西安行き
栗林 一彦
西安に来た。微小重力科学に関する第3回中日(偶数回目は日中)ワークショップに参加するため,というのが公式の出張理由である。中国は2回目の筈と思って,むかしのパスポートを探したら,1987年10月15日上海入境のスタンプがみつかった。上海でのノルマはマルエージ鋼(Mロケットの一,二段モーターケース用の高強度鋼)の集中講義であり,三日間でへとへとになった記憶がある。集中講義をおえた後,主催者が蘇州に案内してくれた。蘇州では雨のなかをあっちこっちに連れて行かれたが,覚えているのは寒山寺だけである。杜甫だか李白だかの漢詩の掛け軸を,一本で止めておけばよいものを3〜4本も買い込み,包装が破れケースが壊れて,成田に着いてからえらく苦労したことをよく覚えている。もともと煎餅布団愛好会の熱烈な会員であり,若干失語症ぎみに加えて国外にでると三重苦が待っているため,国内外を問わず,出張はあまり好きなほうではない。それと最近は名所旧跡巡りも興味がなくなったため,専ら出不精を決め込んでいたところ,兵馬俑が強引に誘惑したというのが今回の西安行きの本当の理由である。
そのため札幌での三日間の国内学会を一日で引上げ,日曜日を返上してOHPを作るという節句働きまでして新幹線に乗った。名古屋からの直行便に乗るためである。日本からは今回のワークショップに,東大の西永先生,東工大の澤岡先生をはじめとして,総勢30名の大集団が参加した。ツアコンの東さん(NAL)は,当初成田を出発して上海乗り換えで西安に入るツアーを組んだが,出発の一ヶ月前ぐらい前になって,上海からの乗り換え便がなくなったとかで,結局名古屋に集まることに落ちついた。小生はホアンさん(宇宙研の客員助教授の黄 衛東さん)のアド バイスにしたがって最初から名古屋からの直行便を利用する積もりでいた。何事にも先達が大事ということの好例である。新幹線に乗ってから気がついた。飛行機に乗るとき,それも長時間乗るときフォーマルな靴だと降りる際苦労することをすっかり忘れていたことに。割竹や“ ぼいぼ”踏むといいというが,試したことはない。案の定,西安に着いてから靴を履くのが一苦労だった。
西安国際空港は市街から40Hほど西に位置しており,こじんまりしたきれいな空港である。途中高速道路もあってホテルには約一時間の道のりだった。セーターは絶対必要という誰かの意見に素直にしたがったが,どうみても東京よりは暑い。結局,一回も使うことがなかった。
ワークショップは中日と中独の抱き合わせで行われ,前半が中独,後半が中日,レセプションとバンケットは一緒に,というなかなかのグッドアイデアである。 ワークショップの合間をぬって西北工業大学のディンさんが市街に連れていってくれた。西安の中心街は周囲12Hの堀と城壁に囲まれている。城壁のスケールは万里の長城と同じで,明の時代に作られたと説明してくれた。城壁もそうだが西安では随所にダイナスティー(王朝)という言葉がでてくる。泊まったホテルがダイナスティーホテルなら,博物館の説明では,チンダイナスティーが三回でてくる。漢字で書けば,秦,晋,清だが聞いているだけではよく分からない。語尾が上がる,下がる,まっすぐと教えてくれたが,区別はできなかった。面倒くさくなって,「ところで今は何ダイナスティーですか」と聞いてみた。聞いてから,まずい質問をした,と思ったが,今はリパブリックですと,胸を張って答えてくれたので事なきを得た。