赤外線天文学は極低温冷却技術と不可分に結びついて発展してきた。赤外線観測において冷却が必要なのには二つの大きな理由がある。第一は通常赤外線検出器として使われる半導体の性質によるものである。赤外線領域で使われる半導体中の電子のエネルギーギャップは常温での熱運動のエネルギーより小さいため,冷却しないと雑音ばかりで感度が無くなってしまうのである。
第二は宇宙からの赤外線観測では観測装置全体を冷却することによって感度を大幅に向上させることができることである。地上の通常の物体は常温で波長10ミクロンを中心とした大量の赤外線を熱放射しており,地上観測ではこれが最大の雑音源となっている。しかし,宇宙では望遠鏡や観測装置を冷却すれば,まわりに熱放射源はなく,雑音が無視できる状態を実現できる。つまり,宇宙からの赤外線観測では,大気による吸収で邪魔をされ地上から観測できない波長で観測できることだけでなく,このように感度が飛躍的に高くなるというメリットも存在するわけである。
地上の実験室では液体ヘリウムや液体窒素などの冷媒を用いたデュアーで容易に冷却ができるが,宇宙における冷却はそれほど簡単ではない。液体は無重量状態では表面張力によってタンク内壁に張り付いてしまい,冷媒が気化した気体だけを取り出すことが難しい。このため,超流動液体ヘリウムと熱機械効果を利用するポーラスプラグ(セラミック等の細かい粒を固めたプラグ)が通常用いられる。超流動液体ヘリウムがビーカーの縁をはい上がるのと基本的には同じ原理である。
また,打ち上げ時に持つことのできる限られた量の冷媒を長い期間保持するためには,外部から極低温部に流入する熱量をできるだけ小さくすることが求められる。GFRP (ガラス繊維強化プラスチック)等の熱伝導率が低くかつ強度がある複合材料によって極低温部を吊る構造や,MLI (放射による熱流入を断つ多層膜)等による放射断熱など,さまざまな工夫が必要とされる。
このように宇宙での冷却は,さまざまな技術が総合されてはじめて実現できるものであり,そのためか,宇宙からの赤外線天文観測は他波長に比しやや遅れて始まった。最初の赤外線天文衛星はNASAのIRASで1983年に打ち上げられたが,それ以後もCOBE,ISO等片手で数えられる赤外線天文衛星が打ち上げられているに過ぎない。我が国では先駆的なロケット観測を受け,1995年に赤外線望遠鏡IRTSを搭載したSFUが打ち上げられた。図はIRTSの断面図であり,軌道赤外線望遠鏡の標準的な構造を示している。IRTSは望遠鏡を絶対温度2度に冷却するとともに,ヘリウム3 (ヘリウムの同位体)の吸着式冷凍機を内蔵し検出器を絶対温度0.3度に冷却した。これはその時点で,衛星で実現した最低温記録と思われる。IRTSは若田さんによって回収され,現在は宇宙科学研究所本館1階ロビーに展示されている。一度じっくりと見ていただきたい。