No.287
2005.2

ISASニュース 2005.2 No.287 

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近時雑感 

千葉工業大学教授 林 友 直 


 去る1月6,7日に相模原で催された「宇宙科学シンポジウム」に久しぶりに参加した。ポスターセッションで鯨生態観測衛星「観太くん」による海面漂流ブイ追跡状況について発表するためである。近ごろの宇宙の沈んだムードにもかかわらず,大会議場は大入りの盛況で,将来構想が次々と熱心に語られた。若い世代の宇宙への関心が衰えていないことを知ってうれしく思った次第である。

 研究開発を目指す組織は,対象がソフトとハードにかかわらず,構想を現実のものにするという使命がある。良い企画を多く選び出してものにするには,対価格効率を上げて研究開発の生産性を高め,その中で技術の継承と人材の養成を図らなければならない。そのためには多くの人材が,十分に横の連絡をとって協力する体制を作り,各人の仕事を進めやすくする仕組みが必要である。

 かつてかなり生産性が高かったと思われる宇宙科学研究所時代に身近に見聞きした事柄のいくつかを述べて,ご参考に供したいと思う。

 駒場の宇宙航空研究所の所長室に高木昇先生をお訪ねして,宇宙の分野への参入を決めたのは昭和40年(1965)のことである。まずはラムダロケットによる人工衛星打上げを当面の目標として,斉藤成文,野村民也両先生のもとで,ロケット,衛星,地上系における電気関係の仕事に手を染めた。幸い大学卒業後,工学部電気の岡村総吾先生の研究室で学んだマイクロ波と,理化学研究所の江副博彦先生のもとで学んだ質量分析と真空装置についての体験のおかげで,宇宙分野で無理のないスタートを切ることができた。

 そのころのある日,突然糸川英夫先生が訪ねてこられ,「宇宙はロケットと電気の専門家の協力で推進しなければならない。これまで,“糸川−高木”“玉木−斉藤”“森−野村”という二頭立てでやってきた。ついては今後は“秋葉−林”というコンビで進めてほしい。さらにシステムの鍵を握るタイマーを機械式から電子式にする必要があり,これにも手を貸してほしい」というお話であった。その後,森大吉郎先生から「機体計測の電子化について協力してほしい」とのご依頼もあり,これらのご意向を踏まえて既成の各グループと一緒になって仕事を進めた。

 秋葉鐐二郎さんは私の旧制中学時代の同級生であった秋葉一郎氏の弟さんに当たる方で,糸川先生の意を体して共同作業を着実に続けた。その最たるものは,ハレー彗星探査計画の一環として行った臼田の64mアンテナの建設であった。天体現象という待ったなしのテーマであるため緊張の連続する日々であったが,その間,献身的な働きをした市川満氏の貢献は特筆に値する。

 こうした仕事を進める上で,メーカーの協力も欠かせない。しかし世の中の先端をきるシステムを作り上げるには,伝票を発注するだけで直ちにものが手に入るということはない。メーカーの技術者と一緒に考え,実験するつもりで取り組まなければならない。

 工学は元来,世の中に役立つことを目指す科学の分野であって,サービス精神が基本である。中でもプロジェクト研究推進における工学の立場は,一種のサービス業である。工学の成果は世の人に分かりやすいため,ややともすれば低次元の科学と見るのがこのごろ学界にまで浸透した通念である。その根源を矯めようと正攻法で立ち向かえば,研究開発には手が回らない。

 そこでこの弊害をかわすために,若い人たちに勧めた手法がある。それはサービスに努めつつ,望むらくはその中から将来役に立つはずのプロパーな研究テーマを見いだし,並行して進めるというものである。要するに2人分働くことになるが,さもないとプロジェクト研究機関の中で教育と研究の両立は難しい。周りの人たちに身体の鍛錬を勧めた理由でもある。

 プロジェクト研究を推進する上で忘れてならないのは,教官層を支え続けてくれた多くの助手や技官層の活躍である。さらに研究所内に設けられたマシン・ショップ,エレクトロニクス・ショップ,記録チームの貢献も大きい。

 かつて駒場の航空研究所時代に研究を支えたガラス細工や風洞実験用の木工の技術は,日本有数の技能者を輩出したという。プロジェクト研究を着実に進めるためには,実務を通じてこうした人材を養成し,やがてはメーカーでさらに活躍できるよう配慮すべきである。

 良い仕組みのもとで良い成果を世に問うことができれば,おのずから優秀な人材が得られ,さらに良い成果が期待できる。宇宙開発はこうあってほしいものである。

 40年以上続けてきた宇宙開発活動の歩みは決して坦々としたものではなく,数多くの失敗を重ね,不具合報告書は山積みされている。失敗を生かし,これを繰り返さないための仕組みを作り上げておかないと,この分野でも災害は忘れたころにやってくる。

 作業項目発進のたびに,過去のつまずきの事例を調べ上げ,留意すべき点を作業者に指示するためのデータベースを作り上げるべきである。それには不具合報告書という貴重な過去の記録を生かせばよい。このデータベースは使いやすく,分かりやすく,しかも新規事項が付け加えやすいものでなければならない。さもないと容易に実効のない形骸化したものとなる。過去の記憶が失われないうちに,良いデータベースの作成へ向けて,早急に取り組み方を検討すべきであろう。

 宇宙研で25年を過ごし,退官後は丹羽登先生のおかげをもって千葉工大で小型衛星に取り組ませていただき,10年以上になる。生起した数多くの事柄は,いまだにしばしば夢に見るほど鮮烈である。

 周囲の多くの方々に支えられ,励まされてきたもので,思えば幸せな人生であった。これまでに,また今でも周りで辛抱強く付き合ってくださっている多くの皆さまに深く感謝している。

研究室にて

(はやし・ともなお) 


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