No.196
1997.7

<研究紹介>   ISASニュース 1997.7 No.196

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様々な重力環境における材料プロセス実験

   宇宙科学研究所  稲富裕光


【はじめに】

 平衡状態の熱力学では通常,地上重力程度ではそのポテンシャルエネルギーの寄与は無視して議論されます。しかし,材料プロセスのような熱力学的現象は,多くの場合有限速さの巨視的状態変化であり,非平衡状態の性質を取り扱うことになります。特に流体(液体,気体など)を環境相としたプロセスの場合,熱や物質の輸送過程が重力の影響を受け,その履歴が得られる物質の性質を決定する一因となります。従って,温度,圧力等の熱力学的因子に加えて重力加速度が系を記述するのに必要なパラメータであるとの観点から現象を捉え直す必要があります。ここでは,様々な重力加速度レベルの環境を利用した材料プロセス実験の中でも流体を介した凝固・結晶成長に関する実験のトピックスと今後について簡単に触れることにします。

【材料プロセス実験】

 対流に注目して高品質の物質を作るという立場からは,対象となる物質系に最適な条件を見い出し実施することが主目的であり,必ずしも無対流が必須の条件ではありません。例えば,蛋白質単結晶の育成では一般には無対流が望ましいとされていますが,半導体結晶の帯溶融法による結晶成長では安定した層流の存在が均一な組成分布をもたらす例が報告されています。従って,地上での流体を介した材料プロセスの最適化を図るには,流体中の熱・物質輸送過程の巨視的・微視的挙動の理解とそれらの制御が必要になります。
 流体を介した材料プロセスでは,得られる物質中の添加不純物や組成の分布,欠陥の発生に密度差対流やマランゴニ対流の存在が大きな影響を与えます。マランゴニ対流は濃度・温度分布に起因する液体の表面張力の不均一分布を駆動力とした対流であり,樟脳船や“酒の涙”と呼ばれる現象はその身近な例です。プロセス進行中に発生する流体中の温度や濃度の不均一分布は地上では対流の駆動力ともなり,プロセスの素過程の把握を困難にしています。流れの制御には,電磁力等の制御可能な力の付加,または様々な重力加速度環境の利用,の2通りが主として考えられます。前者の場合,高い導電性を有する流体が環境相となる金属の凝固や半導体の融液成長において,小さい空間ではありますが強静磁場による対流の抑制ないし振動磁場による流れの発生が既に試みられています。後者の例である微小重力環境を利用した材料実験は,他の力を必要とせずにいかにして無対流に近い状態を長時間にわたって実現するかという点を強く志向しています。
 また,地上でのプロセスにおいて試料が長時間浮遊しない限り大抵の場合は原料とは異なる成分を有する容器を必要とし,それはプロセスが進行している相にとっては“異物”です。その結果,プロセスの最中に容器からの不純物による汚染や容器壁からの不均一核生成が起こる為,液体内の対流制御よりもむしろ液体・容器間の非接触的形状維持に主眼を置いた方法論として,無容器プロセスが近年注目されています。無容器プロセスは,原料や生成物自らを始終支持具とする方法と浮遊力を与えて少なくともプロセス開始直前まで均一状態の相を維持する方法が考えられています。前者の例として溶融帯法が挙げられ,この方法は原料棒の一部を溶融しその部分を一方向に動かしていくもので,溶融帯の形状維持は融液の表面張力に頼っています。しかし,液体の両端に原料ないし生成物があるために大過冷却は極めて起こりにくい点が特徴です。一方,後者の浮遊無容器プロセスは,均一核生成,自由度の大きい雰囲気制御,大過冷却度の達成といった従来のプロセスを一新する概念を導入することになります。よって,微小重力環境を利用すれば揺らぎの少ない場での浮遊無容器プロセスが可能となり,均一相からの非平衡相の出現とその前駆現象,相選択則,準安定相の存在等に関する多くの知見が得られることが期待されています。
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 従って,様々な重力環境における材料プロセス実験の目的は主に次の3点に集約できると思われます。
 (1)物性値の取得
 (2)観察される物理現象を記述する基本式の検証と修正
 (3)新たな材料プロセス技術の開発と応用
例えば(1)は相中の熱伝導率,物質の拡散係数,電気伝導度,粘性率など,(2)は相転移・分離現象,臨界点近くの流体挙動,熱・物質輸送過程,核生成など,(3)は無容器プロセス,能動的な対流の制御,などが挙げられます。

【いかに1G以外の重力環境を得るか?】

 地上では1G(1G = 9.8m/s2)以外のオーダーの重力加速度を得るのは一般には困難です。例えば地上近傍で1Gよりも小さい重力加速度を得る方法として,落下塔(10-4G,持続時間10秒程度),航空機(10-2G,20秒程度),小型ロケット(10-4G,6分程度)といった,実験装置の放物線弾道飛行や自由落下を利用することになります。宇宙空間ではより低いGレベルでのより長期間の連続実験が可能です。微小重力加速度の変動幅やその大きさを最小にする為には,無人ミッションである回収型カプセル(10-5G,数週間)やフリーフライヤー(10-5G,数カ月)が,リソースの大きさやテレサイエンスの高い自由度を求めるならスペースシャトル(10-4G,数日)や宇宙ステーション(10-4G,数カ月〜数年?)といった有人ミッションがより望ましいとされています。一方,10-1オーダーの低重力加速度での実験は皆無です。
 高重力加速度(1Gよりも大きい値を意味する)の場合,ロケット打上げや航空機の急上昇時などが短時間ではあるが実現可能でしょう。疑似的ではありますが,地上で容易に高重力加速度を得る手段として遠心加速機の利用が挙げられます。遠心加速機上での流体の運動では,重力加速度に加えてコリオリ力と遠心力の双方を考慮する必要があります。遠心力は重力加速度と等価として扱えますが,コリオリ力は回転軸と半径方向の流れそれぞれに垂直に働く力です。すなわち,遠心加速機上では単純に重力加速度を増加することにはならず,コリオリ力の寄与の大小が装置の特性と試料の位置に強く依存します。また,半径方向に沿って遠心力勾配が存在します。現在,材料プロセス実験用に遠心加速機がドイツを筆頭に世界中で数多く建造され既に利用されています。その一例として,宇宙研内に設置された遠心加速機を図1に示します。


図1 宇宙研内の遠心加速機(最大遠心力:20G)

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【その場観察】

 微小重力環境利用において限られたリソースと実験回数を有効に利用するという観点から,試料中の状態の可視化技術,いわゆる“その場観察”が日本独特の方法論として発展してきました。JEMの一次選定テーマの中で“その場観察”をキーワードとしたテーマが数多くあることからもある程度推察できるでしょう。従来の材料実験の殆どは温度,圧力等のリアルタイム計測と試料回収後の組成分析の組み合わせの“その後観察”でしたが,“その場観察”実験の特徴的データは画像です。健康診断で例えるならば,前者は脳波測定,後者はCTスキャンやMRI(核磁気共鳴映像法)による断層像診断に相当します。大事な体を不幸にも手術する(宇宙で得られた材料を切断する)前に,いかにより多くの情報を得るかという点で,後者は優れた方法論と言えましょう。その場観察法では,紫外線〜近赤外線,またX線の利用が考えられます。結晶や流体が観察光に対し透過性を持てば,干渉縞計測により成長結晶表面の起伏,温度・濃度分布や,そしてそれらの応用として従来は不可能であった拡散係数のリアルタイム計測をも可能にします。

図2 MEX搭載用顕微干渉計  

 宇宙環境利用という特殊なニーズが新たな技術的ブレークスルーを生み出す例として,SFUのMEX(微小重力下の凝固・結晶成長実験)搭載用に,顕微鏡レベルの空間分解能を持つ共通光路型2波長顕微干渉計が世界で初めて開発されたことが挙げられるでしょう(図2)。一概に干渉計といっても,宇宙実験用となるとその設計は容易ではありません。可視光を用いた干渉計の分解能は光路長でサブミクロンオーダーであり,干渉計自身の部品の僅かな歪みやずれをも検出してしまうほどです。しかも,打上げ時の様々な環境(振動,衝撃等),また宇宙環境(温度変化,高真空)にもその特性を著しく損われないことが必須条件です。共通光路型干渉計の原理自体は1960年代に Dyson によって提唱されたもので,Mach-Zehnder 型干渉計に代表される2光束型干渉計とは異なり試料近傍を除いて参照光と試料光が共通の光路上にあることから,耐振動性が著しく良いことが特徴として挙げられます。しかしその光学設計が困難であったために,顕微鏡への応用例が今までありませんでした。SFUとは結果的に実施スケジュールが前後してしまったものの,TR-1A小型ロケット実験に搭載されたその場観察装置は本干渉計をベースにしたものであり,また地下無重力実験センター(JAMIC)の落下実験でも用いられました。
 現在,筆者らは微小重力材料実験の推進と並行して,新たな光学系を試作し基礎データの蓄積を行っています。その1つはより光学設計が容易で耐環境性に優れかつ操作性の良い2光束型顕微干渉計であり,その用途はMEXとほぼ同様です。もう1つは近赤外線顕微干渉計であり,その原理は半導体が近赤外線に対して透過性を有する性質に基づいています。この装置により半導体の結晶成長時におけるミクロンオーダーの固液界面現象を“その場”で捉え(図3),界面カイネティクスや拡散現象の理解に対しより多くの知見を得ることを目的としています。これらの新しい光学系は,微小重力実験のみならず遠心加速機上での熱・物質輸送過程の可視化ツールとして期待されています。

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図3 近赤外線顕微干渉計により得られた画像
( GaAs1-xPx/GaP 溶液成長中の結晶表面の明視野像)

【おわりに】

 以上,方法論を中心として材料プロセス実験について述べてきました。日本の微小重力環境における材料プロセス実験は,是非はともかく新素材ブームにより加速されてきた点は否めません。しかし,現在は地上におけるプロセスの素過程の理解を目指したものとなり,ようやく地に足がついて地道な研究が積み重ねられ始めています。“圧力学”や“温度学”が無いのと同様,“可変重力学”なるものは未だ存在しませんが,超高圧力や極低温の世界が我々に様々な物理現象を垣間見させてくれているように,様々な重力環境の利用は多くの研究者にとって魅力的なキーワードであることには違いありません。我々は無重力により近い状態(マイクロ・グラビティでなくナノ・グラビティ)や1000G(キロ・グラビティ)をどうやって作り出すのか?もし可能であればその空間の大きさや持続時間にどのような制約が課せられるのか?などという問いが材料プロセスの立場から近い将来議論されるかも知れません。

(いなとみ・ゆうこう)


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