No.286
2005.1


ISASニュース 2005.1 No.286 

4人目

宇宙の忍び人 〜IRC+10216〜 


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赤外・サブミリ波天文学研究系 山 村 一 誠 

 お尋ね者あり。その名はIRC+10216,またの名をCW Leo,またあるときはRAFGL 1381,もしくはIRAS 09452+1330。年のころ数十億歳。色,暗い赤。煙幕を張って姿を隠す。光では11等級以下。炭素多し。

 と,まるで忍者のようだが,1960年代半ばまでこの星はうまいこと人の目をくらまし,世に知られることなく潜伏していた。しかし,今やこの星は,天文学者ならば誰でも知っているほどの超有名天体の一つである。赤外線天文学の発達が,防犯カメラのようにこの怪しい星の姿を捕らえたからである。

 この星が「逮捕」されたのは,1965年。赤外線天文学が始まったばかりのころである。2.2ミクロンという波長で赤外線天体を片っ端から探す,という初めての赤外線サーベイ観測プロジェクトによってである。観測が始まった当初から,この天体は注目されていた。当時知られていた赤外線天体のどれよりも,群を抜いて明るかったのである。4年後,初めてその存在を報じた論文のタイトルは,「異常な赤外線天体」。この天体はいったい何者か? この論文では断定されていない。捕まってもなかなか正体を明かさなかったわけである。それでも,天文学者のしつこい追及に,徐々に何者であるかが分かってきた。

 結局のところ,これは,太陽のような星が老境に差し掛かったものだったのである。核融合を止め,星としての「死」を迎える直前,大量のガスとちりを周囲にまき散らし,あたかも自らの死を隠そうとするかのごとく煙幕を張っていたわけである。しかし,頭隠して尻隠さず。光で姿を隠すことにはまんまと成功したものの,1光年にも広がった煙幕が,赤外線ではぎらぎらと輝いていたのだ。我々からの距離は約400光年。これは,宇宙としてはすぐ近所である。この近さ故に,全天でも有数の明るい赤外線天体となった。そして正体が知られるやいなや,IRC+10216は,新しい観測手段ができるたびにまず最初に観測される天体の一つとなって,数多くの新発見の舞台となってきた。

 この星から最も恩恵を得たのは,宇宙化学の分野だろうか。1960年代の終わりから,赤外線や電波での分光観測が可能になり,宇宙にあるガスの成分を詳しく調べることができるようになってきた。宇宙にはどんな分子があるのだろうか? 生命の存在を示唆するようなものは見つかるだろうか? 宇宙のさまざまな場所で,分子の発見競争が繰り広げられている。日本では野辺山の電波望遠鏡が第一線に立ってきた。これまでに130種類近くの分子が宇宙で見つかっているが,そのうち半数近くがIRC+10216で確認され,さらにその半分はこの天体で最初に見つかっている(図1)。まさに宇宙の大化学実験場である。

図1 IRC+10216での分子探査。針のように出ているものがすべて分子からの電波である。
(Cernicharo, J., et al., 2000, A&A Suppl. 142, 181, Fig. 1)

 最近では,星が煙幕を張る術の研究が進んでいる。図2は,IRC+10216の中心部を,赤外線の特殊な観測技術を駆使して詳細に観測したものである。6年の間に,光る点が形を変えながら外向きに動いているのが分かるだろうか。これが,星から投げ出された煙幕玉だと考えられている。このような固まりを次から次へと投げることで,煙幕を張り,身を隠そうとしているのである。

図2 IRC+10216の中心部の高解像度赤外線画像。
数年の間に明るく光る点(ちりとガスの固まり)が徐々に形を変えて広がっている。
(Weigelt, G., et al., 2002, A&A 392, 131, Fig. 1)

 この星は,(光では)世を忍んだまま一生を終えることができるのであろうか。答えは否。核融合を止め,恒星としての一生を終えた星には第二の舞台が待っている。惑星状星雲は,「死」を超えてさらに進化した星が,かつての煙幕を強烈な光で輝かせているものである。IRC+10216は,もしかすると我々の生きている間にも,この次の段階への一歩を踏み出すかもしれない。そして,我々の太陽も約50億年の後には,この星と同じ運命をたどると考えられているのである。

(やまむら・いっせい) 


The Unusual Infrared Object IRC+10216, Becklin, E. E., et al., 1969, ApJ 158, L133


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