No.288e
2005.3 号外

ISASニュース 2005.3 号外 No.288e 


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- ごくろうさまでした
- Mロケットの明日を“読む”
- 皆さんありがとうございました
- 「開発」と「自然の叡智」への想い
- 宇宙研よ,さようなら!
- 思い出に残るスポーツ大会
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+ 40年は矢のように過ぎて
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- 心からお礼を申し上げます

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40年は矢のように過ぎて 

水 谷 仁  


ペネトレータ貫入試験第1回に集まった面々。中央左が筆者,右が高野先生。

●すべての始まりは単純だった

 4年間の学部時代は,墨田川と戸田の漕艇場でボートの練習に明け暮れた。理学部を卒業する1963年夏,就職するにはもう少し勉強した方がよいかなと思っていた矢先,東大地球物理学教室の竹内均先生に呼び出され,私の研究室に来ないかと誘っていただいた。「私のところに来れば,いずれいろいろな外国に行けるようになるよ」という甘い誘いに飛び乗ったのが,つい最近のことのように思われる。

 別のところでも書いたことなのでここでは詳しく書かないが,この竹内研究室は素晴らしい先生のそろった,今でいうまさに地球物理のCOEであった。ここで私は素晴らしい先生と仲間に恵まれ,40年に及ぶ研究を始められたのは誠に幸せなことであった。

●地球物理から惑星科学へ

 私の研究歴は,ほぼ3つのフェーズに分けられる。東大地球物理学教室での15年間,名古屋大学地球科学教室での10年間,宇宙研での17年間である。東大時代にアポロ岩石主任研究者に選抜され,月の岩石の物性測定をするようになったのが,惑星科学への入り口となった。

 しかし本当に惑星科学を志すようになったのは,「プレート・テクトニクス」を切り開くことができたプレートの構造の発見に,いま一歩のところで遅れをとったことにある。こんな問題は世界でも誰も考えていないものと思ってのんびりしているうちに,コロンビア大学のグループに先を越され,これが「プレート・テクトニクス」に発展したのだった。

 地球科学の革命に寄与できないとなったら,惑星科学の革命に貢献しようと始めたのが,惑星の衝突現象の解明であった。日本ではすでに,藤原顕さんが京大で高速度衝突実験を始められていたが,私は惑星形成過程を考えるには低速度衝突に伴う物理の解明が重要であると考えて衝突装置を製作し,名古屋大学で実験を始めた。藤原さんの実験と私たちの実験結果を合わせると,いろいろと面白いことが分かってきたのだった。

●日本の惑星探査の古代史

 1970年代の後半,M3S-II型ロケットの後継機,M-Vの開発が想定され,たぶんこれは本格的な惑星探査が始められる機会を招来するということで,月・惑星シンポジュームをはじめとする宇宙研のいろいろなシンポジュームで,日本の固体惑星探査が議論されるようになった。どういうわけか私もこの議論に参加するようになり,京大の長谷川博一先生,小沼直樹先生などと日本の固体惑星探査はどの方向に進むべきか議論をした。

 これらの議論から,我が国の惑星探査の最初の目標は月であるということになり,1983年には月探査ワーキンググループが設立された。このワーキンググループの最初の議論の骨子が,第5回太陽系シンポの報告書に掲載されている。いわく
「1.極周回衛星による月探査を1990年代前半に行うことを目標とする
 2.検討中の研究テーマにペネトレータ地震計敷設,反射スペクトロメトリー,蛍光X線観測,磁場観測,ガンマ線観測,アストロメトリー,宇宙塵観測
 3。月の次は火星,水星を目指す」。
ご存知のように,ここからLUNAR-A計画が誕生し,SELENE計画が生まれることになった。

●LUNAR-A計画

 私の提案した月ペネトレータ計画は,宇宙研の工学の先生の関心を引き,このフィージビリティを調べるための実験が計画された。写真は,1987年1月に行われた能代実験場での第1回ペネトレータ貫入試験のときのものである。大学で3000万円以上の予算を使ったことのない,開発研究の右も左も分からない私を導いてくれたのは,高野雅弘先生だった。高野先生のもとに集まった一騎当千の強者は,写真で見るとおり皆まだ若く,月探査の夢にあふれていた。

 LUNAR-A計画が正式にスタートしたのは,それから4年後の1991年。世界初のペネトレータ技術の開発に一言では言い尽くせない苦労がこのときに始まった。ここから後は,日本の惑星探査の現代史に属する部分である。大変多くの人の協力を得ながら,なおまだLUNAR-Aミッションが実現の運びにならないのは私の力の及ばないためであり,誠に残念で申し訳ないことである。しかし,夢多き若者の手によって,日本の惑星探査の花が開く時代が近い将来に到来することを,私は疑っていない。

(みずたに・ひとし 固体惑星科学研究系) 



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