私が渡米したのは今から1年と4ヶ月ほど前のこと,2年半に及ぶ文部科学省での慣れない仕事を終えた直後のことだった。文科省の「宇宙開発関係在外研究員」の応募に際して私が設定したテーマは,「宇宙科学分野における企画立案部門の活動に関わる情報収集及び研究」といった大上段に構えたものであったが,実のところ心の内ではじかにアメリカという世界に触れることによって,米国での「宇宙」というもののとらえ方はどのようなものか,そしてそれを受けてどのような活動が行われているのかを知り,私がこれまで得た経験や持ち続けてきた考え方を膨らませることができれば,と考えていた。果たしてこの目標に1年間でどこまで迫り得たのか。冷静に振り返ってみても,やはり「1年間は短かった」という月並みな一言に尽きるのだが,そうかといってその1年のすべてを書き尽くすことはこの場では難しいので,そのほんの一端を厳選してご紹介したい。
「惑星協会」にて
米国滞在中の1年間,客員研究員という立場をいただいて席を置いたのが,米国において太陽系内惑星や地球外知的生命探査などの宇宙活動を推進している非営利・非政府団体「惑星協会(The Planetary Society)」であった。パサディナ市のほぼ中央に位置しているオフィスは築後100年近く経っている民家を利用していて,部屋の窓から木に登るリスたちも見える抜群の職場環境。常時働いている20人程度のスタッフの皆さんがとても気さくで,特に渡米直後はいろいろなことでお世話になりっぱなしだった。そのようなこともあって新しい環境に急速に溶け込めた私であるが,英語力の不足のため「もう少し突っ込んだ話ができれば」と思う瞬間は,結局最後の最後まで消えることはなかった。そのようにしてしばらく経ったある日,協会専務理事のフリードマン博士から「今日将来の有人宇宙計画について話し合いをするが,聞いてみるか?」と言われ,そのときは会合の意図は分からなかったが,アメリカ人同士の生の議論が聞けるせっかくの機会ということで参加させていただくことにした。宇宙分野のOBや現役の研究者が集まって行われた議論はとても白熱して,熱っぽく持論を展開する彼らに対し,私の力ではあらましを追うだけでも精いっぱい。ざっくりとまとめるなら,論点は「具体的に将来宇宙で何をするか」と「そのためにはどんな輸送系が必要か」の二つ。端々に出てくる“火星探査”“使い切りロケット”“軌道上での組み立て”などのキーワードだけが耳に残った。2時間程度のやりとりでその場はひとまず収まったが,議論の続きはメールを介して続けられ,さらに詳細なレポートが1週間程度でまとめ上げられた。
もしそこまでの話であれば,私の中では滞在中のイベントの一つとして記憶されただけだったかもしれないのだが,実際にはそこで終わることはなかった。なぜなら,明けて2004年の新年早々,ブッシュ大統領の新宇宙政策の発表がなされたからである。その中には,先だって行われた議論の中で出てきたキーワードの影が,そこここに見え隠れしていた。
「彼らは20年来一緒に仕事をしている素晴らしい仲間なのです」と会合メンバーのことを私に紹介したフリードマン博士の誇らしげな笑顔が今でも印象に残っている。
「ヨセミテ」にて
カリフォルニアに行くからにはこの機会に訪れておこうと渡米する前から考えていたのが,ヨセミテ国立公園。「神々の遊ぶ庭」とも称され,一度訪れるとその美しさと迫力に多くの人が魅了されるというその場所は,私の生半可な想像をはるかに超えていた。氷河によって作られた谷の底にあっては両側にそびえ立つ巨大な岸壁と滝に圧倒され,上から谷の全景を見渡せるグレイシャーポイントに立てば,だんだんと夕焼けに染まっていくハーフドームに悠久の時の流れを感じさせられた。どこを切り取っても絵葉書かポスターのような風景に,例外なく私も魅了されてしまった。このときは日程の関係から短めのトレッキングコースを1本歩いたのみに終わってしまったので,もし次回があるならばぜひ長いコースに挑戦して,今度は自然の“厳しさ”の方を体験してみたい。しかし,今回トレイルで出会った“小熊”以上の自然の厳しさは,御免被りたいところではある。
油断をするとすぐにリタイアさせられるヨセミテの強大な自然の厳しさ。地球上とはいえ,ここは紛れもなく「宇宙」なのであろう。道を切り開いていった先駆者たちに思いをはせながら彼らの足跡を踏みしめつつ,新たなトレイルを切り開いて,今まで誰も見たことのない景色を見てみたいものである。
なんて,少し感傷的になったところで,ちょうどお時間のようですね。
(ちょうき・あきなり)