No.210 |
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ロシアの衛星プロジェクトのワークショップを何故スロバキアでやるのかというと,要するに旧ソ連時代に東欧の旧共産圏の国々が参加しており,インターボールの孫衛星をチェコスロバキアが担当していたからと思われる。数年前にチェコとスロバキアに分かれ,スロバキアでは本会議を主催したクデラ教授が孤軍奮闘という感じ。それにしても,今回の会議のスポンサーがNATOとは時代の変化を感じさせる。
ところで,表題の Kosice という地名をご存知ですか。実をいうと,私も今度の出張計画を立てる寸前まで全く知らず,地図を見ると,なんとウクライナとの国境に近い辺鄙そうなところ。日本からは一気に行くのは無理で,どこかで1泊しなければいけないことがわかり,行きも帰りもブダペストで泊まることにした。成田を9月5日の朝に出て,フランクフルトで乗り換えてブダペストの空港に着いたのは同日の夕方で,日本時間では真夜中過ぎの時間。ホテルまでタクシーで行くことにして,乗り場まで行くと,最高3900HUFと書いた紙切れを渡される。これが最高かと思いきや,降りるときに4000HUFを渡すと,Thank you といっておつりはくれず。ここの習慣は,乗る前に料金を交渉しておくのがいいようで,帰りのときには,交渉の結果,3500HUF。
Kosice は,コシツェと発音するようです。ブダペストとの往復は列車だったが,切符を買ったときに初めて知った。列車は収穫の終わっただだっ広い農村地帯をただひたすらに走るだけ。途中で,牧草地の中の牛の様子が違ってきたかなと感じたら,それが国境らしい。列車が止まって,パスポートの検査官が乗り込んできた。折角10年有効としたのがもたないのではないかと思われるほど大きなスタンプをページ一杯に押される。それにしても,何故ここが国境なのか,境を示す区切りが一切なかったのはふしぎな感じだ。相模原市と町田市の境界となんら変わらない。
コシツェは,人口24万人,スロバキア第2の都市という。石器時代から青銅器時代までの遺跡や遺物はあるようだが,歴史はいきなり飛んで12世紀頃から始まる。いまも中世の雰囲気を漂わせる古い町。14世紀から15世紀にわたって建てられ,スロバキアで最大のゴチック建築といわれる聖エリザベス教会というのがホテルのすぐ近くにあったので,到着した日曜日の夕方に出かけてみた。おそるおそる中に入ると,ミサの真っ最中であった。牧師さんの説教が声高く鳴り響き,大勢の人が跪いて頭を垂れている光景に出くわしたのは壮観であったが,異端者が入っていたようで居心地が悪く,退散。
特に名物というものはないようで,敢えていえば,スープだろうか。中にはソーメンのような麺類が入っており,スープの味が店によって違うので,それが食事の唯一の楽しみという程度。ある日の夕食に国分先生と二人でオールドタウンから少し路地を入ったレストランに入った。ワークショップで渡された地図のレストランのマークを頼りに行ったが,入口は木製の小さな扉で鍵がかかっていて開かない。横のボタンを押すと,中から人が出てきて,入ると,後ろでガチャリというロックの音。薄暗い階段を地下に降りると,客は誰もおらず,壁には魚の絵がいろいろ。海のないこの国で魚料理かと思ったが,出入口はロックされているし,ままよ,というわけで,せめて川の方が近かろうと思って鯉を注文したが,ほろ苦いビールとも相俟ってこれがなかなかの美味。例のスープもうまく,その内に他の客も入ってきて,一安心。最後に金を払って出て行くと,またガチャリという音。ちょっと異様な経験でした。
この小都市に4つもの大学があり,ワークショップはその一つのコシツェ工科大学で9月7〜11日の5日間に亘って行われた。会場はオールドタウンの北端の先にあり,ホテルはその南端にあって,歩いて30分,運動不足解消にはちょうどよい距離で,毎日オールドタウンの中を歩いて往復。タバコの本数もずいぶんと減ったが,帰国して宇宙研に出てくると書類が山積み。一気に元に戻ってしまった。
(むかい・としふみ)
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