No.304
2006.7

ISASニュース 2006.7 No.304 

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美酒 

中 部 博 雄  


相原賢二氏

 昔,駒場にツタの覆いかぶさった古いプレハブ小屋があった。そこには卓球台が3台,昼休みは勝負にこだわった練習に明け暮れていた。

 1976年の夏のある日,背の高い新人が現れた。彼は3号館の平野研にいるという。卓球のフォームは安定していた。「ウム,できるな!」,ここから付き合いが始まった。

 相原賢二君は,まじめで余計なことは言わない,よく気が付き,お酒をこよなく愛し,ドライブが好きだった。

 1978年9月のM−3Hロケット3号機からタイマ班として実験に参加して以来,一緒に仕事をやるようになった。

 駒場で遅くまで酒を飲んだ後は,最終電車に乗って,彼の実家(駒込)よりはるかに遠い本八幡の我がアパートまで一緒に帰ることがあった。そのときは必ず飲み直しとなり,二日酔いになる辛さを忘れて朝方まで議論した。

 1983年ごろ,一人黙々と点火玉の発火特性試験をしながら,新たに担当するスペースチャンバーと格闘していた。

 1991年の宇宙研一般公開では,スペースチャンバーで人工オーロラに挑戦した。かなり苦戦したが,その反響は大きく長い行列ができた。

 そのころ,能代では,M−Vロケットの開発実験が始まった。相原君は温度班として夢中でセンサを貼り計測し報告書を作成,休む暇なく次の実験に参加した。多忙であったが,苦にはならなかった。そこには夢があった。夜はネオン街で飲むより,相原君の部屋で飲む反省会が疲れを癒してくれた。

 内之浦では,タイマ班/点火管制班として観測ロケットやM型ロケットの打上げ成功で美酒に酔い,バイパー実験では点火管制装置のダミースイッチを入れ忘れてモータは点火せず,PI部が作動するというミスオペによる実験失敗で,共に悔し涙を流した苦い酒,今となっては懐かしい。

 2002年,スペースチャンバー担当を卒業し,居室を高野研に移してタイマ班チーフとして頑張っていた。

 2004年5月,足の付け根にしこりができ,虎の門病院で診断してもらったところ,1000万人に1人という特殊な慢性白血病であるという。それから1年10ヶ月間の通院と入院による治療が始まった。

 相原君は病室から,老朽化による不具合を心配し,ノルウェー実験やM−Vロケット8号機打上げ成功に安堵した1年だった。

 臍帯血移植は成功し,予定通り高熱が出てきたが,病気は完治することに何の疑問も持っていなかった。

 退院したら30年物ウイスキーを飲もうと,相原君と決めていた。そして,M−Vロケット7号機の打上げオペレーションに参加できると信じていた。

 ところが,相模原におけるM−Vロケット7号機の噛合せ試験(タイマテスト)中の4月18日16時13分,相原君は病院で突然亡くなってしまった。まだ52歳だった。

 本人の無念さは計り知れないものがある。今でもつい「相原君!」と呼んでしまい,我に返る。

 「相原君,公私ともにお世話になりました。多くの実験に参加し,実績を挙げてきました。素晴らしい思い出とともに,言い尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう……」

 相原君のためにも,M−Vロケット7号機は何としても成功させなければならない。そして相原君の墓前で美酒を酌み交わしたい。

(なかべ・ひろお)


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