2 千葉のペンシル
●船舶水槽
国分寺の後は,千葉の生研にあった長さ50mの船舶用実験水槽を改造したピットで,長さ300mmのもの(ペンシル300),2段式のペンシル,無尾翼のペンシルなどを繰り返し水平発射して経験を積んだ。
地上実験にて水平で10〜20m飛ばしたのが1955年4月の実験で,私は参加していませんでしたが,その年の6月ぐらいから生産技術研究所で船舶用の実験水槽を使って2段式のペンシルまで実験しています。段を重ねるのをどういうメカニズムでやろうかという話については,当時エレクトロニクスは衝撃的な加速度があるところでは信頼性はほとんどなかったので,メカニカルな方法でやりました。(秋葉)
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千葉の実験装置のそばで作業をする糸川英夫 |
千葉の生研で船舶水槽を使って2段ペンシルの実験をしたときのことです。私は,そのとき死にかけたのです。2段ペンシルですから,メインロケットとブースターロケットがあります。何しろ小さなロケットで2段ロケットを作ったのですから,ブースターが着火してから10分の何秒かの後にメインが着火するように設計して,そのための電源用電池も特別なものを作りました。
その配線をした人が,間違えたんですね。こっちはそんなことは知りませんので,メインだけランチャに入れて後ろのブースターの方を持って押し込もうとしたら,ブースターから順番に点火しなければならないのに,メインロケットが先に点火してしまったのです。
もし,メインロケットを持っていたら,その尾翼で手の指全部をやられていたでしょう。ブースター部分に持ち替えたからよかったのですが,メインロケットが点火したものですから,持っていた両方の手の皮膚に燃料の燃焼粒が全部食い込んでしまいました。翌日,荻窪病院に行って,全部メスで取ってもらいました。完全に治癒するまで1ヵ月かかったように記憶しています。(垣見)
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2段式ペンシルをランチャにセット |
そういった危なっかしい2段点火方式はやめまして,導火線の長さを適当にとって2段目に火を付ける時間を作るという方式を,しばらくの間使いました。そのような技術的なことを少しずつ学んだ意味も,ペンシルロケットにはあるのですね。小さいから何もやらなかったとか,ただのデモンストレーションだとか,そういうのは的を射ていないですね。それなりの勉強はできたわけです。(秋葉)
ペンシルロケットの評価というものはいろいろな側面がありますけど,何といっても開発体制を作り上げたという意義が一番大きかったでしょう。もう一つは,ペンシルロケットの始まりは宇宙観測でも何でもなかったことです。航空研究が中断して再開した時期,今度は「宇宙も入れた形で考えていこう」ということを糸川先生が言いだし,ロケットに着目されて研究班を作ったのです。もともとエンジニアリングという立場でプロジェクトが立ち上がってきた,という話なのです。(秋葉)
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