No.196
1997.7

<追悼>   ISASニュース 1997.7 No.196

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伊藤富造さんを偲ぶ

       平尾邦雄

 伊藤さん,未だ70才と日本人の平均年齢にもならないのに何故こんなに早くお釋迦様の下へ旅立ったのですか。20年間駒場で隣り合わせで暮らしていた君が元気にサッカー等に興じていた姿を見ていたし,実験室や「おおぞら」等の試験や打上げに時を忘れたように精魂こめて勤められていた事を思いだすと何故こんなに早く逝かれたのかと今でも信じられません。貴方が私より半年ほど早く宇宙航空研究所に赴任されて,上層大気部門の基礎を整えて下さったのを今でも良く覚えています。それからは毎日の様にお互いに色々な事を相談しながら研究室の運営等に力を尽くして呉れました。特に大学院生や卒研生に対しては時に私が他の事で至らなかった事も在りましたが,君の親切且つ綿密な指導をして頂いた事は忘れる事が出来ません。貴方をお送りした日彼等の何人か貴方の車をじっと見送って居ました。彼等も寂しかったのでしょう。後に君が成層圏大気の気球を使っての研究に進まれた時は,当時宇宙研で大気の研究が余り試されていなかったので心から応援したいと思ったものです。そうしてハレー彗星探査の時は探査機「すいせい」を完璧に仕上げて宇宙に送りだして呉れました。
 又私が辞めてから後3年間君はこのISASニュースの編集委員長を引き受けて呉れました。君の温厚な人柄もあってニュースも益々充実して現在の松尾委員長に引き継がれて立派に成長している事を本当に嬉しく思っています。本当に有難う御座いました。色々な事で君とお酒を飲む事も多く在りました。特に私が宇宙研を辞めてからは年に1〜2度ISASニュースや宇宙研教授会の忘年会等でお会いするのが大変楽しみでした。最近は夜の会合には出ない事にしているとか言われて居た様ですが,宇宙科学振興会の集まりで年に2度程お会いできたのにこれからもうお会い出来ないのですね。伊藤さん,そちらには大林さんが待っているでしょう。彼もお酒が好きでした。どうか二人で楽しく飲みながら下界にいる私達の噂話でもして下さい。

(ひらお・くにお)

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富造先生を惜しむ

       的川泰宣

 伊藤富造先生の訃報に接し,残念至極でなりません。まだいろいろと教えて頂かなくてはならないことがいっぱいあったのに。先生と最も親しくお付き合いさせていただいたのは,何といっても内之浦の旅館「福之家」でした。富造先生をはじめ,平尾,小田,大林先生等と一緒に過ごしたあの愉快でたまらない日々は,私の記憶から生涯消えることはないでしょう。それはまだロケットも衛星も幼い,草創期の匂いが立ちこめている時期でした。焼酎をさしつさされつする合間に,問わず語りに数えきれないほどたくさんのことを教わりました。
 お詫びしなければならないことがあります。一度だけ富造先生とマージャンをやったことがあり,先生が「オレがヤクマンを振り込んだら,ビールを1ダースおごってやる」と豪語されました。確か一緒にやっていたのは高野雅弘君と寺田守男君(現NASDA)だったと記憶しています。私がちょうど国士無双のイーシャンテンになった所で,富造先生がトイレに行かれました。ソレッてわけで3人で協力して私のテをテンパイにし,ちょうど富造先生が振り込まれるようにパイを積み替えました。私がロンした後,さすがに気が引けて3人で「いいです,いいです」と断った(と思う)にも拘らず,ビールをたっぷりご馳走になりました。ついに真相を打ち明けるチャンスを失ってしまいました。どうもすみませんでした。
 ご専門のことはよく分かりません。常に宇宙研の将来を心配され,ISASニュースの編集長として暖かく私たちを引っ張って下さいました。私の胸に貯えられた富造先生のお言葉を反芻しながら,生きていきたいと思います。どうか安らかにお休みください。
 さようなら。

(まとがわ・やすのり)

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