No.263
2003.2

ISASニュース 2003.2 No.263

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宇宙研での36年を振り返って

廣 澤 春 任  

 宇宙機関統合を半年後に控え,研究所の皆様が専らこれからのことを考えておられる時に,こうして過去を振り返るのはたいへん気が引けるのですが,本稿ではそれを許して頂けると思います。36年に及ぶ本研究所での勤めが終わりに近づいた今,長い年月の出来事が走馬燈のように思い返されます。幾つか思い出すことを書き綴ってみます。

 衛星「はるか」ではプロジェクトの責任者を務めました。「はるか」は,開発段階で,工学実験衛星という位置づけと,電波天文観測のための衛星という国際的にも担った期待と,さらに本当はM-Vロケット初号機打ち上げ実験に積む(簡単であってほしい)衛星である,という三つの性格を持っていました。私自身,M-Vロケットの開発にも関わっていましたので,上の三重の性格のもとで,三重の立場に立つ必要がありました。「はるか」が成功を収めたのは,衛星チーム,M-Vチームの大勢の方々の言語に絶する努力の結果で,私が何とか役目を果たすことができましたのも全くこのような大勢の皆様の御陰です。

 宇宙研の大型地上設備についても,沢山の仕事をさせて頂きました。臼田64mアンテナ局とKSC20mアンテナ局の建設では林 友直先生の先導のもとで働きましたが,それから後の新精測レーダとKSC34mアンテナ局の建設,臼田64m局のX帯アップリンク機能付加などでは,立場の巡り合わせから,私が先導役を務めました。KSC18mアンテナの撤去もさせていただきました。宇宙研のこれまでの衛星追跡設備の開発,建設の歴史は科学衛星の発展と共にあります。科学衛星と地上系の間のこのような関係は今後も変わらないはずです。新機関になって施設管理の仕組みが多少変わっても,地上系に関する研究・開発を科学衛星と一体のものとして積極的に進めていっていただきたいと思います。

 時代は遡りますが,三陸大気球観測所の建設にも深く関わりました。1970年前後のことです。三陸の大気球は西村 純先生のリーダーシップのもとに,大きく発展しました。三陸初期の頃の気球実験は,私がまだ若かったこともあって,忘れがたい思い出です。共同利用研究所というものの意味を理解したのも大気球観測実験を通してであったように思います。三陸町や地元の方々とのお付き合いは,建設前の基地調査の頃も含めると,35年近くにわたります。宇宙研のこれまでの多くの活動は,施設がある地域からの支援の上に成り立っています。新機関において三陸の所属は変わりませんが,所属が変わる内之浦も臼田も宇宙科学が今後も施設の主たる使用者であることに変わりはありません。いずれの場所においても,土地の方々との関係を大切にしていただきたいと思います。

 上にお話したような宇宙研の本務の仕事とともに,ほかに,マイクロ波を使ったリモートセンシングに関する研究をしてきました。1970年代中頃のことですが,東大の田無の農場で場所をお借りして,土壌からのマイクロ波の散乱を測る,という実験をしたことがあります。その実験で,後方散乱係数の水分依存性の感度が,送受偏波が平行の場合よりも直交している場合のほうが高い,ということを発見して,それ以降,専ら偏波の伝える情報という観点からリモートセンシングの研究を進めることとなりました。数多くの大学院学生諸君がこの分野の研究に取り組んでくれました。今から見ると草創期であり,原理的なことで楽しめる時期でした。

 思い出話は打ち切りといたします。長年にわたり,研究所の皆様には,たいへんお世話になりました。ここに深く感謝を申し上げます。新機関の中で宇宙科学がより大きく発展していくことを心からご期待申し上げます。

(ひろさわ・はるとう) 


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