No.264
2003.3

ISASニュース 2003.3 No.264

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宇宙一族も「変わらなくちゃ」

小 林 康 徳  

 顧みれば,私達は気の遠くなるような長い年月を自然界と向かい合い,思索を繰り返し,今日の姿に辿り着いた。その過程で蓄積された知識と知恵が他の生物種より多少とも上回ったとすれば,それは数知れない突発的な異変現象が,たまたま私達に幸いした結果に過ぎない,と無神論者の私は思う。そして,このように蓄積し継承された知識と知恵(知的財産)の深浅に差はあれ,昔の人はみな等しく自然と調和して生き延びてきた自然科学者であった。しかし,この知的財産の蓄積を図ることは真理を極めようと努める人間活動の重要な一面ではあるが全部ではないことも事実である。宇宙空間にまで手を延ばすようになった私達の活動が必ずしも合理的に運ばれていないことはその証左であろう。宇宙一族とでも呼べるような特殊な集団が出来上がった。「知恵出でて大偽有り」という2500年前の老子の嘆きは今も変わらない。

 当然のことながら,現代の「科学技術」社会では知的財産に高い価値が認められ,宇宙開発活動の目標の一つにも掲げられている。そして,当研究所は宇宙科学の分野でその貢献が顕著であるとの賞賛を受けてきたが,自他ともに「理学と工学の絶妙の協調関係が特徴的,云々」の解釈が常套化されてきた。このような当研究所の研究環境は新機関に移っても維持できるのか,あるいはその必然性はあるのか。所内では,輸送系の一部移動を除けば従来とほとんど変わらない,と楽観視している人が多いようだが,本当にそうか。特に気掛かりなことは,理学ミッション支援以外の宇宙工学者独自の研究が大幅に制限あるいは縮小されることはないか,という心配である。工学とは本来人間の数で勝負する部分があると私は思っているが,新機関ではその自由度があまり期待できそうにない。われわれが新機関で「教育と学術」を専任することを選んだ代償かもしれない。ともかく工学者は窮屈である。

 もっと遡れば,宇宙開発のあり方そのものが今問われているような気がする。国民の大多数はわが国の宇宙開発の実体をほとんど知らないし,関心も持っていないことを宇宙一族はまず認識する必要がある。街に出れば,宇宙三機関の名前をちゃんと言える人なぞ百人に一人もいないのではないか。それでも「宇宙」という言葉に惹かれる人が多いのは,TVや携帯のためではなく,それが彼らの実生活と直接的な利害関係をもたらさないからであろう。しかし,ブラックホールや宇宙の謎解きだけで宇宙開発を推進できるほど国民は寛容ではなくなっていることも事実ではないか。これからは,宇宙開発から何がしかの具体的なリターンを約束しなければ国民は納得しなくなるのではないか。それが知的財産であればそれ以上ないであろうが,国民が期待するのはより実利的で広く共有できる何かであろう。すなわち,国民と共に歩む宇宙開発の手法を考えなければ宇宙の産業化はおろか,一部を除いて宇宙開発そのものが衰亡していく危険性さえはらんでいるように思う。私達は限られた国家予算のパイの取り合いを離れて,国民を巻き込んだ計画を真面目に考えるときである。工学者の知恵の出しどころであり,国民に対する義務でもあろう。

 過去の成功体験は容易にルーチン化し時を経ていつのまにか自縛する既成概念に変わる,という警告は宇宙開発の分野に限らず多くの人間活動に当てはまる。当研究所にももちろん当てはまる。世界の宇宙開発競争で遅れをとるわが国が本気でこれに参加する積りなら,大胆な政策もさることながら,何よりもまず宇宙開発に携わる「宇宙一族」一人ひとりが自己の意識改革を果たすことであろう。当研究所の現役諸兄は「初心」で新しい職場に移られるよう,そして真の宇宙科学研究所の発展的解消につながるご活躍をされるよう祈念している。

(こばやし・やすのり) 


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