No.187
1996.10

ISASニュース 1996.10 No.187

     

第1回 宇宙と原子衝突

宇宙科学研究所    市川行和


 まずシリーズのタイトルを説明しよう。宇宙の大きさについては,はっきりとわかっているわけではないが「でっかい」ことは間違いない。一方,マイクロプロセスというのは,ここでは原子や分子,場合によっては原子核の一個一個の振る舞いが問題となるようなプロセスのことである。原子分子のサイズはおよそ0.1ナノメートルの程度であり,宇宙と比べたら文字どおり「けた違いに」小さい。そんなに小さいものがなぜ「でっかい宇宙」で大事なのかというのが本シリーズのテーマである。

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 もう少しマイクロプロセスについて説明する。たとえば,ある程度大きなエネルギーをもった電子を原子にぶつけると,原子内の電子をはじき出してイオンを作ることができる。同じことは,波長の短い光を原子に当てても起こる。このようなイオン化のプロセスは宇宙にあるプラズマ(電離した気体)を生成する主要な機構である。原子や分子に,これもある程度高速の電子をぶつけると,励起した状態にある原子分子を作ることができる。原子や分子は量子力学の法則に従う。それによると,原子や分子の取り得るエネルギー状態はとびとびであり,それらのうち安定な最もエネルギーの低い状態を基底状態と呼び,それ以外を励起状態という。励起状態におかれた原子や分子は,普通は直ちに光(電磁波)を放出して基底状態に戻る。

 このように,衝突により励起状態にある原子分子を作り,それから光を出させることができる。その典型的な例はオーロラである。これは上空から降ってくる高速電子が大気中の窒素分子や酸素原子と衝突して励起することにより放出される光である。衝突してくるものは電子である必要はなく,原子や分子,あるいはそれらのイオンであっても構わない。衝突してくる粒子の持っているエネルギー(衝突エネルギー)が十分大きければ高い励起状態のものを作ることができ,したがってそれが出す光(電磁波)の波長は短くなる(紫外線やX線の放出)。一方,衝突エネルギーが小さければ,波長の長い赤外線や電波が放出される。電波望遠鏡で観測される星間分子からの電波は,きわめて遅い水素分子が星間分子と衝突することにより発生しているものである。

 このように原子や分子,あるいはそれらのイオンがお互いに衝突するプロセス,および電子が原子・分子・イオンと衝突するプロセスをまとめて原子衝突過程,あるいは簡単に原子衝突と呼んでいる。原子分子が光を吸収することによっても似たようなことが起こるので,それも含めるのが普通である。すなわち,本シリーズのタイトルにあるマイクロプロセスの中心になるのは原子衝突である。ではなぜ原子衝突が宇宙で重要な役割を演ずるのだろうか。それはひとえに宇宙が希薄な気体(あるいはプラズマ)から成っているからである。どの程度希薄かというと,宇宙全体では平均として1立方メートルに原子(主に水素原子)が1個あるくらいである。銀河系の中はもう少し密度が高く1立方センチメートルに原子が1個ある。われわれの周囲の大気中には分子(窒素や酸素)が1立方センチメートルに10の19乗個もあることを考えると宇宙がいかに希薄かがわかる。

 宇宙での原子衝突の役割を少し詳しくみてみることにする。われわれは宇宙からの情報の大部分を宇宙からやってくる電磁波(波長の長い電波から,短いX線まで)を観測することによって得ている。上に述べたように,これらの電磁波のほとんどは原子衝突によって原子や分子が出しているものである。観測した電磁波のスペクトルを解析することによって,それを出している原子や分子の種類や状態,衝突してくる粒子の速度や量がわかる。これらはその原子分子が存在している場所の環境,すなわち温度や密度,場合によってはそこにある磁場や電場を知る重要な(多くの場合,唯一の)手がかりとなる。また,星その他の天体からの光が宇宙の原子分子に吸収されるとそのスペクトルに証拠が残る。これも環境の情報を伝える。すなわち宇宙における原子衝突の役割の第一は,宇宙の環境を診断する手段を提供することである。

 第二に,原子衝突は宇宙に何がどれだけあるかを決める役割をはたす。たとえば,地上20〜30キロメートルの高さにオゾン分子が多量に溜まっているのは,太陽からの紫外光および酸素原子や酸素分子の間の衝突過程の巧みな組み合わせの結果である。そもそも宇宙で最初の原子(水素原子)を作るのにも原子衝突が使われた。ビッグバンの直後にあったものは電子や陽子など何種類かの素粒子だけである。宇宙の温度が冷えてくると原子や分子ができてくるが,そのメカニズムは必ずしも単純ではない。電子と陽子をぶつければ水素原子ができるではないかと思うかもしれないが,これはだめである。二つのものをぶつけて一つのものを作ることはできない。エネルギーの保存則と運動量の保存則を同時に満足させることができないからである。ではどうやって水素原子を作ったらよいのだろうか。水素原子から水素分子を作るときも同じである。なにかからくりが必要であるが,答えは読者の皆さんに考えていただこう。

 ところで宇宙には地上ではほとんど実現不可能な特殊環境が存在する。たとえば,超高温(数千万度)のプラズマとか逆に極低温(絶対温度で10度以下)の分子気体,さらにはきわめて強い磁場(実験室で得られる最強の磁場よりも10万倍も強い)があったりする。これらの極限的な環境の中で原子分子はどのように振る舞うだろうか。その研究から,地上の実験では得られない新しい知見が原子物理学にもたらされることが期待される。これが原子衝突の宇宙における第三の役割であり,原子物理学を専攻している筆者にとっては最も興味あるものである。そこで最後に,そのような研究の一つである「多価イオン原子物理学」について紹介する。

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 たとえば,鉄の原子は原子番号が26で26個の束縛電子をもっている。何らかの方法でそこから24個の電子をはぎとると,24価の鉄イオンが生成される。一般に2価以上のイオンを多価イオンと呼ぶ。24価の鉄イオンは束縛電子を2個もっているのでヘリウムと同じであり,ヘリウム型イオンと呼ばれる。このようなイオンは太陽コロナなど宇宙にある高温プラズマのなかにかなりの程度存在することが知られている。多価イオン中の電子は核からの強いクーロン引力により核に引き付けられそのまわりを速くまわっている。その速さは相対論効果が重要になるほどであり,電子構造に影響が出る。多価イオンを分子のそばにもってくると,その強いクーロン引力で分子から多数の電子を引き抜いてしまう。結果として,分子はばらばらになる。イオンと分子をはげしく衝突させれば分子を壊すことができるが,多価イオンはそっとそばに置いただけでも壊す効果がある。このように多価イオンはそれ自身としても,また他の原子分子との相互作用においても,これまでにみられなかった特異な性質をもち,原子物理学の新たな研究対象となっている。

   宇宙にある多価イオンを実験室で作る装置
 これまで24価の鉄イオンのような多価イオンを得るには,太陽コロナのような超高温のプラズマが必要であり,普通の実験室では困難であった。しかし最近うまい方法が考案され,鉄はおろかウランのヘリウム型イオン(すなわち,90価のウラン・イオン)すら実験室で作れるようになってきた。イオンを作るにはいろいろな方法があるが,高速の電子で叩くのが効率がよい。できたイオンは通常不安定で,まわりから電子をかき集めて中性に戻ろうとする。そこで,できたイオンに次々と電子を衝突させ,イオンが元へ戻らないうちに更に電子をはぎとることにすればよい。その際できたイオンがどこかにいってしまわないように一箇所に閉じ込めておく必要がある。このような条件を満たすように作られたのがEBISと名付けられた電子ビーム型イオン源である。大電流の電子ビームを用いることにより,イオンをその中に閉じ込め次々とやってくる電子との衝突で多価のイオンを作るのである。

 この装置は現在,世界中に数台あるが日本でも最近電気通信大学に完成した。図はその装置の概要を示す。多価イオンを作るのはドリフト管と呼ばれる長さ2センチメートルほどのところで,それ以外は大電流・高電圧を扱うための道具である。イオンを生成する部分はまったく何もないようにしておかなくてはいけないのできわめて高度の真空が必要である。そのほか,この装置にはさまざまな技術的工夫が凝らされており,この種の装置としては現在世界最高のものである。これを使って,宇宙にある多価イオンをいろいろとと作りそれらの性質を調べるだけでなく,極限状態にある多価イオン(超多価イオン)を作って新しい原子物理学を開拓する計画が進んでいる。

(いちかわ・ゆきかず)


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