小さくなる。しかし相互作用が遠距離力(双極子相互作用)の場合は陽電子がそんなに分子の近くまで近寄れなくても分子と十分強い相互作用をし電子の場合とそれほど変わらない断面積を持つ事ができると予想される。これから3つの振動励起断面積の和は電子衝撃の場合が陽電子衝撃に比べ大きくなるという事が分かった。したがって実験結果を説明するためには回転励起が陽電子の場合に電子の場合よりはるかに大きくならなくてはならない訳であるが,実際,摂動論に基づいた計算をすると陽電子による回転励起が電子の場合に比べ非常に大きくなることが分り実験結果を説明する事ができる。

 電子励起についての組織的研究はまだないが,陽電子の場合交換相互作用が無いので電子交換による1重項 - 3重項の電子遷移は起きない。従って上の振動についての研究から同じように電子励起についても電子衝撃と陽電子衝撃とでは非常にそのダイナミックスの様子が異なるであろうと予想される。一般に分子サイズが大きくなるに従い,電子・振動励起の自由度は増え様々な励起モードが可能になる。そして電子・振動励起過程およびその断面積の大きさも電子・陽電子によって非常に異なってくることが予想される。分子の場合(電子・振動)励起と分子解離のチャンネルとが強く結合していて高い準位への電子・振動励起を起こすと分子解離を起こし,小さな解離種に壊れる。電子・振動励起過程が電子と陽電子でこのように極端に異なる場合,電子・陽電子衝撃によって生成される解離分子種とその生成量も非常に異なるはずである。電子陽電子衝撃による分子解離の理解は電子陽電子を用いて選択的に特定の解離種生成に使用できる可能性がある。

 低速電子が分子場に入射するとしばしばその分子場に捕まり負イオンを作ることが知られている。この確かな実験的証拠は見つかっていないし,理論的にも予言されていないが,様々な傍証から陽電子が分子にくっついて正イオンを作っているのではないか,と言われている。これら分子負イオン,分子正イオンは不安定でやはりすぐ解離して小さな解離種に壊れるであろう。この壊れた解離種もまた電子付着によるか陽電子付着によるかで全く異なるに違いない。これらの研究はまだ何も無く基礎物理としてもまた応用上も非常に興味がある問題であり新しい物理に発展する可能性を秘めている。

イオン−分子散乱過程

 様々な種類(H+, Cq+, Oq+, )の重粒子イオンが宇宙線中に含まれている。これらイオンと原子分子との衝突によって電子の場合とは異なった新しい素過程が可能になる。たとえばイオン化でも入射イオンからのイオン化,標的からのイオン化,あるいは両方からのイオン化と色々バラエティーがある。電子励起,振動回転励起などの標的の内部量子状態の変化等の他に電子捕獲過程,化学反応(原子捕獲)過程等イオン入射特有の過程も多くあり電子入射の場合とは異なった面白い物理を提供している。

 応用面では核融合プラズマ中での不純物イオンと燃料原子分子との衝突でのイオン化・電子捕獲過程による原子分光の知見は融合炉内プラズマ診断にとってかくことができない情報を与える。またイオンビームを用いた薄膜形成,エッチング等の応用も重要である。重粒子線ガン治療の成否をにぎっているのは入射イオン種,イオン種のエネルギー・空間分布,イオンと生体分子(水分子,DNA分子等)との非弾性衝突断面積などの正確な情報であると言っても過言ではないであろう。しかし現在これらの情報はまだほとんど蓄積されていなく,イオンー分子散乱分野の研究は始まったばかりである。

 そこでプロトタイプとして宇宙空間でも存在が確認されているCH4C2H2分子とH+イオンとの衝突による電荷移行過程を衝突エネルギー数keVの領域について調べた。図3C2H2分子の電荷移行断面積を衝突エネルギーの関数として示してある。又入射粒子に対する分子の向き(分子配向)の違いも区別してあり,C2vは入射イオンが文し軸に垂直に入射する場合,C∞vは入射イオンが分子軸に平行に入射する場合を表している。分子の向きによって電荷移行断面積の大きさが非常に異なることが分かる。さらにC∞vの分子配向では電荷移行過程と標的電子励起過程とが強く結合しているためそれぞれの断面積は逆位相で強い振動構造を示している。種々の非弾性散乱過程に対する分子の配向効果について,keV領域で理論的に示したのは初めての試みである。

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 最後に1つ2つの理論グループによる計算が互いに全く合わない例について話をする。4+イオンと原子との衝突による電子捕獲過程についてであるが,この衝突エネルギーは低eV領域以下とかなり低いため,理論計算に用いる断熱ポテンシャルや相互作用の決定にかなり高精度の計算が要求される。図4にこの衝突系の電荷移行断面積について,実験値と2つの理論値を示してある。理論はともに量子力学的close−coupling法を使い計算を実行している。10eV近傍より大きな衝突エネルギーでは2つの理論グループの計算値の一致は良いが,これより低いエネルギーでは1つの理論値は衝突エネルギー減少と共に断面積も上昇する傾向があるが,我々の理論値は逆に衝突エネルギー減少と共に,減少し続けている。2つの理論値は定性的にも定量的にもまったく違う傾向を示しているが,実験値は我々の結果と良く合っている。これは低エネルギーでの衝突計算の難しさを示す良い例であろう。このどちらの断面積の値を使うかによって宇宙環境や核融合炉でのエネルギー・電荷バランス等のシミュレーションに大きな影響を与えるであろう。

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 電子・イオン - 原子分子衝突素過程についての我々の理解・知識はまだまだ不完全である。N4+Hの衝突の例で見たように,理論計算において現代のス−パーコンピューターをもってしてもこのような比較的簡単な衝突系でさえ高精度の計算をすることがなかなか困難である。これが多原子分子が標的になった場合には高精度の理論計算はほとんどお手上げの状態である。しかし我々の仲間たちの努力によって今の計算機の能力を最大限活用しつつ,色々賢い他のアプローチの仕方を発展させて少しずつ自然のベールを剥いで人類共通の知識としている。宇宙研の皆さんから色々新しい現象の観測結果等お教えいただき原子分子レベルでその新現象の理解に役立てることができれば,といつも望んでいる。

(きむら・みねお)



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