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実際にしている仕事はどんなことなの? |
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太陽系にある色んな天体に探査機を送って、その生い立ちや歴史を調べる「太陽系探査」の仕事をしています。現在の担当は、世界初の小惑星サンプルリターン計画「はやぶさミッション」です。この計画を一言で言うと、宇宙塵(うちゅうじん)や隕石(いんせき)のふるさとに探査機を送って、星のかけらを地球に持ち帰ることに挑みます。
太陽の周りを巡っている小惑星や彗星のように小さな天体は、月や火星のように大きな天体に比べて、私たちの住む太陽系が生まれたが約46億年前の様子をよくとどめています。そこで、狙った小惑星から地球上の実験室に持ち帰ったサンプルを詳しく調べれば、地球や私たち生命が作られた材料がどんなものだったのかについて、直接手がかりを得られます。
この計画の中での僕の役割は、小惑星表面でサンプルを採取することと、それを地球に持ち帰って分析することです。また、はやぶさに続く小天体探査のアイディアも色んな仲間と一緒に検討中です。
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子供のころはどんな子供だったの?
好きなものとか、夢中になったものは何? |
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東京で生まれ育ったから珍しかったのか、小さい頃から旅先で触れる大自然が好きで、山に海に空に、そして星空にも色んな不思議を見つけては、わくわくしていました。毎晩寝る前には、ギリシャ神話と星座の本を読んでと、親にせがんでいました。また、小学校入学のお祝いに地球儀と子供用顕微鏡をもらい、この世界は自分の目には大きすぎたり小さすぎたりして見えないもので創られていることに気づいて、とても興奮したことを覚えています。
彫刻家の父と美術教育家の母は、ブロック以外のオモチャを私にあまり与えませんでした。その代わり小学校高学年までは、トイレットペーパーの芯や化粧品の空き瓶などを集めた「ガラクタ箱」の中から、小型プラネタリウムや猫の自動えさやり機など、色んな「発明」をすることに熱中してました。
自分で計画を立てて見知らぬ土地へ出かける旅も好きでした。6年生のとき、電気も水道もない伊豆の山小屋に子どもだけで籠もりました。毎日海に潜って貝を採ったり、畑の野菜を収穫したりしていました。中学1年の時は、同級生と3人で東京から京都まで、東海道五十三次を20日間かけて歩きました。高校2年になると、交換留学生として一年間、米国東海岸の高校に通いました。それから小学校から大学まで、水泳、マラソン、剣道、サッカー、エアロビクス、ダイビングと、水陸両方のスポーツにも熱中していましたね。
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どうして宇宙の仕事をしたいと思ったの? |
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実は、宇宙を「仕事」の対象として目指したことはないんです。僕は自分が二本足で歩き始めた頃にはアポロ飛行士が月面を歩いていた世代ですから、天文が好きな子や宇宙飛行士になりたい友達は、周りにもたくさんいました。彼らは大きくなると宇宙より面白いものを別に見つけていったのに、僕にとっては今でも宇宙が一番面白いというだけなんです。
ただし、子供の頃は生物や地学や化学も好きだったのに、天文学や物理学をもっと勉強してみたい、と思うようになったきっかけはあります。小学6年から中学1年にかけて、ボイジャー探査機が木星や土星の近くを飛んで、惑星やその衛星の精密な写真をたくさん送ってきました。その時すでに木星まで行けたのだから、僕が大人になる頃にはもっと遠くの宇宙まで、直接行かれるに違いないと思ったんです。そういう探査機を自分で作ってみたい、あるいは自分自身がその場に行って、誰も知らない宇宙の謎を解いてみたいという気持ちになりました。
大学3年でカリフォルニア大学の天文学科に留学したとき、惑星探査と観測的宇宙論のどちらを大学院で研究するか、とても迷いました。結局、望遠鏡で遠くを覗いて理論を考えるよりも、自分で作った装置を現地に飛ばして「未知の宇宙に直接触れる」惑星探査の方が自分の性に合っている、と思って今の道を選びました。
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これから宇宙開発、宇宙研究はどうなるの?
どうなればいいと思いますか? |
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僕が考えている「今世紀前半の宇宙科学の三大目標」は、(1)生命、地球、太陽系の起源と進化のシナリオを完成させること、(2)太陽系以外の惑星系に地球型惑星を見つけること、そして(3)地球以外の天体に生命の痕跡を見つけることです。これらのどれか一つでも実現すれば、その翌日から私たちの世界観、生命観に革命が起こるでしょう。そのためには、宇宙望遠鏡を使った天文学と太陽系探査の間で、これまで以上の連携が必要です。
太陽系探査では、はやぶさによって確立する「サンプルリターン」技術が今後、世界中の探査計画の大黒柱の一本になると思います。はやぶさに続く小天体探査でも実施して、「サンプルリターンといえば日本」と世界中から信頼されるようにしたいです。そうなれば小惑星以外にも月、火星、彗星など、いろんな天体のサンプルも地球に運ばれてくるようになるでしょう。もう一つの探査計画としては、太陽の光を帆に受けて推進するソーラーセールに挑戦したいです。平和目的に限定した宇宙利用や非核三原則の政策を掲げる日本が、原子力を使わないで今から10年以内に木星やその外側へ達するには、これが唯一の技術だと思います。
一方、日本の宇宙開発が近い将来決断を迫られる課題としては、(1)再使用型ロケットの開発、(2)人間とロボットが協調した太陽系探査、(3)誰もがいつでも地球低軌道に行かれるシステムの創造、の三つが挙げられます。特に日本独自の有人宇宙飛行を行うには、高いリスクとコストを国民に納得してもらう努力が欠かせません。また、今も増え続けるスペースデブリ問題の解決、地球に衝突する可能性のある小天体の監視、宇宙天気予報の発展など、「宇宙の人災と天災」への確実な対策を進めるのも、今の子供たちに安全な宇宙空間を引き継ぐために、僕の世代に課せられた宿題だと思っています。
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地球の子供たちにメッセージをどうぞ! |
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私たちが生きている21世紀初めの地球には、60億人以上の人々が暮らし、その多くが環境破壊、人口爆発、貧困・飢餓、戦争などの影響を受けています。残念ながら、星空を眺めて宇宙のかなたを想像する余裕さえ、失いかけている子供たちもたくさんいることでしょう。
だからこそ、今後人類は宇宙にその活動を広げていくのか?それとも未来永劫地球に留まり続けるべきなのか?そんな人類史の大きな進路を選択をする時代が、「21世紀」なのだと思います。僕はこの二つの問いかけに矛盾しない答えがあるはずだと思っていますが、この時代に活躍する今の子供たちが自分なりの答えを見つけるためには、まずは一人ひとりが科学的なものの見方と技術的な創意工夫を身につけなくてはいけません。
そのためにも、いつでも「なんでだろう?」と考える習慣を身につけましょう。今までの知識では分からないことを自分の頭で考え、世の中にないものは自分の手で新しく作るということは、科学者・技術者という仕事が生まれるはるか昔から、人類の祖先が営んできた生き方です。自然や社会を観察して不思議に思う気持ちは、人間なら本来誰もが抱いているものなのです。その上で宇宙に人類の未来を賭ける決心をしたら、僕達と一緒に宇宙を目指しましょう。そして日本ではペンシルロケット実験から半世紀続いてきた「宇宙科学・開発のバトンリレー」を、僕たちから引き継いで、さらに次の世代に手渡して頂きたいと思います。 |