計算機の思い出
過去を振り返るに,手軽に数値計算を行う手段として,算盤,計算尺,数表などがかなり長期にわたって使用されてきた。手にした機器らしい計算機といえば,卒論の計算用にアルバイトで買った手回式計算機を「シャキシャキ,チャリーン」と長時間動かし,手が痺れたことを思い出す。今を遡ること30数年前の事である。
間もなく当研究所に勤務することになり,そこで2種類の電動式卓上計算機に遭遇した。2組の数値をレバーでセットし,ボタンを押すと「カシャカシャ」と勝手に計算を始める。小ぶりな方を先輩達は「モンロー」と呼んでいた。これは計算実行の際,中心に位置した左右に出っ張った分厚い稼働部が,あたかも尻を振って歩く姿にみえるからだと,かなり長い間独り合点していたが,後日,その計算機の商標であることがわかった。
パソコンのルーツと進化
一方,当時の物理学においては半導体研究が最盛期で,その成果としてのトランジスター,ダイオードなどの半導体製品が真空管をこの世から葬り去ってしまった。その後の進歩は著しく,電卓と呼ばれおなじみのポケットに入る小型のものから,ミニコンと呼ばれる中型,そして大型計算機と各メーカーは挙って電子式計算機をこの世に送り出した。
LSロケットのタイマを管制する目的で,地上管制装置に導入したのもその頃である(コンピュータ制御のルーツとはいえないが)。ミニコンは現在のパソコンと同じくらいの外観で,全メモリーが2Kバイト(1バイトは半角文字1文字分)という規模で,キーボードはタイプライタ−から流用した(と思われる)もので現在の形式とほとんど変わってはいないが,表示部は20〜30個の発光ダイオードが単調に2列に並んでいるだけであった。やがて,MZと呼ばれた,モノクロディスプレー,プリンタ−付きの画期的な機種が突然に登場した。大型計算機によらずともプログラミングによる数値計算が可能となったのである。おまけに,今なお記号文字として使われているものを組み合わせ,画像として表示した,当時流行の「インベーダゲーム」がサービスとして付いていた。「シャーシャー」,「カチャカチャ,トントン」という音が所内のあちこちの室から聞こえるようになった(後者の音がデータを印刷する音でない事は言うまでもない)。
今思えば,これが「パソコン」のルーツと言えるのではないだろうか。並行し,大型計算機も急速な進展をみせ,計算の規模が多様化,複雑化するにつれ,数値計算はパソコンと大型機へ役割分担がはっきりとしてきた。
そして,カラー表示のディスプレーでグレードアップした機種がワープロソフトを伴って出現し,「画面表示」そのものも役割の一端を担いつつ,本来の数値の計算とは直接関係ない機能分野(マルチメディア)に進化し始めた。機器本体の高性能化(記憶容量と処理速度の増大)と共に優れたオペレーションシステム(OS)が次々と開発され,それに乗って動作する数多くのアプリケーションソフトが生み出された。近々の傾向としては、キーボードを叩くことなく,画面に表示された図形をマウスでクリックするだけで操作できる(GUI)仕様のものが主流となってきた。加えて,音声,音楽,ビデオのような動画も扱える様になり,「モンローウォーク」もパソコン上で再現が可能となった。そして,パソコンは今や計算機とはかけ離れた電子機器の寵児としてその揺るぎない地位を築き,以来,日進月歩のめまぐるしい進展を休むことなく続けている。