No.279
2004.6

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2004.6 No.279 


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宇宙開発における標準化と情報化
〜 Faster Better Cheaperを実現する方法 〜 

宇宙情報・エネルギー工学研究系 山 田 隆 弘  


Faster Better Cheaperとは?

 Faster Better Cheaper(以下ではFBCと略す),すなわち「より早く,より良く,より安く」は,NASAのゴールディン前長官が提唱したスローガンです。これが提唱された当時から
「この三つを同時に満たすなんて不可能だ」
とか
「自己矛盾したスローガンだ」
と悪評を買ってきました。
FBCのおかげでNASAは失敗が増えた」
とさえ言われました。確かに,FBCの三つを同時に満たすのは容易ではありませんし,FBCを適用したために失敗することもあるでしょう。

 しかし,私はFBCを実現する方法はあると思っています。
「うんと早く,うんと良く,うんと安く」
は困難かもしれませんが,
「ちょっと早く,ちょっと良く,ちょっと安く」
程度ならば,うまく工夫すれば実現できます。私は,宇宙開発でFBCを実現するための方法として,標準化と情報化の研究を行っていますが,このそれぞれについて以下で説明します。


標準化

 宇宙開発でFBCを実現する第一の方法が,標準化です。これは,いろいろな衛星やいろいろな目的で使える標準的なものを開発し,それを利用しましょうということです。これが実現すれば,衛星ごと,あるいは目的ごとに別々のものを開発する必要がなくなるので,初めに開発する手間は大きいかもしれませんが,複数の衛星を平均して考えれば「より早く」と「より安く」は実現できます。「より良く」についても,初期の製品のまずい点を後の製品で改良すれば,実現できます。

 というように,作文を書くのは簡単ですが,実際にはそれほど簡単ではありません。なぜかというと,やはり衛星や目的ごとに事情の違いがあり,それを一つのもので吸収するには限度があるからです。それを吸収するためには,一般的な枠組みを設定し,事情の違いがその枠組みの中にうまく収まるようにする必要があります。広い範囲に適用できる枠組みは必然的に抽象的になりますが,抽象的かつ実用的な枠組みの構築は,けっこう大変です。私は何年も標準化にかかわってきましたが,私の経験から言えば,良い枠組みを作るには良いアイディアを出すことが必要です。

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標準化の例

 それでは,標準化の例として,宇宙科学研究本部で衛星の試験や運用のために地上で使用しているシステムを紹介します。

 宇宙研の地上システムでは,次のような二つの標準的な道具を提供しています。一つ目は,地上の装置間でデータをやりとりするための標準方式およびそれを実行する標準ソフトウェアで,宇宙データ転送プロトコル(Space Data Transfer ProtocolSDTP)といいます。二つ目は,衛星が地上と送受信するデータの形式を定義したデータベースで,衛星情報ベース(Spacecraft Information BaseSIB)といいます。SDTPは,宇宙研のすべての衛星に対して,すべての地上の処理装置で同じものが使用できます。SIBは,衛星ごとに少しずつ異なりますが,一つの衛星に対してはすべての処理装置で同じものが使用できます。

 衛星から送られてくるデータを処理するための処理装置を開発する場合,データ処理プログラムとしては固有のものが新たに必要であったとしても,SDTPSIBについては,標準品として提供されているものを取り込んでそのまま利用できます(図1)。このようにすれば,その装置固有のプログラムを開発するだけで済みます。

 この例は地上で使用するシステムですが,衛星の中でも同じような標準化が可能です。私は,衛星に搭載される機器同士で情報をやりとりするための標準方式の設計を,アメリカの研究者と共同で行っています。

図1 宇宙研の衛星運用システムにおける標準化
   (濃い網掛け部分が標準品)      

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情報化

 今まで標準化についてお話ししてきましたが,標準化によるFBCには限界があります。それは,先ほど述べたように,衛星にはそれぞれ違いがあるからです。特に科学衛星の場合,新しい観測をするためには新しい衛星が必要ですから,標準的なものばかりを使うわけにはいきません。そのような場合は,FBCは実現できないのでしょうか

 万事休すと思いきや,うまい具合に,違う衛星を開発する場合でもFBCを実現する方法があるのです。それがこの記事の第二のテーマ,情報化です。具体的に言うと,衛星は異なるものだということを前提として,「この衛星の中身はこうなっています」という情報をデータとして管理することです。別の言い方をすると,衛星の仕様書やマニュアルをデータベース化することです。

 「なんだ,そんなことは簡単じゃないか」と思われるでしょうが,そうは問屋が卸しません。ここで目標としているデータベースは,図2に示すように,あらゆる衛星のデータを格納でき,あらゆるプログラムから利用できるようなものです。特定の衛星のデータだけを格納する,あるいは特定のプログラムのみから利用するというデータベースならすぐにできますが,図2のようなデータベースはすぐにはできません。なぜならば,「衛星に関する情報をどのようにデータとして表現するか」ということを標準化しなければならないからです。標準化がまた出てきましたが,情報化を行う場合にも標準化が必須なのです。

図2 衛星にもプログラムにも依存しないデータベース

 「衛星に関する情報をデータとして表現する標準的な方法」については後回しにして,このようなデータベースが完成すると,どのようにFBCに貢献するのかを先に述べておきます。次のようにいろいろな効能があります。

(1) 今まで文書ベースで行っていた作業が電子化できる。
(2) 衛星ごとにデータベースを設計する必要がない。
(3) データベースに格納されている衛星の中身に関する情報を利用することによって,どのような衛星にも適用できるプログラムを開発できる。

 上の効能のうち,(3)が最も重要です。現在のSIBは,衛星の中身に関する情報は格納できません。これは,上で述べた「衛星に関する情報をデータとして表現する標準的な方法」がいまだに確立されていないからです。従って,現状では図1のようにSIBを使ったとしても,データ処理プログラムは,個々の衛星に関する知識に基づいて衛星ごとに作らないといけません。しかし,ここで述べているデータベースを使えば,個々の衛星に関する情報をデータとして取り込めるので,プログラムが自分自身を未知の衛星に対してカスタマイズすることも可能になるのです。ただし,ここにも標準化の限界があり,どんな衛星に対しても100%の情報を標準方式でデータ化するのは難しいかもしれません。しかし,仮に80%しか実現できないとしても,FBCには貢献できるはずです。

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情報化とは,すなわちモデル化

 さて,先ほど後回しにした「衛星に関する情報をデータとして表現する標準的な方法」について説明します。これは,分かりやすく言うと,衛星に関する情報を表すためのモデルを作るということです。簡単な例を図3に示します。これは搭載機器の例ですが,このような表を標準テンプレートとしてあらゆる衛星のあらゆる搭載機器に標準的に適用するわけです。図3の右側の空欄に,搭載機器ごとの値を入れるのです。

図3 搭載機器に関するモデルの例

 しかしながら,実際のモデルとしては,このような単純な表だけでは不十分です。衛星の中で搭載機器がどのように接続されているのか(機構的に,あるいは電気的に)というトポロジー情報,搭載機器の内部状態が時間的にどのように変化し得るのか(地上からの指令に対して,あるいは搭載機器内での事象の発生に対して)という時間遷移情報等々,さまざまな情報を表すことのできる複雑なモデルが必要です。しかし,複雑なモデルの説明を限られた誌面の中で行うのは困難ですので,ここではこの程度の説明でご容赦ください。

 さらに将来は,今までとまったく異なる構成の衛星も出現するでしょうから,そのような場合にモデルをゼロから作り直さなくてもいいようにするために,モデルを定義するためのモデルも作っておけば鬼に金棒です。モデルを定義するためのモデルは,メタモデルといいます。私は宇宙用のモデルとメタモデルの双方を構築するための研究をアメリカとヨーロッパの研究者と共同で行っています。


FBCは本当に可能?

 標準化と情報化によってFBCを実現する方法を説明してきました。後者の情報化に関する研究は宇宙分野では2年前に始まったばかりであり,これが実用化されるのは数年後になると思います。実用化されれば,多少はFBCに貢献できると思います。今はまだ研究の初期ですので,先に述べたアイディアが重要な段階です。私はこれからもアイディアを重視した研究を続けたいと思いますので,ご支援をよろしくお願いいたします。

(やまだ・たかひろ) 


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